その日の朝、夢を見た。私が見る夢は、基本、実際にリアルで会ったことのある人か芸能人しか出てこない。「誰この人、見たこと無い」ていう人は、滅多に出てこない。しかし、その日見た夢は知らない人ばかりだった。知らない街で知らない人とビルの一角に居た。楽器がいくつか置いてあり、私が「10代の頃ベースを弾いてた」と言ったら、じゃあちょっと一曲やろうよということになりベースを渡された。「いやでももう何十年も弾いてないからなあ」と思ったものの、ネックを持ったら勝手に手が動いて「あれ? まだ全然弾けるじゃん」となんだか楽しい気分のまま何かの曲を演奏した。「じゃあもう一曲」と別の曲を演奏し始めたところ、「あれ?チューニング合ってない気がする」と音のずれが気になり、自分だけ演奏を中断しチューニングを試みるも、どのフレットを押さえると何の音が出るのか基本的なことが思い出せない。ピックで弦をはじきながらペグを回したら、弦がどんどんゆるんできて、バチン!と弦が切れてしまった。よく見ると紙紐でできた弦だった。「え? 張り替えなきゃ」と思ったところで目が覚めた。起き上がってベッドに腰掛け、しばしいま観た夢の内容を反芻する。ネックの感触がまだ手に残っていた。その感触を味わっていると、「久し振りにベースが弾けて楽しかったなあ」という気持ちが胸に充満してきた。寝る直前に「そろそろ録り溜めてた『ぼっち・ざ・ろっく!』を見なきゃなあ」と思いながら寝たせいだろうか。バンドブーム世代なので、中学の時にベース買って、高校で友達とバンド組んで、大学で一人暮らしするときに家に置いてきてそのまま弾かなくなり、「姉ちゃん、もうベース弾かない? 友達が欲しいって言うんだけどあげていい?」と聞いてきたので、ベース・チューナー・アンプ一式あげてしまった。以来、30年ぐらい弾いてないが、楽器屋の前を通るたびに「左手の握力落ちてきたし、また始めようかな」と思うし、実は当時買った楽譜のいくつかはいつか再開したくなったときのためにまだ持っている(※大人になってミニギターは買ったが「やっぱベースの方が楽しい」って全然弾いてない)。
そんな昔の感慨に浸りながら、映画館に行くため電車に乗った。今日は『シン・仮面ライダー』を観に行く予定を立てていた。友人から花見に誘われていて、「雨が降ったら『シン・仮面ライダー』にしよう」と言われており、録画したが未見のままになってるBSドキュメンタリーを見たらどうせまた観に行きたくなるんだろうが『シン・仮面ライダー』を自力で二度も観る気力はなかったので、「これはいい機会」と思い、友人と観ることになる前に事前に一人で観ておくことにした。
映画館に向かう車中ではてなブックマークを見ていると、紀里谷和明監督のインタビュー記事が上がってた。
記事は読まずはてブのコメント欄だけ眺めてた。そういうや、当時『CASSHERN』擁護派を背後から撃ちまくり「ほんとちょっと黙っておいて!(怒)」と言われていたのが紀里谷和明本人だったことも思い出した。『シン・仮面ライダー』が賛否両論でかなり酷評されていることは知っている。だから腰が重くていまごろようやく見に行く気になったのだが、公開当時賛否両論だった『CASSHERN』の記事がいまごろまたあがってくるなんてなんの因果だろう。
私は当時、アニメーションも自主映画もカレル・ゼマンや大林宣彦のような書き割り背景も大好きだったため、初監督作品特有のやりたいこと全部盛りした足し算ばかりで過剰で熱苦しく超がつくほど青臭い『CASSHERN』が、拙いながらも嫌いになれないというか、むしろ大好きだった。いまでもまだ、家のちっこいテレビではなく映画館の大きなスクリーンで「目が痛い」って言いながらもう一度観られないかなと思っている。
ちなみに『CASSHERN』が公開されたのは2004年4月。庵野監督の実写映画『キューティーハニー』も2004年5月公開。押井守の『イノセンス』が2004年3月、荒牧伸志の『APPLESEED』が2004年4月、中島哲也の『下妻物語』が2004年5月、湯浅政明の傑作『マインドゲーム』と大友克洋の『スチームボーイ』が2004年7月、『ハウルの動く城』が2004年11月と、2004年は《アニメーション表現》にとって重要な年だった。
