映画『野火(3回目)』を観た(@立川シネマシティ)

というわけで3度目観てきました(前回と同じiスタ)。『鉄男TBM』を観たときに、スクリーンと席の距離によって作品の印象が随分変わったこともあり、3度目はIMAX状態で観ようと決意。前から2列目を獲るつもりで劇場の予約画面にいってみると、予約自体はまだ全然入ってない状態にもかかわらず「珍しく1列目、2列目に人がいる」。ツイッター見たら舞台挨拶の発表がなされた直後だったようで、170席ほぼ満席という状態で3度目の鑑賞となりました。


舞台挨拶自体は25分後に次の回の上映が始まるということもあり、この後のサイン会に向けパンフや書籍「塚本晋也×野火」の内容説明と、会場からの質疑応答を3つぐらいって感じだったかな。写真撮影OKで、「撮ったからにはネズミ講のように広めてください(笑)」と。また「書籍はサインすると売るときに価値が下がっちゃうのでそれでもよければ・・・」ということでした(誰が売りますか!)。


当日の質疑応答については、詳しくUPされてる方がいるので↓こちらでどうぞ。
映画『野火』 塚本晋也監督の舞台挨拶 @立川シネマシティ(@おのちゃんの徒然日記)


立川シネマシティでの上映は8/28(金)で終了となりますが、渋谷ユーロスペースでは9/18(金)まで上映される予定です。ま、ここが終わってもアップリンクとかポレポレとか下高井戸シネマあたりへムーブオーバーしそう・・・というか、するだろうけどね(決めつけ)。東京以外の公開劇場はこちらからどうぞ(終了日も記載されています)。東北地方は9月5日より一斉公開です(さすが安定のフォーラム系列)。


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というわけで3回目の感想。前回は同じスクリーンのE列(前から5列目)で鑑賞。今回はB列。前から2列目のIMAX状態で鑑賞。ま、さすがにちょっと首が痛くなったのでC列でも良かったかもしれない(汗)。


あのね、やっぱ違う。近くで観ると全然違う。IMAX向けに作られた映画ではないため、動きの速いシーンや暗がりの場面では映像が捉えづらく、初見でIMAX状態はオススメしないけれど、1度2度観た人は1回試しにIMAX状態で観て欲しい。クローズアップやPOVに近いショットが多用されてるせいもあって、スクリーンが視野いっぱいに広がる状態で観るていると、“登場人物の視界が捉えたようなショット”に切り替わった瞬間、まるで自分が直接見ているように錯覚させられスクリーンの存在を忘れそうになるぐらいの臨場感を得られるんだよ。特に銃口を向けられる場面。あの銃口は他の誰かではなく完全に私自身に向かって向けられていた。そう感じた。


視野が狭くなるせいか、芝居以外の細部によく目がいくようになる。うっすら開いた口の隙間から見える歯の汚れ具合や、診療所で手当を受けてる日本兵の体からはみ出た臓物、見開かれた目、向けられた銃口、永松の傍らに置かれた蛮刀、などなど。もちろん人物の動きやカメラズームによって意図的に視点誘導かけられた部位には面白いほど誘導される。


スクリーンとの物理的距離が近くなる分、映像がもっと明るくもっとよく見えるのかと思いきや逆だった。前回見たときより画面が暗い。光量が足りない。うまく光がとりこめてない。暗がりのシーンはほんと見えづらいんだけど、逆に、明るくひらけた屋外のシーンになると、密林の緑、空や海の青といった自然が生み出す色彩豊かな風景が非常に鮮やかなものとして目の前に広がり、今まで観た中で一番美しく感じられた。きっと普段より瞳孔が開いて彩度が上がってたんだろうね(瞳孔が開くことによって彩度が上がるっていうのがどういう現象なのか経験したい人は、瞳孔を開く目薬をさされる眼底検査をオススメします→体験記)。また、煌々たる米軍のサーチライトに突如照らし出される場面では本当に眩しくて思わず目を細めてしまったし、窓の外に何かを見た田村が窓辺に近寄ってくるシーンでは、首から下の暗い部分がよく見えないせいで暗がりから田村の生首だけせり出してきたような印象を受けた(前回前々回の鑑賞でそんな風に感じたことは決してなかったのに)。炎がスクリーンいっぱいに映し出される場面では、音量ともあいまって、たき火の前に立っている時のあの熱さを思い出し、立ち上る炎から直に熱が放射されているように体感した。


それともうひとつ。今回、試しに空腹の状態で鑑賞してみたんですよ。自分の心持ちがどう変化するのかみるために。結果、田村の肩からこぼれ落ちる彼の肉片を見て、「あ、(落ちたら)もったいない」と初めて思ってしまった・・。落とさず喰って「よっしゃ!」と手元で軽くガッツポーズまでしてしまった・・・。初見のときはあんなに「いやその流れはムリがある」「そこで喰うのか?」と半ば失笑しながら見てたのに。慣れと空腹のコラボはキケンだなと思った。人の肉は抵抗があるけど、自分の肉だったらポイっと口に放り込んでしまうかもしれない・・・


・・・なんてことを帰りの車中で反芻してたら、ふと、幼い頃に読んだ手塚治虫の短編『荒野の七ひき』に出てくる宇宙人を思い出した。自分の体をちぎっては「たべる?」と他人に分け与え続けた結果、極限まで体が失われ歩くこともままならず死んでしまった宇宙人。いつも「たべる?」しか言わないんだよね。それがある日、うつぶせに倒れて死んでたの。あの話好きだったなあ。実家にあった「ライオンブックス」どこにいっちゃったんだろ。


『野火』では食料として芋がものすごく重宝されているんだけど、幼い頃、白土三平の『カムイ伝』によって飢饉における《芋最強伝説》を植え付けられてたおかげで、劇中の芋にまつわるやりとりを見るたび「ああ、ここでも芋なんだ。やっぱり芋なんだ!」と変なところに感慨を抱いてしまう。しかも私の記憶貯蔵庫には、食べるものがなくなったら馬糞をほぐして未消化の草を取りだせば食物繊維が手軽にとれるという「芋すら無くなれば馬糞を喰えばいい」という《馬糞最強伝説》というのも保管されていて、これも同じく『カムイ伝』から仕入れた謎知識なんだけど、子供の時は純粋に「すげえ!」て感嘆してた。でもあれほんとなのかな。ねえ、白土先生。どうなのよ? ・・・でもそうだね、人肉よりまず馬糞。馬糞を試さねばならないね!(劇中で馬なんか一頭も出て来なかったけど>ダメじゃん>ていうか、腸に馬糞を移植すれば、腸内フローラが変化して草喰っていきられる人間になれるんじゃないの? なれないのかな)。


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上映後のサイン会は長蛇の列でした。個人的に、長年言いたかったお礼が言えたので満足(自己満足)。列で待ってる間に書籍をぱらぱらめくっていたら、監督の手によるあとがきに「レイテ島の遺骨収集にも同行した」って書いてあってなんだかすごく納得した。『ヴィタール』観たときに「献体もいいかもしれない」って思ったけど、『野火』でもあの道端に溶け込む死屍累々と帰りたい帰りたいの想いを見たら、骨だけでも帰してあげたくなったもんなあ・・・ていうことを直接監督に言えば良かったんだ! 反省。次の機会に頑張る(でもきっと忘れてる)。


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