『次郎長三国志 第八部』『〜第九部』を観た(@シネマヴェーラ渋谷)

先週末、マキノ雅弘監督作『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』『〜第九部 荒神山・前編』を観てきました(上映は昨日まで)。


以前から日記を読んでくださってる方は薄々感づいていらっしゃるかと思いますが、私はエログロ怪奇モノ以外の古い日本映画を全くといっていいほど観ない人です。子どもの時から観慣れてないせいか、集中力を保つのにとても体力を使う(ヘタすると寝る)ので、いま観たら結構面白いかもしれないと思ってもなかなモチベーションが上がらない。だからどんなに傑作・名作と煽られようとピクリとも食指が動かなかったりするわけなんですが、本作は題材があの“清水の次郎長”で、次郎長といえば、ほら、そうですよ、「ちびまるこちゃん」! ・・・ま、それぐらいの知識量です(汗)。しかもマキノ作品自体1本も観たことありません(たぶん)。故に作品自体これといって興味がもてないわけですが(せめてサブタイトルに「怪奇!生首と幽霊長屋」「怨念!呪われた次郎長一家」とでも入っていれば全然違ったんですけど…)、今回何故に観に行く気になったのかというと、まあ、たまたま都心に出なきゃならん用事があって、せっかくだからなんか映画観て来ようと思ったけど、ここのところ考え事で頭ぱんぱん。こんなときに『カミュ〜』なんて観ちゃってまた考えごと増やしたくないしなあと思ってたら、「何も考えずに観られる後味すっきりな単純娯楽作」と紹介されてたのがこの『次郎長三国志』シリーズ。しかも、普段古い日本映画をあまり観ないような人までも嵌ってるご様子。「そんだったらちょっと観てみるかー」と思い立ち、行ってきましたよシネマヴェーラ渋谷


新しい映画館のせいか、自販機もトイレの電気も省エネモードで*1、見かけたことない新型設備にちょっとワクワク。上映中は非常灯も消える親切設計でした。



*客は40、50人ぐらいで、8、9割方男性。思ってた以上に若い人(といっても30代だけど)だらけでビックリ。んで、感想です。


古い映画はほとんど見ないので出てる役者さんは知らない人ばかり。案の定、顔の見分けがつかず困った。唯一知ってる志村喬長門裕之はさほど顔が変わらずすぐに判明。しかし肝心の森繁久彌が・・・(汗)。あまりに若すぎて、“森の石松”演ってると聞いていながら5分ぐらい気づかんかった(喋り方にデジャヴ感じてようやく気づいた次第。若いときはあんなに早く喋れたのか)。シリーズも後半なんで、特に人物説明があるわけでもなく、人間関係がよくわからないまま話は進む…。にもかかわらず、これが意外に面白い。50年以上前のしかも時代劇でありながら、台詞やらなんやらがいまの現代劇とさほどかわらず、肩肘張ってない分、非常にとっつき易い。全然体力要らんかった。


100%誤解受けそうだけど、まあいいや、書いちゃおう。

なんかね、《連ドラ》みたいなんですよ。キャラクターの立て方や肩の抜け方が、クドカン脚本ドラマとか今で言うなら『時効警察*2っぽい。うん、ひとり『時効警察』。監督同じなのに、八部と九部で色違うんだもん。


八部は死生観と石松の恋物語が時に繊細な描写でからみあい、短気で純情一直線の森繁久弥渥美清長瀬智也にしか見えんかった(誉めてるよ!)。森繁、スゴイ。お見逸れしててスマンかった。石松が恋する夕顔の「〇〇したんじょ」って言い回しがかわいくて、どこかで言いまくりたい。彼女が最後に見せる笑顔でもうたまらなく泣かされて、次郎長一家が仇討ちに向かってひた走るカットの挿入に「えー!? 次どうなるのー!?」って期待させつつ終わるもんだから、「これは九部観ずには帰れません!」とテンション高まるも、用事があったのでいったん退席…。数時間後にまた戻ってきて、さあさあ九部です(笑)。


八部であんな終りかたしたのに、その話はどこえやら(え?)。知らないうちに話が進んでて、状況もよく飲み込めず、登場人物も一新され、誰が誰だかよくわからないまままたもや話は進む。冒頭からどこから沸いてきたのか農民の塊がスクリーン上を小学校のプールでやった“世界一周”のごとくあっちへこっちへと大移動。その“動き”がなんだか団体演舞見てるようで妙に楽しい。固定したメンバーで話をまわす八部とは異なり、九部は印象に残るキャラが次々と出てきてメインパートをかっさらってく。もうね、観た? 吉良のジジイとか反則だろ?(笑) もし当時2ch実況板があって、テレビでコレやったらすごいことになってたぞ。「ジジイ キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!」で半スレ消費(もう間違いなし)。どっかの職人がワッショイAA作って、なんかあればみんなでワッショイ!とにかくワッショイ!いつでもワショーーイ! しかもこの回がまたイイところで終わるんだ。予告では「撮影快調!」なんて煽っときながら九部以降作ってないってどういうことさ!(もう飽きたの?)


深夜にチャンネル回したら「まーた木更津キャッツやってるよー。いい加減にしろ、TBS」とか言いつつも、結局メンバーと一緒に「キャッツ」「にゃー!」「キャッツ」「にゃー!」叫びながらまたずるずると最後まで見ちゃうのと一緒で、近くに映画館があって値段が安ければ「暇だなー。また次郎長でも観るか」っていつでもフラッと入れちゃいそう。それぐらい気楽にずるずると観てられる。だからかな、《連ドラ》っぽく感じるのは(スタンダードサイズってのもあるか)。



そういや、これが作られた頃ってもうテレビはあったんだろうか?と思い調べたら、1953年にちょうどNHKでテレビ放送が始まったばかりだった。本作は1954年製作だけど、シリーズ自体は1952年に始まってるから、テレビがまだ実験放送とかしてる頃だろうか。この当時の娯楽の中心がテレビではなく映画なんだとしたら、当時の人も連ドラ感覚でフラッと観に行ってたんじゃないのかなーなんて想像しちゃダメ?(映画の値段しらないけど)。


・・・ん? いまものすごく当たり前のことに気づいた。「テレビドラマを豪華にしたのが映画」ってよく言われてたけど、間違ってるよね。映画の方がテレビよりずっと先じゃん。なら「《連ドラ》みたい」って喩えもおかしいな。「連続ドラマって、連続映画みたい!」って言わなきゃダメじゃん! ここら辺の考証は当時生きてた人に頼む。



はあ。結局考え事をしなくてもいいようにコレ観に行ったのに、また考え事しちゃった!(怒)


*1:コインを入れると光量が増えたり、扉を開けると電気がついたりする。

*2:全9回の演出を三木聡岩松了園子温ケラリーノ・サンドロヴィッチ塚本連平といった個性的な演出家が担当