まさか、この1時間後、『シン・仮面ライダー』観ながら、「この映像、『CASSHERN』みたい」と心の中で呟くことになるとは。今年アカデミー賞を総なめにした『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』にも『マインドゲーム』みたいなアニメーション表現が出てきたし、なんの因果だろう。
そんなことがありつつ、空席の目立つ映画館で『シン・仮面ライダー』を観た。昭和の仮面ライダーなんて「私が怪人やるから」と飽きっぽい弟にスーパー1ベルトを買わせ(もちろん買うのは親)、私はこえだちゃんと木のおうちを買ってもらい、最終的に両方自分のものにした思い出しかないけど、今回の仮面ライダーはとにかくビジュアルのすべてが格好いい。スーツもバイクもキックも全部格好いい、登場シーンでかかるお決まりのSE&BGMには無条件にテンション上がるし、風景萌えとしてはロケーションはどこもかしこもいいし、本郷猛の池松壮亮も一文字隼人の柄本佑の芝居もグッとくるし(バックボーンが語られる前に感情を点で正確に表現しなきゃならないのはなかなか大変だけどその積み重ねが大事)、ルリ子はどう見ても実写綾波レイだし、ハチオーグは東映ピンキーで実写アスカだし、チョウオーグは劇団新感線だし、トンネルは暗くて「テレビで観たら全然見えんな」と思ったし、最後の決戦では急に泥臭くなって「それでいいのか?」「もうちょっとカメラ引いて」て思ったし、エンドロールで出てきた俳優陣の半分もわからず驚愕したけど、最終的な感想としては、タイトルの通りです。まさか泣くとは思わなかった。
正直、どこで泣いたのかもよく思い出せないんだけど、後半、3回ぐらい泣いたと思う。感覚としては『マイマイ新子』の時に近いかも。
私のあずかり知らないうちに何かが少しずつ積み重なって、満杯に来たらあとはちょっとしたことで涙が溢れている。さすがに号泣はしなかったけど、帰りの電車の中で人の感想読んでまた泣きそうになるっていう。感情の高まりを抑えきれなかった。
ただね、否定派の意見もわかるし、手放しでオススメはできない。私自身はすごく良かったんだけど、そもそももどこがそんなにぶっ刺さったのかいまいちよくわからない。たぶん個人的な理由なんだと思う。そもそも『シン・仮面ライダー』観て泣いてる人がいるなんて話、聞いたこと無いし、それでいて、私以上に泣いてるおっさんのすすり泣きが聞こえもした。というわけで念のため、Twitterで「シン・仮面ライダー 泣いた」で検索したら、おやまあどうしたことでしょ。意外といるのよ、泣いてる人。どういうこと?
そういえば、劇中、チョウオーグと対峙するシーンでかかるBGMの中に明らかに聞き覚えのある男性ボーカルがいたのよ。「これ、福岡ユタカじゃないのか?」「いやでも庵野監督とつながらない」「でも絶対福岡ユタカ」と思ってエンドロールにその名を発見したときはガッツポーズとったけど、それも関係あるのかな。また10代の思い出話で申し訳ないけど、中学の時にPINKってファンクバンドがいて大好きだったのよ。周り誰も知らないおっさんバンドでいまと違ってネットもないから全然誰とも「好き」って感情を共有できなかったんだけど、すごい好きだったの。そのボーカルが福岡ユタカだった。ソロになってから「ニュースステーション」のオープニング曲を担当したりもしてるので聞き覚えある人はいると思う。今回音楽を担当した岩崎琢氏の作品(「ヨルムンガンド」「刀語」等)でこれまでも競演してたのか。うわー、知らんかった。
福岡ユタカ NS2000(「ニュースステーション」オープニングテーマ)
PINK Traveller
朝の夢から始まり、弟とライダーベルト付けて仮面ライダーごっこした思い出とか、福岡ユタカとか子供の頃の自分が呼び戻されてる感じ。でも、いまひとつまだ泣ける理由としてはピンとこない。
