足利事件、逮捕当時(1991年12月初旬〜1992年1月中旬)の報道

1990年(平成2年)5月に栃木県足利市で起こった幼女殺害事件、通称『足利事件』で、当時犯人として逮捕され無期懲役刑で服役していた男性が、DNA再鑑定の結果「犯人のものとは一致しない」と判断され、今月4日、17年半ぶりに釈放されることになりました。ネットを見て回ると、逮捕された1991年(平成3年)12月当時の「読売新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」の記事をUPしてくれてる方がいらっしゃったので、個人的に保管してた「東京新聞」の記事を蔵出ししておきたいと思います。「当時各新聞社ではいかなる報道がなされていたのか」「書かれている情報に何らかの違いや矛盾はあるのか」「逮捕から公判までの間に警察から発表・リークされる情報にどのような変化が生じているのか」等々、比較検証してみると気になる点もいくつか出てきたり。尚、当時のワイドショーを2回ほど文字起こししたノートもあるのですが、こちらについては番組名がわからず、そのまま載せるには内容自体にいろいろと問題があることから、差し支えのない範囲に留めておきたいと思います。



※事件発生(1990年)から釈放(2009年)までの経過は以下の通り(リンク先の一番下)。
19年目の真実:検証「足利事件」/上 もろかった「動かぬ証拠」(2009/6/10 毎日新聞)


手元の新聞記事を参考に逮捕当時の状況を時系列でまとめると、容疑者とされた男性が足利署捜査本部に事情聴取のための任意同行を求められたのが1991年(平成3年)12月1日朝。十数時間に及ぶ取り調べの末、自供をはじめたのが同日夜10時頃。翌2日午前1時15分に殺人・死体遺棄の疑いで逮捕状が執行されました。こちらのルポルタージュ(pdfファイル)によれば、任意同行の情報を事前につかみそのことを12月1日の朝刊で伝えたのは読売新聞、朝日新聞毎日新聞の三社。足利市のある栃木県の地元新聞社をはじめ、共同通信、その他大手新聞各社は12月1日当日の朝刊で一報を伝えることはできなかったようです。

逮捕当時の世間の状況

足利事件』は今から18年も前の事件であり、近年では幼女の連れ去り・殺害事件というのはそう珍しい事件でもなくなっていることから、平成生まれの若い人にとってはこれが当時どういう事件として世間に受け取られていたのかいまひとつ想像しにくいのではないかと思います。しかしこの事件に関してはやはりこれを語らずには始まらないというか、当時大学生だった私がこの事件の記事を切り抜いてとっておこうと思った理由とも深く関係することなので簡単に説明しておきたいと思います。


容疑者が逮捕される3年前の1988年(昭和63年)8月から翌1989年(平成元年)7月にかけて、日本の犯罪史上いまだ語り継がれる大変センセーショナルな事件が世間を騒がせていました。それが東京・埼玉で起こった連続幼女誘拐殺人事件、通称『宮崎勤事件』です。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia ※事件の概要
宮崎勤幼女連続殺人事件 ※犯行声明文や公判記録を含む詳細なまとめ記事


この事件は、犯人の自宅からアニメや特撮を含む約5700本という大量のビデオが押収されたことにより「オタク」が起こした犯行として注目され、ビデオの中にホラーやエロマンガ、アニメが発見されたことから、事件以降数年間にわたりこの両者が規制の対象とされました。またこの事件をきっかけにアニメオタクには「ロリコン、性犯罪者予備軍」、ホラーオタクには「猟奇犯罪者予備軍」というレッテルが安易に貼られるようになり、殺人事件が起こるたびに、自宅からの押収物やレンタル店で借りたビデオのタイトル名が事細かに調べられ、その種の作品がひとつでも見つかれば大々的に報道しレッテル貼りに利用するという報道手法が確立してゆき、当時レンタル店に行けばホラーばっかり借りているような高校生だった私などは「もし近所で猟奇殺人事件が起きたら警察に事情聴取されるかもしれない」と半ば冗談半ば本気で戦々恐々としていたわけです。


宮崎勤事件』の犯人が逮捕されたのは1989年(平成元年)7月23日。初公判が行われたのは翌1990年(平成2年)3月30日。毎月のように行われる公判には多くの傍聴人が訪れ、公判のたびにニュースやワイドショーで取りあげられることになります。


