『かもめ食堂』で小林聡美が演じている主人公サチエの人物造形について

小林聡美というワードで急に書きたくなったので書く。ちなみにもう随分見返してないので細部はうろおぼえです。


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私がこの映画でおそらく一番気に入ってるのは小林聡美演じる主人公サチエの人物造形について。ただ人によって印象がえらく違うので自分の内面を投影してみてる側面がたぶんにあるのかもしれない。


私の目に映った『かもめ食堂』という映画は、「フィンランドフィンランド人相手に日本食を提供する食堂を開く」という夢を抱いて念願のフィンランドに店をオープンさせたものの、「わざわざ売り込みなんかしなくたって真面目に良い物を作ってればいずれ客はやってくるもの」「フィンランド人に日本食を食べさせるのが目的なんだから日本人客相手の商売なんてしたくない」「日本食の店なんだから洋食提供するなんて本末転倒」「客第1号には一生涯無料でコーヒーをサービスする」といった数々のルールを自分自身に課してがんじがらめになってる主人公が、ひょんなことからミドリ(片桐はいり)という女性と知り合い、何事も完璧できちっとした性格のサチエとは真逆に位置するルーズで不器用なミドリをあえて自分の生活の中に取り入れることで、自分にとっては侵すことの出来ない聖域となってた数々のルールを、ミドリという他者の手によって壊してもらい、自力ではいずれ潰れる運命にあったお店を、こだわりを捨て他人の助けを借りることでようやく軌道に乗せることができた、ということで「もっと人生柔軟に生きてみてもいいんじゃないか」ということを言ってる映画だと受け取ったんだけど、公開当時他の人の感想読むとサチエのことを「何事にも動じず、懐深く、非の打ち所のない完璧人間」と見てる人が結構いて、「人によってはそういう風に見えるのか」と驚いたのをよく覚えてます。サチエみたいなタイプが現実にいたら、自分の秩序ある生活を乱すミドリみたいなタイプは絶対懐に入れない。それを入れるっていうことは、自力ではもはやどうすることもできなくなったいまの状況を打破する《きっかけ》をそれだけ彼女が欲してたってことだと思うんだよね。だからサチエの人物造形を見て「あんな完璧人間、嘘くさい」ていう人がいたら、「そこがサチエの短所だっていうことをちゃんと描いてる映画だと思うよ」ということは一言申し添えておきたいです。


その後、この映画の大ヒットにより、小林聡美に来る役といえば悟りを開いた完璧人間ばかりという弊害がいまだに続いてるんだけど、そろそろ人の顔色伺って流されちゃう心配性でお調子者の役とかこないかね。もう無理なんだろか。