『宇宙戦争』を観た(@シネコン)

立川CINEMA TWOで観てきました。平日レイトで客は50人ぐらい。男女半々。


映画の詳細は以下の通り。

『宇宙戦争』 6/29(水)より世界同時公開


【監督】スティーブン・スピルバーグ【原作】H・G・ウェルズ【撮影】ヤヌス・カミンスキー
【出演】トム・クルーズ/ダコタ・ファニング/ジャスティン・チャットウィン/ティム・ロス/
114min/2005年


【STORY】アメリカ東部のニュージャージーに暮らすレイ(トム・クルーズ)は労働者階級のごく平凡な男。別れた妻との間には息子のロビー(ジャスティン・チャットウィン)と娘レイチェル(ダコタ・ファニング)がいた。子どもたちとの面会の日、その異変は何の前触れもなく唐突に訪れた…。晴天だった空が突如不気味な黒い雲に覆われ、吹き荒れる強風の中、激しい稲光が地上に達し、地面に巨大な穴を空ける。すると大地が震え、地中で何者かが激しくうごめき始めたのだった。その光景を呆然と見つめていたレイ。町が次々と破壊され、人々がパニックに陥る中、レイは子どもたちのもとへ駆けつけ、彼らを守るため懸命に奔走するのだった……。


原作は未読(たぶん…いや、読んだかな)。'53年版の方は、宇宙人の手が出てくるシーンぐらいしか覚えてません。んで、感想です。


このキャリアにしてここでコレが来るのかということに正直驚いた。子供の頃こそ「好きな監督は?」と訊かれれば「スピルバーグ」と答えていたけれど、そんな熱も最近じゃ下火になってたのに、「すげーよ、スピルバーグ。こんなの作っちゃっていいの?」と惚れ直した次第。ヒーロー不在のまま繰り広げられる終わりの見えない惨劇、めくるめく地獄絵図…。この緊張と興奮はアレだ。台風だ。史上最強の台風が近づいて、風がうなり、稲妻が光り、窓ガラスに大粒の雨が叩きつけられ、ガタガタときしむ窓越しに荒れ狂う外の景色を眺めてるような、そんな感覚。しかも一夜明けると見上げた空一面に青空が広がってたみたいな、そんな映画だった。ストーリーとか要らんです。説明もなく、そのまま台風のように過ぎ去ってくれても全然良かった。


音響はどこもこんなにすごいんだろうか。トライポッドが出す振動音により、鼓膜はもちろん座席まで震えた(マジで)。この絶え間なく続く重低音が微妙にストレスで、たまに静かになるとホッとする(おそらくここが一番、劇中の人物たちと心理的に同調した瞬間だったと思われる)。静寂も束の間、再び地鳴りが始まり、後はその繰り返し。重低音だけでもストレスなのに、これにダコタ・ファニングの悲鳴が加わるわけで(子供の悲鳴ほど神経を逆撫でするモノは無い)、「高音(ダコタの悲鳴)」と「重低音(トライポッドの振動音)」の二大騒音により、登場人物が感じる不安感やストレスを理屈ではなく生理的に体感させてくれる珍しい映画だった。これは家で観ちゃダメだ。体感型映画だからこそ、デカいスクリーン&音響の良い劇場で堪能しないと意味がない。