足利事件』の犯人が逮捕されたのは、『宮崎事件』の公判が一段落ついた1991年12月1日。足利近辺ではここ数年の間に未解決の幼女殺害事件が3件起こっており、「連続幼女殺害事件か!?」ということでメディアがこぞって食いつきました。「幼女殺害」や「多数のビデオ押収」といった共通点により、趣味や家族構成、性格などを宮崎被告と比較するワイドショーも現れます。


当時大学生だった私が『足利事件』に関する新聞記事を切り抜いてとって置こうと思った理由は、先にこの『宮崎勤事件』があったからです。この事件は殺害の状況を記した手書きの犯行声明文が「今田勇子」という女性名で遺骨と共に送りつけられ、メディアでは筆跡や文章から犯人像のプロファイリングがさかんに行われました。犯行声明文は新聞にも掲載されたのですが、当時はいまのようにネットなど普及しておらず、事件の資料は自分で保管しておかなければ簡単に読み返したりできない状況にありました。犯人が逮捕された時、その場所が友人の自宅近所だったことも関係し新聞記事をとっておかなかったことを非常に後悔した、そんな思い出が『足利事件』の際に甦ったのです。とはいっても『足利事件』自体は割と早く収束したこともあり、とっておいた記事は大学時代のノートや卒論が入った段ボール箱に放り込まれ押し入れへ。まさか17年も経ってひっぱり出してくることになるとは、、、。余談ですが、宮崎事件以降スプラッター系ホラーがアングラに追いやられた代わりに巷ではサイコものが流行りだし、『足利事件』が起こった1991年という年は、FBI心理捜査官と猟奇殺人犯の戦いを描いた『羊たちの沈黙』が公開され大ヒットを記録した年でもありました(翌年のアカデミー賞ではこの手の作品では異例とも言える主要4部門を独占)。



前置きはここまで。本題に入ります。

逮捕当時の新聞記事

以下に記すのが、事件当時「東京新聞」に掲載されていた『足利事件』に関する報道記事です。手元にあったのは1991年12月2日から1992年1月16日までの記事数点。記事が掲載された日付や朝夕刊の区別は、記事の裏面に印刷されたテレビ欄の情報および記事内に出てくる日付を参考にして判断してます*1。尚、ここに掲載するにあたり、個人名や住所等は必要最低限の情報のみにとどめさせてもらいました。遺族へのインタビュー等も犯行状況を補完するものでない限り省略してあります。従って一語一句間違いのない正確な情報が知りたい方は、各新聞社の記事が検索できるサイト(有料)がありますので、そちらで再度確認していただけるとありがたいです。(→ G-Search 新聞雑誌記事横断検索(年会費1,000円+従量制(見出し5円/記事1件100円)))


※他社の記事は、以下のリンク先でも一部読むことが出来ます。
 足利事件当時の新聞報道 ※読売新聞(1991/12/1,2,1992/2/14付)の記事
 足利事件 ※読売新聞(1991/12/1,3,22,25付)、朝日・毎日新聞(1991/12/1付)の記事

1991年12月2日(月曜日) 東京新聞 朝刊


運転手に逮捕状


足利の幼女殺害『首絞めた』と自供


 栃木県足利市渡良瀬川河川敷で昨年五月、同市に住んでいたM・Mちゃん(当時四つ)が絞殺されていた事件で、同県足利署捜査本部は一日、殺人と死体遺棄の疑いで、同市内の元運転手(四五)を重要参考人として朝から任意同行を求め事情を聴き、自宅を家宅捜査した。元運転手は「首を絞めて殺した」と犯行の一部を認めており捜査本部では逮捕状を請求。事件当時、遺体に残っていた体毛と元運転手のだ液などをDNA鑑定で照合した結果、一致したことが決め手となった。同市内では昭和五十四年以来三件の幼女殺害事件が発生し、いずれも未解決。捜査本部はこれらの事件とのかかわりについても事情を聴く。


