飯塚事件、発生当時(1992年2月中旬)の新聞記事(遺体遺棄現場付近で目撃された白い不審車のゆくえ)

明日の昼2時よりテレビ朝日で『ザ・スクープSP』という番組が放送されるのですが、テレビ欄の見出しを読むと「国家権力は無実の男性を殺したのか!?ずさんなDNA鑑定が招いた死刑執行の謎…再鑑定に密着」とあるので、おそらくこの事件ではないかと思い取り急ぎUPしておきたいと思います。


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足利事件』に関する記事(新聞記事,検証1,検証2)をUPしたときにも少し触れましたが、『足利事件』の容疑者逮捕からわずか3ヶ月後の1992年2月、福岡県飯塚市で2人の女児が誘拐殺害される事件が起こりました。通称『飯塚事件』と呼ばれる事件です。遺留品遺棄現場付近で「紺色のワンボックスカー」が目撃されたことから、同じ車種を所有していた一人の男性が捜査線上に浮上し、事件発生から2年半後の1994年9月に逮捕されます。犯人とされた男性は捜査段階から一貫して無罪を主張。犯行を直接裏付ける物証はなく、遺体周辺から採取された血痕のDNA鑑定や目撃証言などの状況証拠をどのように評価するかということが裁判の争点となり、科捜研が行ったDNA鑑定を重く見た裁判所は死刑判決をくだします。しかし「犯人と一致」とした科捜研のDNA鑑定は足利事件と同じ鑑定法で行われており、同時期に別の鑑定法で行われた帝京大学のDNA鑑定では「犯人とは別人」という結果が出ていたことから、弁護団はDNA再鑑定に向け準備。しかし死刑確定から2年というハイスピードで死刑は執行され、足利事件での再鑑定が決定した直後だったこともあって世間では早急な執行を疑問視する声が高まっていました。(※詳しくはこちらこちらこちらを参照されたし)


私が事件発生当時の新聞記事を保管していたのは、『足利事件』の容疑者逮捕と近い時期に起こった幼女誘拐殺害事件だったからだと思うのですが、お恥ずかしながらこの事件についての記憶が私自身には全くと言っていいほどなく、記事を保管していたことはもちろん、記事を読み返してもさっぱり思い出せなくて、この後この事件はどうなったのか、犯人は捕まったのかと気になって調べてみてようやく、足利事件と同じ鑑定法が採用されていたことから『東の足利、西の飯塚』と呼ばれ、いまなおえん罪が疑われてる飯塚事件だということがわかった次第。死刑となった男性は「久間三千年(くま・みちとし)」という非常に珍しい名前なのですが、「死刑になった人」ということでわずかに覚えていたものの、逮捕時の報道を見聞きしたのかどうかそれすらも定かではありませんでした(追記:こちらによると、逮捕時、事件の起こった福岡では割と大きく報道されたのに関東では全く見なくて不思議だったとか。それで名前聞いてもピンとこなかったのか)。


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手元にある記事は事件発生当初のもので逮捕時のものではありませんが、「現場付近で目撃された不審車」について、ネット上で検索しても出てこないような目撃情報があったのでアーカイブとして残しておきたいと思います。もしかしたら既に持ち主が現れ事件とは関係ないことが証明されてるのかもしれませんが、いまのところよくわからないので。


まずは発生時の状況。例の如く、個人情報や遺族関係の報道については省略してあります。また記事の日付については内容や裏面の情報から判断してるため、半日前後の誤差がある可能性はあります。

東京新聞(1992年2月22日(土)付 朝刊?)


小1女児2人殺される


登校中に誘拐か


自宅から20キロ、山林に遺体 福岡


福岡県飯塚市で二十日朝、登校途中の小学校一年の女児二人が行方不明になり、福岡県警などが行方を捜したいたが、二人は二十一日夕、自宅から約二十キロ離れた同県甘木市野鳥の山林で遺体で発見された。顔に傷があり、着衣の一部が乱れていることなどから、同県警は殺人・死体遺棄事件と断定。飯塚署に捜査本部を設置して、詳しい死因や二人の足取りなどについて警官二百六十人を動員、捜査を始めた。飯塚市では昭和六十三年にも同じ小学校の女児が遊びに出たまま行方不明になっており、捜査本部で今回の事件との関連を調べる。