以下、ネタバレします。


音もそうだが、出てくる主要人物が皆、何かすぐにでも問題行動を起こしそうな危うさを孕んでいるところが、観ていて気分を落ち着かなくさせる要因のひとつになっている。


主人公であるレイ(トム・クルーズ)が、良き父、頼れるパパぶりを発揮してくれればいいのだが、危険時における行動力そのものは頼りがいのあるこの男も、人間的にはどこか稚拙で、全てを任せて寄りかかるには心許ない。父親というよりは、二十歳そこそこのお兄ちゃん。子供達の心情もあまりよく分かってないし(分かろうとするも方向違いで自己中心的)、父親としてのコミュニケーションも頭で動いてるようでおぼつかない。娘のレイチェル(ダコタ・ファニング)は精神的に過敏で、不安が高まるとパニックを起こし自分が抑えられなくなる。それを落ち着かせてくれる息子のロビー(ジャスティン・チャットウィン)も、妹想いの良きお兄ちゃんではあるが、好奇心が病的なまでに強く、それが元で最終的に父妹のもとから離れてしまう。ただし、この好奇心の強さは父親であるレイ譲りとも言え、初めて地面からトライポッドのタコ足が出てきた時、レイは、不安げに見つめる周囲の人々とは対照的に、嬉々とした顔を見せていた。「皆を守るために軍隊に入る」と言うなら「妹ひとり守れずに何を言う!」と説得できるが、目を爛々と輝かせ「最後まで見届けたい」と言うロビーに何も言えなくなってる姿を見ると、レイの中にも、少なからず息子の心情に共感してしまう部分があったのではないだろうか。


父娘をかくまってくれる男(ティム・ロビンス)も当初から気を許せない人物だった。レイが死ぬ気配などさらさらない時点でレイチェルに寄り添い、「お父さんが死んだら自分が面倒見てあげる」って、なんだお前、「一緒に戦おう」とか言っときながらレイを人身御供にするつもりか? 嫌がるレイチェルを連れ去ろうとしたおばさんの善意も、あの状況下では狂気じみて見え恐怖を感じたし、車に群がり乗せてくれと叫ぶ群衆も、一人車内に取り残されるレイチェルの状況も恐ろしい。理性の効かなくなった人間同士による殺し合いが最小限にとどめられていたことだけが救い(ま、トライポッドが襲ってくるのでそんな余裕もなかったし)。



「まるで虫ケラのようだ」とでも言いたくなるほど、人間が次々と血祭りにあげられてゆくだけで終わるのかと思いきや、終盤に入ると、殺戮兵器トライポッドから吐き出される真っ赤な人血が、空気中を霧のように舞う血染めの世界が用意されていた(!)。“血しぶき”や“血の海”ではなく“血の霧”っていうのが素晴らしい。霧状に吹きかけられた他人の血が瞼や唇をつたい目や口の中に入ってくる様や、周囲に漂う血の匂い、そんなものをリアルに呼び起こさせる描写だ。世界はまさに血で染まり、木の根っこにも似た真っ赤な繊維が赤く染まった大地一面に根を伸ばしてゆく様は、「人体の不思議展」に飾られた血管標本のようにも見え、いくら肉片飛び交ってないからといって、PG-12指定にしなくていいのかと問いたいぐらい(テレビでやるときは是非テレ東で!)。この状況はいつまで続くのだろう…このまま終わらないんじゃないか…と思ったところで、唐突にエンディングを迎える。


エンディングの雰囲気は、今までの地獄絵図が嘘かと思うぐらいにほのぼのとしたものだった(まさに一夜明けたら台風一過の青空)。原作が古典SFだということを瞬間的に思い出させてくれた上に、青空の下、鳥を頭に乗せてビルの向こうにそびえ立つトライボッドが、なんかウルトラマンっぽかった。ウルトラマンに出てくる宇宙怪獣みたいだった(誰か身長比べてみて!)。「シールドが切れた! いまだ、撃てー!」みたいなのも、地球防衛軍にやられる宇宙怪獣の最期みたいで、倒したはいいけれどなんだか諸手をあげて喜べないものを感じる。戦いはひとまず終わった。しかし、これでほんとにすべてが終りなのか。何かの機会に、また再び現れるんじゃないのか。彼らが現れた理由が分からないだけに不安が残る。


家族愛も擦れ違いだねえ。きっと家にいた奥さんには大変さの10分の1も伝わらないよ(『A.I.』よりは救いがある分まだマシか…)。


ネタバレ終了



できることなら6年前に観てみたかった。これさえあれば、7の月に何もなくても、ご飯8杯はいけたにちがいない。


【関連記事】
スティーブン・スピルバーグ監督インタビュー
『宇宙戦争』公開、スピ&トム&ダコタ来日記者会見(※長文。「大阪」についての言及あり)