 Mちゃんが行方不明になったのは昨年五月十二日午後六時過ぎ。父親に連れられ同市のパチンコ店「○○」でひとりで遊んでいるうちに姿を消した。
 同署で捜索した結果、翌十三日午前十一時二十分ごろ、パチンコ店から約五百メートル離れた渡良瀬川左岸のアシの茂みの中で、Mちゃんの遺体を発見。死因は窒息死で、近くに捨てられていたスカートの中から、犯人のものとみられる毛髪が発見され、犯人の血液型はB型と分かった。
 捜査本部は、変質者の犯行とみて、延べ四万人の捜査員を投入。「事件当日の夕方、中年男が幼い子供の手を引いて河川敷の堤防を下りていった」という証言以外に、事件と結びつく目撃者がいなかったため捜査は難航した。しかし、市内全域へのローラー作戦など徹底した不審者洗い出しで、昨年秋ごろ、○○*2によく来店していて、事件後にぷっつり姿を見せなくなった元運転手が捜査線上に浮かんだ。
 捜査本部は慎重に身辺調査を続け、入手した元運転手のだ液などを、警察庁科学警察研究所にDNA鑑定を依頼。
 足利市では五十四年八月、同市のF・Mちゃん(同時五つ)が遊びに出たまま行方不明になり、六日後に渡良瀬川右岸でリュックサックに詰められた無惨な姿で見つかっている。また五十九年十一月には、同市のH・Yちゃん(当時五つ)が同市のパチンコ店で行方不明になり、一年四ヶ月後に自宅近くで遺体が発見されている。
 さらに六十二年九月には同市近くの群馬県新田郡で小学二年生のO・Tちゃん(当時八つ)が行方不明になった後、遺体で見つかっている。
 殺害方法などの点で差があるものの、捜査本部は(1)被害者がいずれも幼児(2)F・Mちゃん事件の遺体発見現場がM・Mちゃん事件の遺体発見現場から川を挟んでわずか二百メートルの地点(3)H・Yちゃん事件でも両親がパチンコ中に連れ去られている・・・など、共通点が多いことに注目している。

1991年12月2日(月曜日) 東京新聞 夕刊


今春まで園児送迎



Mちゃん殺害 元運転手逮捕


栃木県警 他の3件も追求へ


 栃木県足利市渡良瀬川河川敷で、昨年五月、同市に住んでいたM・Mちゃん(当時四つ)が殺された事件で同県警足利署捜査本部は二日午前一時過ぎ、殺人、死体遺棄の疑いで同市、元運転手S容疑者(四五)を逮捕した。捜査本部は同日中にS容疑者を宇都宮地検に送検、本格的な取り調べを進め、詳しい犯行の動機、手口や犯行後の行動などについて追求する。また、同市内などで起きた未解決の幼女殺人事件三件についても関連を調べることにしている。


 調べによると、S容疑者は昨年五月十二日午後六時半ごろ、同市のパチンコ店「○○」南側駐車場で、一人で遊んでいたMちゃんを渡良瀬川河川敷に自転車に乗せて連れ出し、午後七時ごろ、首を絞めて殺害。遺体を全裸にして、近くの草むらに放置した疑い。
 捜査本部は一日朝からS容疑者に任意同行を求め、事情を聴いていたが、同容疑者は「当日は自宅にいて、一歩も外に出ていない。パチンコには行ってないし、Mちゃんのことも知らない」と事件との関わりを否定。
 しかし、事件当日のアリバイを必要以上に細かく主張する同容疑者に、取調官が昨日(十一月三十日)の行動を説明するように求めると、しどろもどろになり、午後十時ごろになって、ようやく自供しはじめ、「景品交換所付近で遊んでいたMちゃんをかわいいと思って、『自転車に乗らないか』と声をかけた。そのまま、自転車に乗せて河原に行き両手で首を絞めて殺した」ととぎれとぎれに供述。最後には涙を流し「誠に申し訳ない」と謝ったという。
 S容疑者は前科もなく、事件発生当初、仕事熱心なまじめな男として、変質者のリストから漏れていた。しかし、昨年十一月初めに独身男性に重点を置き、市内の全戸を対象に行ったローラー作戦の過程で、有力な容疑者として浮かび、慎重に身辺捜査を進めてきた。
 捜査本部は今年の夏、同容疑者から体毛、体液などを入手、警察庁科警研にDNA配列とMちゃんの遺体に残された犯人の体液などのDNA配列が一致することが分かり、容疑者の犯行を決定づける証拠となった。
 S容疑者は市内の中学を卒業後、運転関係の仕事を転々。十数年前からは同市内の幼稚園、保育園で運転手兼用務員を務め、今年三月にやめた。実家から二キロ離れた一軒家に一人で住み、パチンコとビデオが趣味で、家宅捜査の結果、少女写真などが多数発見された。結婚歴はなかった*3