 遺体で発見されたのは飯塚市のN・Aちゃん(七つ)と同市U・Yちゃん(七つ)の二人。
 調べによると、Aちゃんら二人は近所の友達と計三人で二十日午前七時四十分ごろ家を出た。学校まで約三百メートルのところでYちゃんが「行きたくない」と泣き出したためAちゃんがなだめ、友達は二人を残して登校。Aちゃんら二人は学校へ行かず、同日午後二時ごろ、自宅から約二・五キロ離れた飯塚市中心部のがん具店で、縫いぐるみを見ているところを目撃されてから、足取りが途絶えている。
 遺体は二十一日午後四時五十五分ごろ、通行中の団体職員が発見、国道322号わきの斜面の下約十メートルのところにあった。Yちゃんはあお向け、Aちゃんはうつぶせで倒れており、顔には鼻血の跡があった。
 捜査本部では、何者かが二人を連れ出し殺害したとみて変質者の洗い出しを進める一方、車に二人を乗せた者がいないかなど目撃者捜しを急いでいる。



名前を叫び泣く父親
小さなひつぎ山を下る
(省略)


幼児誘拐事件が急増
昨年1〜11月で54件も

 警察庁によると幼児を対象にした誘拐事件は昨年から急増。また最近、東京都内などで不審な人物が幼児に声をかける連れ去り未遂事件が頻発しているため、同庁は今月六日、全国警察に誘拐防止対策の徹底を通達したばかりだった。
 同庁の昨年の統計(一月〜十一月)によると、幼児対象の誘拐は五十四件で、前年同期と比べ九件、二割も増えた。そのうち、わいせつ目的は四十件で七割を占める。

東京新聞(1992年2月22日(土)付 夕刊?)


未発見所持品の捜索を続行
福岡の2女殺し
 福岡県飯塚市の小学一年生女児二人が殺され雑木林の中に捨てられていた事件で、同県警の捜査本部は二十二日午前死体遺棄現場近くで発見したランドセルや傘、衣類などのほかに、靴の一部などまだ見つかっていない二人の所持品があるとの見方を強め、同日午後、飯塚市から遺体発見現場に至る数ルートの沿線の捜索作業を慎重に行った。
 また、二人が二十日午後二時ごろ最後に目撃された飯塚市中心部を重点に不審な車や人物の聞き込みを続けたが、死亡推定時刻(同三―七時)までの空白を埋める有力情報が得られなかった。
 調べによると、飯塚市のN・Aちゃん(七つ)とU・Yちゃん(七つ)は、二十日朝登校中に行方不明となり、翌二十一日夕、約二十キロ南の甘木市野鳥の国道わきで発見された。
 遺留品の捜索作業は二十二日朝から行われ、午前十時半ごろ、遺体発見現場から飯塚市方面へ約一キロの国道322号わきで、二人のランドセルと傘二組などが見つかった。しかし、遺体現場にもランドセルなどの見つかった付近にも争った跡はなく、同本部は飯塚市内から遺棄現場までの周辺に殺害の場所があるとみて調べている。
 一方、Aちゃんら二人の自宅では同日夜、しめやかに仮通夜が営まれた。


そして以下に記すのが、遺体遺棄現場付近で目撃された不審車の情報。「それって紺色のワンボックスカーでしょ?」って・・・いやいや、それが違うのです。当初現場付近で目撃されていたのは全く別の車でした。

東京新聞(1992年2月24日付?)


白い不審車の割り出し続行
小1女児2人殺害で
 福岡県飯塚市の小学一年の女児二人が絞殺され、同県甘木市の山中に捨てられた事件で、同県警の捜査本部は二十四日、遺体発見現場近くの国道わきで二十一日未明駐車していた白い乗用車の所有者捜しなど、これまでに寄せられた不審車の目撃情報と事件の関連について捜査を進めた。
 また、まだ見つかっていない二人の靴の片方ずつなどの遺留品が未判明の殺害現場に残されている可能性があるとして、飯塚―甘木市間の数ルート沿線地域の捜索に全力を挙げている。
 調べによると、不審な白い乗用車はセダン型で、ヘッドライトを点灯しトランクを開けたままの状態で、遺体発見現場から数百メートル甘木市街地寄りの国道322号わきに駐車、複数の通行人が目撃していた。
 同本部は、殺された飯塚市N・Aちゃん(七つ)と、同U・Yちゃん(七つ)が犯人の車に乗せられたとみており、これまでに寄せられた不審車の目撃情報のうち、遺棄現場に極めて近接している白色セダン車を特に重視。車種や所有者の特定を急いでいる。

