本日、ポレポレ東中野にて高橋陽一郎監督『日曜日は終わらない』(出演:水橋研二、林由美香)が一夜限りの特別上映!(7/5(日)21:00より)

7/11(土)より上映される映画『あんにょん由美香』(松江哲明監督)の公開を記念し、現在ポレポレ東中野にて『R18 LOVE CINEMA SHOWCASE VOL.6(林由美香×松江哲明特集上映)』が開催されているのですが、本日21:00より特別上映されるのが、第36回シカゴ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞し、第53回カンヌ国際映画祭《ある視点部門》にも正式招待されながら、NHKでの再放送もままならず未だソフト化もされず、故に幻の傑作ドラマとして語り継がれては主宰スタッフの尽力により映画祭や特集上映で時折その姿を垣間見ることができるNHKハイビジョンドラマ『日曜日は終わらない』です。

『日曜日は終わらない』(1999年 NHK-BS2放送)


海へ行くつもりだったあの日、僕は何故か人を殺した。


【監督】高橋陽一郎【脚本】岩松了【音楽】りりィ&Yoz
【出演】水橋研二/林由美香/塚本晋也/りりィ/渡辺哲/絵沢萠子/山口美也子/伊藤歩/大杉漣/沢木麻美/サニー・フランシス/岩松了/新屋英子/光石研
90min/1999年

高橋陽一郎監督とえいば、いまや大河ドラマ天地人』での舞台風スポットライト演出ですっかり有名になってしまいましたが(苦笑)、本作は罪を犯す青年の心模様や、家族・社会との関わり方を、『天地人』とは真逆ともいえる抑制のきいた演出で静かに丁寧に描いており、「なんで高橋ディレクターにこんなに熱心なファンがつくのかわからない」という人には是非見て頂きたい作品でもあります。


リストラ青年による犯罪とそこからの再生を描いていることもあり、社会学者・宮台真司が選ぶ『とってもエイリアンズな日本映画』10選にも選ばれている本作ですが、『日曜日が終わらない』に母親役で出演している女優・りりぃの主演映画『パーク アンド ラブホテル』(熊坂出監督)公開時に行われた鼎談で、宮台さんが“屋上、非日常”という観点から改めて『日曜日は終わらない』に触れていたので一部転載しておきます(該当部分はリンク先の後半に出てきます)。

宮台:NHKディレクターの高橋陽一郎が作った『日曜日は終わらない』っていう凄くいいハイビジョンドラマがあるの。権利関係が片付かなくてビデオやDVDになってないどころか、映画館でもかけられない。上映運動をやって1回上映したこともあるんだけどね。
 物凄い傑作なんだ。で、この『パーク アンド ラブホテル』と、屋上の使い方が似てるんですよ。屋上での散髪シーンとか、夕暮れの屋上の使い方とか。でも、似ているぶん、かえって違いが際立つところがある。
 高橋陽一郎って僕と年が違わないせいもあって「中途半端な場所」というコンセプトをつきつめるの。たとえば「現実だったのか夢だったのかわからなくなる」とか「それがいつだったのかわからなくなる」みたいに時間が変性しちゃう場所として描かれているのね。
 けっして大袈裟な描かれ方じゃない。でも、主人公たちがそこを通過するたびにリセットされちゃう。「あれは何だったのか」「どういう意味を持つのか」わからなくなっちゃう場所として描かれるわけ。


映画監督の熊坂出さん、ミュージシャンの日比谷カタンさんと、まったり鼎談(@MIYADAI.com.Blog)

(追記:宮台さんのBLOGでも本日の上映向けに緊急告知が出ました。
 僕の1999年ベスト1『日曜日は終わらない』(高橋陽一郎監督)が一夜限り公開。(@MIYADAI.com.Blog)
 ビデオで60回以上見てるって(笑)、ほんと好きなんですね。)