Mちゃんは帰らぬ


転居の両親、無念さ隠せず


 一日朝から、足利署捜査本部に出頭して、任意取り調べを受けていたS容疑者は犯行を否認したり、のらりくらりとした供述を続け、捜査員を手こずらせた。しかし午後十時すぎになって観念したのか、犯行の一部を認める供述をしはじめ、二日午前一時十五分、殺人、死体遺棄の疑いで逮捕状が執行された。犯行を全面自供すると、ふだん言葉数や表情の少ない同容疑者が声をあげ、肩を震わせて泣き出したという。
 S容疑者逮捕後、記者会見したM捜査本部長(栃木県警刑事部長)は「栃木県警の存在価値をかけて捜査してきたが、事件発生から五百六十九日目に容疑者を逮捕することができた。これは多くの県民や、隣接の群馬県警の協力があってのことだった」と、晴れやかな表情で語った。
 また、同容疑者の取り調べが一日早朝から深夜に及んだことについて同捜査本部長は「(取り調べに)時間がかかったのは事実だが、任意性に注意して取り調べた」と、違法な捜査はなかったことを強調した。
 また、数万人に上った捜査対象者をS容疑者に絞ったことについて「DNA(デオキシリボ核酸)鑑定が大きな決め手になったのは事実だが、これだけとは言い切れない」とし、今後の公判維持を考慮してか、捜査の手の内を明かすことは避けた。
 一方、事件後間もなく「(事件を)早く忘れたい」と足利市内を去り、転居したMちゃんの父親は、二日未明、捜査本部から容疑者逮捕の電話連絡を受けた。
 両親は、同本部を通じ「(省略)」と現在の心境を明らかにした。
 一方、逮捕後の午前一時三十五分ごろ、健康診断を受けて留置所に入ったS容疑者は、そのまま横になって何か考えているようだった。二日朝は午前七時二十分には起床、ふとんを正しくたたんで正座していたという。しかし、出された食事は三分の一程度しか手をつけていなかった。

DNA鑑定が決め手


執念の捜査1年半


栃木県足利市のM・Mちゃん殺害事件は、足利署捜査本部の執念の捜査で、事件発生以来、一年半ぶりに解決した。有力情報がなく捜査は難航、一時は迷宮入りをささやかれた事件を解決に導いたのは、DNA(デオキシリボ核酸)鑑定という先端技術だった。
 幼女を狙う犯罪は、ふだんの生活から端緒をつかみ、犯人に到達することは難しいといわれる。犯人は普通の生活をしている、一見正常そうな人間とみられる変質者であることが多いからで、捜査本部長のM県警刑事部長も「人間の裏に潜んだ変質な性格を割り出すのが捜査の難しい点だ」と繰り返していた。
 その難しい捜査の突破口となったのが、Mちゃんの遺体に付着していた犯人の体毛のDNA鑑定だった。
 捜査本部は市内全域を対象にしたローラー作戦で、S容疑者(四五)が捜査線上に浮かんだ後、ひそかに行動を監視。地道なアリバイ捜査を続けるとともにDNA鑑定に必要な犯人の体液の入手に全力を挙げた。
 これまでにリストアップした不審者の中から、Mちゃんの遺体に付着していた犯人の体毛と同じB型の血液型を持つ全員からも、だ液を任意で提出してもらった。
 だ液の任意提出は、試験紙片をちょっとなめるだけの簡単なもの。この中にS容疑者も含まれており、DNA鑑定をした結果、確率はやや落ちるものの一部がS容疑者の遺伝子と一致した。


DNA(デオキシリボ核酸)鑑定 人の染色体にあるDNAは、糖、リン酸と四種類の塩基で構成されているが、遺伝情報はその四種の塩基の配列順序で決められる。鑑定は、その配列順序を読み取ることで、個人識別をしようとするもの。一卵性双生児以外は万人不同といわれ「DNA指紋」とも呼ばれる。一九八五年に英国でその技術が発表され、親子鑑定に利用されるようになった。犯罪捜査への利用は、米国で進んでいる。赤血球以外の細胞ならなんでも対象となり、現在では一ミリ四方の血痕でも鑑定が可能だという。

