瀬々、三浦、岡元の『ユダ』トリオによる爆笑トークショーの日に行ってきました*1。客入りは満席で、30代中心に7、8割が男性。他の日だと女性の割合がもうちょい多いようなので、岡元夕紀子効果かしらと思ったり(三浦君ファンの女子も頑張れー!)。
映画の詳細は以前の日記を参照。んで、感想です。
なんだかすごいことになってました。始まってしばらくは「『ユダ』より好きかも?」と思ったのに、最終的には「2度は観たくないです」ってな気分になった。でもしばらくすると「やっぱもう1回ぐらいは観てもいいかも」と思い始めるヘンな映画です。不快というのともまた違うけど、痛々しいことだけは確か。これまでの瀬々作品とは全然違って、ある出来事の一部分を接写で切り取った感じとでもいうか、そういった意味では好きか嫌いかは別にして…って書くと「嫌い」って言ってるみたいだけど、それすらもよくわからないので、「ある意味新鮮でした」とでも言っておきます。きっと成人映画館で見せられた人の中には「僕はもっと普通のでいいんですけど…」と思わず呟いてしまった人がいたにちがいない。あ、途中でお嬢さんが一人、お帰りになられました(終電が近づいてただけだと好意的に捉えておこう)。
「ヘンゼルとグレーテル」というのは、とっても上手い喩えですね。安川さんが言ったのか。音楽入ってなかったのに、何故かエンドロールで「音楽:安川午朗」となってました。劇中の環境音になんかまじってたのかな。
主演の不二子はすごかったです。これ、撮影が1ヶ月も続いてたら、彼女の気がふれてもうこちらの世界には戻ってこれないと思う(あー、彼女のトークショーに行っておけば良かった。誰かレポして)。貞子、伽椰子に次ぐホラーヒロインが出現したかと思うぐらい、最初から最後まですんごいテンションで演じきってた。「いやーこれは言及しとかねば」と思ったのが、一人遊びのシーン。唯一不二子がかわいく映ってるシーンでもあります(笑)。彼女が演じたのは自閉症の女性なんですけど、流れる水に手を触れ遊んだり、たくさん取れたトマトを抱えて歩いてる様が実に楽しそうで、私も単純な一人遊びはよくするので、あの時に彼女が見せた笑顔や水に触れる時の指使いなどは頭の中が透けて見えるぐらいリアルでした。
甥役の小谷健仁は、写真を見る限り「不二子と甥・叔母の関係って、年齢的に無理がありすぎるだろう」と思ったけれど、声が非常に若いので、喋ってると甥・叔母に見えるぐらいの年齢差を十分に感じさせるから不思議です。終始重いんですけど、アイスクリーム屋の兄さん(伊藤洋三郎)がおどけたキャラで心なごませてくれました。
というわけでネタバレ。いや、ネタバレになってないかも。ひどい見当違いをしてる可能性も大なので、本編観ずに読むときゃ注意が必要です(他の人の感想読んで不安になった…汗)。
どうやら私は観てる間中、自分とは違う認知世界で暮らしてる自閉症の妙子がいまどんな世界を見ているのか、それを掴むことにばかり必死になってたようで、観終わった直後なんぞは「結局コレは、妙子がお姉さんの死を知覚するまでの話だったんかい! えらい時間がかかったなあ」と肩から力が抜ける思いでした。甥の秀則が腹から血を出してるシーン、おそらく大事な台詞をいっぱい言ってたんだけど、それらはほとんど聞き取れず、故に秀則がなんでお母さん(妙子の姉)を殺したのかとか、そういう彼自身の背景についてはあまりよく汲み取れませんでした。
ネタバレ終了(早っ!)。
しょっぱなに「これまでの瀬々作品とは全然違って」って書いたのは、普段なら当然あるべきものがなかったからで、それは自分が瀬々作品(の中の特に瀬々&井土共同脚本モノ)を好きだと語るときにある意味不可欠な要素でもあり、でも、自閉症の妙子を中心に構成された世界なら、それがないのは当たり前で、画はあるのにその画には大事なそれがないからとっても物足りない、、、物足りないけれど、でも彼女の世界ではこれでいいんだろう、という複雑な感情がわき起こります。
で、何を見てそんなに物足りなく感じたのかというと、一番は《トマト》と《魚》。本作において、トマトはトマトでしかなく、魚は魚でしかなかった。トマトが切られるシーンを観ても魚が頭を潰されるシーンを観ても、「トマトが切られた」「魚が潰された」以上のものは汲み取れない。浴槽に浮かぶ真っ赤なトマトを観ても「ああ、赤は映えるねー」と思ったり、畑になってる真っ赤に熟れたトマトを見ても「やはり赤は目を引くよねー」とか、そんな感じ。普通ならそこになんらかの意図や意味、何か大きなモノの存在を感じるんだけど、ここでは何も感じられなかった。もともと、それは井土さんの領分だから*2本作にそれが無いのは当然なんだけど*3、例えば瀬々脚本の時はまずそういう画を入れてこないので気にならない。今回は井土さんが書いてる訳じゃないのに珍しく入れてある。なのにそこに何もないから物足りない。風景もいっぱい出てくるけど、『ユダ』とは違い、ほとんどが人物の後ろにある背景でしかなかった。風景については瀬々さんの領分で、もちろん今回も遠くに1本だけ木の生えた草原や、彩り鮮やかな幹が乱立する林なんか出てきて、「こういうのほんとにどこで見つけてくるのだろう」と感嘆するぐらい、監督の風景を探し出す感度、選び取るセンスは相変わらず絶好調なんだけど、『ユダ』にもあった“その風景の中に何か大きな存在を感じる”ようなことはまるでなく、風景は人物の背後の景色としてそこにあった。そこにちょっとした物足りなさを感じるのだけど、でも、視点を変えて「ここにあるのは自閉症の世界なんだ」と思い始めると、トマトがトマトにしか見えなくても、魚が魚にしか見えなくても、風景がただの風景にしか見えなくても、それはしごく当たり前のことでなんらおかしくないように思えてくる。
今回の脚本は瀬々監督との共同ではなく『ユダ』の佐藤有記による単独脚本だそうで、正直、こんな方向に行ってるとは思いもしなかったのでビックリ。彼女のオリジナルの個性はまだ判然としないのだけど、次はホラーらしいのでちょっと観てみたいですねえ(って、これは監督が田尻裕司なんですけど、私らも観られるの?)