整理すると、20日午前7時40分ごろ自宅を出た女児2人は、午後2時ごろ自宅から約2.5キロ離れた飯塚市中心部のがん具店で目撃されたのを最後に行方がわからなくなり、翌21日午後4時55分ごろ国道322号わきの斜面の下約10メートルで絞殺遺体となって発見。死亡推定時刻は20日の午後3時〜7時の間で、遺体発見現場には争った形跡がないことから殺害場所と遺棄場所は別と捜査本部は判断。殺害した翌日の21日未明に遺体発見現場から数百メートルの国道わきでヘッドライトを点灯しトランクを開けたままの白いセダンが複数の通行人に目撃されており、捜査本部はこれを有力情報とみなし白いセダンの所有者を捜すものの、数ヶ月後に容疑者として浮上するのは遺体発見現場近くで目撃された「白いセダン」の所有者ではなく、後に出てきた新たな目撃情報、すなわち遺留品発見現場付近で目撃された「紺色のワンボックスカー」と同じ車種の車を所有する男性だった・・・。

捜査本部は、(-中略-)(4)遺棄現場付近で目撃された不審なワンボックスカーは、久間容疑者が事件当時所有していた車と同じ紺色で、後輪が同じダブルタイヤだった、などが判明したことから、重要参考人とみて、マークしていたと発表した。


飯塚事件(@田村のホームページ)

警察の聞き込みにより、事件当日に遺留品発見現場の近くで、紺色のワンボックスカーと中年男性の目撃情報があることが分かり、警察はその車をマツダステーションワゴン、ウエストコーストと特定します。
この車は福岡県内に165台登録されていて、久間氏はそのうちの1台の所有者として捜査線上に浮かびました。


冤罪処刑か!?(ヨリトモ)(@イイクニ創ろう)※「冤罪File」3月号(第5号)に詳細あり

3月に警察が得たといわれる「遺品遺棄現場での紺色ワンボックス車を見た」との目撃情報により、「同種の車を所持していた」久間三千年に捜査の対象はほぼ100%絞られ、この男と女児とを結びつける証拠の発見に全力が注がれた。


久間三千年「事件」について『岩永天佑「告発の書」』より再掲

ネット上をいろいろ探してみたのですが、どの記事を見ても「紺色のワンボックスカー」ありきで、いつ頃どういう理由で「白いセダン」が不審車リストから外され、かわりに「紺色のワンボックスカー」が有力候補として浮上してきたのかいまひとつ判然としませんでした。


テレ朝の『ザ・スクープ』がそこまで突っ込んでくれるかどうかは疑問ですが、一応期待して待ちたいと思います。


追記:『ザ・スクープ』で放送された内容を追記しておきます。

**詳細すぎる目撃情報 検証・・・飯塚事件
目撃者(ナレーション)「私は2人の女の子が行方不明となった当日である2月20日、紺色のワンボックスタイプの車を目撃しております」
ナレーション「男性は時速25キロないし30キロで走行中、停車中の不審車両と人物を目撃したと証言。その車両の特徴について「ワゴン車で色は紺色、メーカーはトヨタや日産ではないやや古い型の車体。後ろのタイヤはダブルタイヤ。窓ガラスにカラーフィルムが貼ってあった」と証言。更に不審人物について「上着は毛糸みたいで胸はボタンでとめる式のうす茶色のチョッキ。その下には長袖のカッターシャツを着ていた」などと証言している。だがここで疑問が。対向車とすれ違う時にそんな詳しい情報を得られるのだろうか。我々は日本大学心理学部厳島行雄教授立ち会いのもと検証を行った。」

現場付近は舗装された峠の山道(二車線道路)。カーブの多い下り坂。この道を通る車はあまりおらず、検証時もほとんど対向車はいなかった。番組では実際の現場に紺色のワンボックスカーと人物をたたせ、レポーターの鳥越氏(運転歴30年)が時速25〜30キロで走行。鳥越氏は検証の内容を詳しくは聞いていない。現場通過後、同乗していた厳島教授が鳥越氏に「走行中、車とか人物が止まっているのを見なかったか?」と尋ねると「紺色のボックス型のワンボックスカーと、その向う側に人影が見えた。茶系統のベストみたいなものをシャツの上から着ているのが見えた」と答える鳥越氏。わかるのはその程度。実際に通り過ぎる場面を鳥越氏の乗る車の中からカメラで映した映像も流れたが、目撃時間が1秒程度のことなので「紺色のワンボックスカーと傍に白いシャツに薄茶色のベストを着た男が立っていた」ぐらいしか確認できなかった。特にダブルタイヤについては、車からだと目線が高いこともあり、車体に隠れてまったくわからない。ちなみに厳島教授は同じような実験を2000年に行ったが被験者45人中目撃者のような詳細な証言ができたものは一人もいなかったという。ちなみに、目撃者の男性が警察に証言したのは、事件から17日後だそうです。