1991年12月3日(火曜日) 東京新聞 朝刊


足利の幼女殺し


いたずらが目的


S容疑者自供『騒がれては困る』


 栃木県足利市で昨年五月、同市に住んでいたM・Mちゃん(当時四つ)が殺された事件で、足利署捜査本部は二日、殺人と死体遺棄の疑いで逮捕した同市S容疑者(四五)の身柄を宇都宮地検に送検した。
 これまでの調べに対して、S容疑者は「いたずらしようとした時に、騒がれては困ると思って殺した」と、Mちゃんをいたずら、殺害する目的で誘い出したことを供述した。
 捜査本部は三日から詳しい動機、殺害の方法などを本格的に追求、事件の全容の解明を急ぐ。また、捜査本部は二日、再度自宅と実家を家宅捜索、成人向け雑誌やポルノビデオなど約二百点、犯行に使ったとみられる自転車を押収した。
 捜査本部によると、S容疑者は、一日朝からの任意事情聴取に対して容疑を否認していたが、同日夜になって「殺したことを話す勇気がなかった。しかし、Mちゃんの霊に申し訳ないとわびる決心がついたので、正直に話します」と供述を始めたという。
 家宅捜索で捜査本部は手帳類、ビデオ、雑誌などを押収したが、ビデオのほとんどが成人対象のアダルトもので、内容的には幼女を扱ったビデオではないことがわかった。
 また逮捕の決め手となったDNA(デオキシリボ核酸)鑑定では、今夏、S容疑者が捨てたごみの中から採取した同容疑者の体液とMちゃんの衣類に付着していた体液がほぼ一致したことが判明した。同県警のM刑事部長は「S容疑者がごみを捨てたときの写真もあり、同容疑者も自分のものだと認めている。他人のものが混じる余地はない」と述べた。

1991年12月3日(火曜日) 東京新聞 夕刊


Mちゃん事件


声掛け30分後 殺害


S容疑者さらに追求


 栃木県足利市渡良瀬川河川敷で昨年五月、同市に住んでいたM・Mちゃん(当時四つ)が殺された事件で、殺人と死体遺棄の疑いで逮捕した同市S容疑者(四五)がMちゃんにいたずらしたのは殺害後だったことが、三日までの同県警捜査本部の調べで明らかになった。同捜査本部では同容疑者の自宅、実家から押収した手帳、メモ帳、アダルトビデオなどを分析しているが、いまのところ犯行を裏付ける証拠は見つかっていない。
 調べによると、S容疑者はパチンコ店の駐車車で遊んでいたMちゃんを見つけ、いたずらしようとして声をかけて自転車の荷台に載せて渡良瀬川河川敷まで連れて行った。同容疑者は「草むらの中でいたずらしようとしたが、騒がれたので殺した後、裸にしていたずらした」と供述したという。Mちゃんに声を掛けたのは午後六時三十分ごろ、殺害したのは三十分後の同七時ごろだった。
 同県警本部ではS容疑者がMちゃんを誘拐してから殺害するまでの時間が短いことから、同容疑者が初めからMちゃんを殺すことを意図していた可能性もあるとみて、さらに追求する。

1991年12月22日(日曜日) 東京新聞 朝刊


S被告


他の2幼女殺害も供述


Mちゃん事件と共通点


 栃木県足利市の保育園児M・Mちゃん(当時四つ)殺害事件で宇都宮地検は二十一日、殺人と死体遺棄などの罪で同市、元幼稚園バス運転手S被告(四五)を起訴した。
 一方、足利署捜査本部の同日夜までの調べに対し、S被告は、昭和五十四年と五十九年に同市内で起きた二件の幼女殺人事件についても、一部犯行を認める供述を始めた。このため、同捜査本部では二十二日朝から同被告への本格的な取り調べを始め、容疑が固まり次第、再逮捕する方針。
 足利市では五十四年八月三日、同市Fさんの長女、Mちゃん(当時五つ)が自宅近くの会社から行方不明になり、六日後、同市T町の渡良瀬川河川敷に放置された古いリュックの中から遺体で発見された。現場はM・Mちゃんの遺体発見現場の対岸で直線距離にすると約二百メートル、S被告が住んでいる借家からはわずか六百メートルほどしか離れていなかった。
 昭和五十九年十一月には同市Hさんの長女、Yちゃん(当時五つ)が同市のパチンコ店「△△」(当時)で両親がパチンコ中に行方が分からなくなり、一年四ヶ月後の六十一年三月七日、同店から二キロ離れた畑で白骨死体で見つかった。パチンコ店から行方不明になった経緯がM・Mちゃん事件と共通点が多い。捜査本部は、事件当時、S被告がこのパチンコ店の常連だったこともつかんでいる。
 二つの事件とも有力な目撃者、物証がなく、捜査は難航していた。二十一日夕、同被告が殺人と死体遺棄、わいせつ目的誘拐の罪で起訴された後、これらの二件について事情を聴いたところ、同日夜になってから二件とも自分がやったとの一部認める供述を始めたという。
 しかし、二件とも発生以来、時間が経過しており、有力な物証も残されていないため、捜査本部は二十二日朝から詳しい自供を得るとともに、自供を裏付ける物証の発見に努め、慎重に捜査を進めていく。