せっかくなので、以前に1週間だけモーニングショー上映されたときの関連記事にも改めてリンク張っておきます。



それから作品の感想も少し。少しネタバレになるのであらすじを知らない方はお気を付けて。
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いつも水橋クンや由美香さん絡みでしか語ってませんが、青少年による家族殺しや自宅への放火事件が起こり、取り調べによって漏れ伝わってきた拙い自供をもとに「動機が不可解」「何故その程度の理由で犯行にはしるのか」と報道されるたび、私はいつもこの映画のことを思い出すのです。


水橋研二演じる主人公は、あまり自己を主張しないタイプのおだやかな青年で、自分の中の負の感情を他人に話さないし顔にも出さない、周りがそれでよければ自分も従いますといった感じで、何か相手に要求があっても些細なことだからと自分の中に押し込めてしまいがちな、本当にどこにでもいそうなごく普通の青年です。両親は離婚し、現在は母親と同居。父親の働く会社に就職してたがそこもリストラされて、いまは毎日なにもせず、街中を自転車で走り回ったりして過ごしてる。ある日、母親に新しい恋人が出来て、その交際相手が家に出入りするようになる。ちょっといわくつきの相手だが、主人公ももう社会人だし、母親が良ければということで特に反対することもなく受け入れてはいるが、交際相手が家にくるたび自分の居場所がどんどん侵食されてゆくようで居心地が悪く、なんだからくつろげない。交際相手は結構いいひとそうで、母親との結婚も視野にいれてるせいかなんとか主人公と仲良くなろうと懸命にコミュニケーションを図ってくる。けどそのたびにくつろぎの空間が侵されてゆくような息苦しい気分になり、表面上は嫌な顔もせず受け入れてるけど、でもやっぱりどうしても彼と一緒に家にいるのは息苦しくて、ピンサロのお姉さんのもとに通っては息抜きをする日々。そんな彼があることをきっかけに母親の交際相手を衝動的に殺してしまうのだけど、周囲からすればその交際相手とも表面上うまくやってるように見えてたはずで、実際主人公も殺したいほど嫌ってたり憎んでたりしたわけではないだろう。たまたま悪いことが重なってしまい、行き場を失った主人公の苦しみを解放する手段が当時の彼にはこれしかなかった、ストレスの元凶である交際相手を殺すことしかなかったことは彼の生活の一部始終を見てると容易に想像できる。


巷で青少年による殺人事件が起こったときにいつも思うんだけど、もし私がこの映画の主人公で警察に捕まって動機を聞かれたら、きっと「雨が降ってたから」って答えるだろうなと。だってほんとにそうなんだ。あの日、雨が降らず当初の予定通りピンサロのお姉さんとデートできていれば気分もリフレッシュされ殺すほどの追いつめられた精神状態になることもなかったはずなんだ。ほんとにたまたまなんだよ。いや、そもそも会社をリストラさえされなければ家を出て一人で暮らすという選択もできただろうし、生活が充実してれば、交際相手の存在もそれほどストレスに感じていなかったかもしれない。そういったいろんなことの積み重ねで起きてしまったことだけど、取り調べで警察に話すのは「雨が降ってたから」「殺すつもりはなかった」「なんでこんなことをしてしまったのか」「リストラされてなんか毎日が鬱屈してた」あたりだろうし、それが記事になれば「雨が降ってたぐらいで殺すのか」とか「リストラ青年の凶行」とか言われるんだろうなって思う。


劇中では主人公にとって母と暮らす「自宅」がどれだけ居心地のいい空間でありくつろげる場所であるかというのが、水橋研二ののびのびとした自然体極まりない演技で見事に体現されており、自分を解放できる大切な居場所が第三者によって侵食されることへの息苦しさが丁寧に時間をかけて描かれているからこそ、後に引き起こされる殺人も理解可能な行動として受け入れることができる。


巷で起こる青少年の不可解な事件も、断片的な事柄しかわからないからワカラナイのであって、四六時中彼/彼女に密着しその一挙手一投足にきちんと耳目を傾けていれば、一見不可解に見える動機も理解可能なものとして受け入れることができるのではないか。事件が起こるたび、この映画を思い出しては、いつもそんなことを考えてます。



追記(2019.7.27)
本作に対する宮台さんの詳しい批評が掲載されていました。読みたい方は↓こちらをどうぞ。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=1090