家に戻って早速、録画していたBSプレミアム『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 〜ヒーローアクション挑戦の舞台裏〜』見る。過酷。池松くんは映画学科卒で自主映画での監督経験もスタッフ経験もあり、佑くんは映画オタクで何本か監督経験もあるから、それ込みでこの過酷な現場にキャスティングされたのだとしたら策士だなと思う。田渕アクション監督の心が折れたまま終わるんじゃないかとヒヤヒヤしたが最終的に回避されて良かった。映画観てる時は「なんで最後の最後で泥臭いの?」と若干チープに感じたチョウオーグとの殴り合いで泣く。「ああ、そうか。庵野さんがやりたかったのはこれだったのか。これは泣くよ。でも、このシーンで泣かせたいならこのドキュメンタリー並みのドラマが欲しかった」と思った。
ドキュメンタリーを見ても分かったのは役者の肉体力に泣かされたのは間違いないが、それ以外の何が私の中の何にぶっささったのかよくわからず、引き続き感想を漁る。すると「バイク乗りは観るべき」というコメントにぶち当たる。確かにバイクシーンはめちゃめちゃ格好いい。サイクロン号が自立自走で本郷とルリ子の後ろをついてくるシーンなんて萌え以外の何物でも無い。私が昔乗ってたホンダNS1を思い出したよ。ん? まさか…
…と思って「シン・仮面ライダー バイク乗り」で検索かけたら、この界隈だけ大絶賛じゃないか!! 大勢のバイク乗りが「バイク乗りは観に行け」「バイクに乗って観に行け」と言ってて、感想読んではまた泣く。
シン・仮面ライダー バイク乗り - Twitter検索
そりゃ、乗らなくなって10年以上経つ私ですら、映画観たあと、バイクに乗って帰れたらどんなに幸せだったろうと思ったもん。辛いに一本足したら幸せか。どんなに辛くたって、お前と一緒に走れば戦うエネルギーが充填される。それが仮面ライダーだよ。仮面ライダーはヒーローである前に、ライダーなんだよ。そこだったのか。そこが私にぶっ刺さったのか。
私が昔乗ってたホンダのNS1は平成11年(1999年)に施行された排ガス規制の関係で製造中止になった。1991年発売だからわずか8年ちょいの命だった。24年経ったいまでも中古で売買されていて、いまの20代の子がもう製造されてないNS1に乗ってるなんて感慨深い。原付なのに中型バイクより一回り小さいぐらいで、オートバイなのにメットインという珍奇で画期的なバイクだった。初めてのバイクにはもってこいなのよ。親に「原付買うから」て言って許しを得て、バイク屋から届いた時「(父)オートバイじゃん!許してない!」「(私)原付だよこれ。スクーターを買うとは言ってない」「(父)ぐぬぬ」と騙くらかしたのもいい思い出。社会人になっても通勤で乗ってたけど、職場が通える距離じゃなくなり、街中で駐輪できる場所がどんどん少なくなって乗らなくなったんだよなあ。売って得た金はいまだに使わず取ってある。
私が売ったNS1と同じモデルに乗ってる人がいた。
他人の乗るNS1を見てまた泣く。私がドナドナしたNS1も誰かが乗っていてくれてるなら嬉しい。
というわけで、『シン・仮面ライダー』が一番ぶっ刺さるのは、バイク乗り、それもかつて乗ってたが売っ払って久しく乗ってない元バイク乗りです。観たらまた絶対乗りたくなるのでオススメします! (↓このサムネイル見たらわかるでしょ?)
シン・仮面ライダー 予告
なんかもう、「私ってそんなにバイクに乗りたかったんだ」て思うだけで泣きそうになるからヤバい。平常心で観られるだろうか、2回目。
「庵野監督ってバイク乗ったことあるの?」と思ったら↓こんな記事があった。
『新世紀エヴァンゲリオン』で知られるアニメ監督・庵野秀明氏と、その盟友・前田真宏氏が制作に加わった本田技研工業のテレビCM「Honda Bike×ONE OK ROCK『Go, Vantage Point.』編が話題となっている。(中略)イラスト監修を担当した庵野氏は、「東京でアニメの仕事を始めた頃、師匠筋の宮崎駿さんからMTX50(バイク)をヘルメット付きで譲ってもらいました。友人の結婚式に出席するために、東京から大阪まで1号線メインで往復した事が、思い出深いですね」とバイクについての思い出を明かす。
【ホンダ CM】-Go, Vantage Point.(バイク編)-2018年