1991年12月某日 東京新聞 朝刊


S被告の供述 裏付け捜査急ぐ


他の2件の幼女殺害


 栃木県足利市の保育園児M・Mちゃん(当時四つ)殺害事件で起訴された同市、S被告(四五)が、同市内で昭和五十四年に起きたF・Mちゃん(当時五つ)、五十九年のH・Yちゃん(当時五つ)の二件の幼女殺害についても犯行を認める供述を始めたことから、足利署捜査本部は二十二日から本格的な取り調べを行うとともに、供述内容の裏付け捜査を進めている。
 これまでの調べによると、S被告は二件ともいたずらが目的だったことを認め、「M・Mちゃんの遺体を詰めたリュックサックは拾った」と供述。Yちゃん事件についても「自転車に乗せて連れ去った」と話しているという。
 両事件はいずれも犯人に結びつく有力な目撃証言、物証が乏しいうえ、発生以来、十二〜七年が経過してS被告の記憶にあいまいなところがあることなどから、捜査本部はさらに詳しい供述を得るとともに慎重な裏付け捜査をすることにしている。

1992年1月16日(木曜日) 東京新聞 


S被告 物証なく処分保留


宇都宮地検 F・Mちゃん事件分で


 昭和五十四年八月、栃木県足利市内で同市のF・Mちゃん(当時五つ)が殺されて遺体で見つかった事件で、宇都宮地検は十五日、同市S被告(四五)=M・Mちゃん事件で殺人・死体遺棄罪で起訴=をMちゃん事件については処分保留とした。
 M・Mちゃん事件での拘置期限が同日満期を迎えたのを受けた決定で、記者会見したY次席検事は「決め手となる物証がなかった」と起訴を断念した理由を説明した。
 S被告は昭和五十四年八月三日、足利市八雲神社境内で遊んでいたF・Mちゃんに声を掛け、近くの山で、首を絞めて殺害、リュックサックに詰めて約五キロ離れた渡良瀬川河川敷の草むらに捨てた、と自供して昨年十二月二十四日、足利署捜査本部に殺人容疑で再逮捕された。
 再逮捕以来、捜査本部では裏付け捜査を進めてきたが、発生から十二年も経過していることもあり捜査は難航、S被告が「道路わきで拾った」と言っているリュックサックの元の持ち主もつかめず、なくなっているF・Mちゃんの衣類も発見できなかった。
 宇都宮地検では自白以外に証拠が乏しく、公判で被告が否認した場合、公判維持が困難とみて起訴を見送った。
 同被告はこのほかにも昭和五十九年十一月の足利市、H・Yちゃん(同時五つ)殺害も自分の犯行と認めているというが、今回のF・Mちゃん事件についての処分保留決定でYちゃん事件が立件できるか微妙になった。
 F・Mちゃんの父親、Fさんの話(省略)

以上です。


このあとは、各記事を比較して特に気になった箇所をいくつか取りあげてみる予定ですが(ワイドショーについてもそのときに)、早ければ今日明日、無理なら来週末以降になると思います。ひとまずここまで。



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-追記(2010/1/23)-
足利事件 前科」で検索をかけられることが多いので補足しておきます。ネットで検索をかけると逮捕されたSさんに前科があるという前提に立って書かれたエントリなども見かけますが、↑にUPした事件当時の新聞記事(1991年12月2日夕刊)にも「S容疑者は前科もなく、事件発生当初、仕事熱心なまじめな男として、変質者のリストから漏れていた。」と報道されてるように逮捕されたSさんに前科・犯罪歴はありませんでした。 このことは宇都宮地裁判決文にも「これまで前科前歴はなく、一応真面目に稼働してきたことが認められる。 」と記載されておりますのでお間違えなきよう。


*1:例えば、テレビ欄が朝からの分も載っており、記事内で「捜査本部は3日に逮捕状を請求した。4日より更に詳しく取り調べることにしている」と書いてあった場合は、「4日朝刊」の記事と判断

*2:Mちゃんが行方不明になったパチンコ店

*3:これは誤報。一度結婚している。追記:正確には婚約後、解消されてるようです。コメント欄参照。