蓮實重彦とことん日本映画を語るスペシャル Vol.18「日本の幽霊Part.2」(@東京ウィメンズホール)

遅ればせながら今年の8月にABC で行われたハスミントークレポです。といってもほとんど↓こちらのお二方が書いてくれているので2点だけ補足。
蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.18『日本の幽霊 Part2 〜魑魅魍魎から遠く離れて〜』参加(@Kawakita on the Web)
蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.18(@Contre Champ)


まずひとつは、「中田秀夫監督」について。
仄暗い水の底から』『リング2』を例に、「母性を描いた“母モノ”こそ中田秀夫監督の特性である」(激しく同意!)という主張のもと、異形のモノを「抱きしめる」という行為について言及。『仄暗い〜』好きとしては、ハスミンが「見るべき所の多い佳作」というような扱いで客席に勧めてくれていたのが嬉しい。また、Jホラーの監督たちは、意識的にしろ無意識的にしろ知らず知らずのうちに『雨月物語』のラストで溝口健二がやったこと(既にこの世には存在していない者をそうとは知らずにやってきた者に可視化して見せる)を作品の中に入れてくる傾向があり、『仄暗い〜』のラストシーン(幼い頃に住んでたマンションを水川あさみが訪ねると母親である黒木瞳が出迎える)を紹介しながら、特に中田監督は溝口健二の影響をかなり受けてるようだということで今年公開された『怪談』はそれを前面に押し出して作られてるように思うと語っていました。


もうひとつはトークショーのラストで触れた「見えているはずのものが他人には見えてない」という問題、そしてそれを「可視化して見せる」という行為について。
Jホラーにおいては、《幽霊》というそこに在るはずなのに見えていないものを万人が見えるように「可視化してみせる」という行為が様々な監督の手により頻繁に行われているわけで、同じように《映画》というものも、画面自体はそれを前にしてる万人に向かって等しく開かれているにもかかわらず、そこに映し出されているものを全員が等しくちゃんと観ているとは限らず、ある人には見えてるものが他の人には見えてないという問題を常に抱えているわけで、(Jホラー監督が幽霊を可視化して見せてるように)画面に映し出されているはずなのに他の人には見えてないものを万人に分かるように「可視化してみせる」という役割を担っているのが“批評”という行為なんではなかろうか、とうまいことまとめあげて本日のお題を締めくくっていました。「幽霊には興味がない」と言っていた割には、なかなかどうして、きちんと本質をついてくるあたりはさすがハスミン!(侮れん・・・)