終末期医療における親の看取り〜「ETV特集 親のとなりが自分の居場所」

昨夜、Eテレで放送されてた「ETV特集 親のとなりが自分の居場所~小堀先生と親子の日々~」を見た。
小堀先生って以前に全盲の娘さんが終末期医療にある父親を看取ったときの先生だったのか。あれは見てるこちらがハラハラするぐらい娘さんが純粋な子で、自分が死んだ後、娘がひとりでやってけるのか心配する父親の方につい感情移入してしまうケースだった。今回も似たようなケースが1組あり、それで思い出した。


前回は老夫婦による老老介護がメインだったが、今回は「親の介護で20年以上無職」「精神疾患でひきこもり」「介護のため仕事を辞めた」という3人の独身中高年男性(50〜60代)がそれぞれ高齢の終末期にある親を介護してるケースだった。そのうちのひとつ、仕事を辞めて母親の介護生活に入った男性については、取材期間中に自殺し母親がひとり取り残される事態となりやりきれない。小堀先生は「使えるものはなんでも使って全部自分で抱え込もうとしちゃだめ。適当がいちばん」と言ってたけど、適当にできない性分の人には「適当にやる」っていうのがなかなか難しい。


仕事も辞めて介護一筋となると生活費は親の年金から得ることになり半ば共依存みたいな関係が続く。故に、亡くなった後、収入が途絶えて介護してる側が一人で生きていけるのかという懸念が常につきまとうんだが、かれこれ20年以上母親の介護を続け、いつ取材にいっても明るく快活。小堀先生に褒められるぐらい適当にやってた無職の男性は、仲の良かった母親を穏やかに看取った時、とっても充実した顔を見せていて、このおっちゃんだったら一人になっても生活保護への道筋さえつけばなんとかやっていけそうな気がした。せっかく20年も介護やってたんだからそのスキルをいかしてとも思うけど、大好きな母親と他人じゃまた勝手が違うしね。亡くなったときの母親の横顔がとても綺麗だったのも印象的だった。


もう1組、父親が末期がんになり入院生活を送ることになったが、息子が長年精神疾患で引きこもっており、家にひとりでおいておくのは心配で入院できないと在宅介護を希望した親子。息子さんは精神的に不安定で、父親の死を受け入れる心の準備ができるかどうかが小堀先生の一番の気がかりだった(おそらく父親にとっても)。介護は介護職員にやってもらいそれを傍で見守ることしかできなかった息子さんだったが、コロナ禍による人手不足で介護職員が毎日訪問することが難しくなり、やむにやまれず父親の胃ろう介助を自らの手で行うようになった結果、“父親の命を自分がつないでる”という確かな実感によって自信を少し取り戻し始めたようで、久しぶりに取材に訪れると不安げな様子は無くなり、穏やかに最期まで看取れそうなところまで親子関係が進展していた。終末期医療の問題になると【亡くなる人の残りの人生は誰のためにあるのか】ということをよく考えさせられるのだけど、ひきこもった息子にとって親の介護が社会復帰への自信や訓練に少しでもつながるのであれば、親としてはこれほど嬉しいことはないんじゃないかと思う。



うちは父親が末期がんとなり治療することなく在宅での終末期医療に入った時、家族がたくさんいて良かったと思った。負担も不安も分散できたから。余命1ヶ月なんてドラマみたいな話だったけど(実際は4ヶ月生きられた)、父の鶴の一声により家族の意思統一は徹底されてたので、悩むこともなくあっという間ながらも穏やかに過ぎていった。ただし、これがもしそりの合わない家族だった場合、負担も不安も期待からの落胆も増幅するだけで「そんならむしろ要らない」てなることは間違いないんで、一概にどっちがいいとは言えないかな(無きゃ無いがその人にとっては当たり前だしね)。ただでさえしんどいのだから、悩み少なく穏やかなのが一番。負担を少なくするため積極的に他人に頼れというが他人に関わられる方がしんどいという人もいて難しい。そして、どんな医者と巡り会うかは運。助からないなら、自分の家族と相性のいい医者と巡り会いたい。・・・小堀先生、長生きしてください。


NHKさん、BS1での完全版放送を待ってます。


番組の詳しい内容は↓こちらでどうぞ。↑に書いてあることがより詳しく書いてあります(笑。書くまでもなかったじゃん>書く前に見つけないおまえが悪い)。



前回放送した小堀先生と終末期医療のドキュメンタリー「NHK BS1スペシャル 在宅死 “死に際の医療”200日の記録」は日本医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞し、『人生をしまう時間(とき)』というタイトルで昨年劇場公開されました。


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今晩夜9時放送の「NHKスペシャル ドラマ こもりびと」は10年以上ひきこもり生活を続ける男性と、自らの余命宣告を機に改めて息子と向き合う決意をした父親についての物語です。