死体、葬式、遺骨、魂、宗教

数年前、福井県に住む母方の爺ちゃんが死んだ。身内の葬式に出たのも、死んでる人を間近で見たのもそれが初めてだった。連絡をもらって東京から駆けつけると、爺ちゃんはお棺に収められる直前だった。死後、既に2日経っていた。白装束を着せられ居間に寝かされた爺ちゃんは、以前より縮んでしまったようでひどくちいさく見えた。鼻の穴に綿を詰められたその顔は、なんだかのっぺりとしていた。


死の報せは突然だった。正月に体調を崩し、そのまま還らぬ人となった爺ちゃん。婆ちゃんの方が身体が弱かったため、爺ちゃんが先に逝ってしまうとは思ってもみなかった。生きてる最期の姿を見たのは1年前。まだまだ元気だった。毎朝、カブに乗って数キロ先の山に行き、山道に立ち並ぶお地蔵さんの世話をするのが爺ちゃんの日課だった。子供の時は後部座席に乗せられ、よく山に連れて行って貰った。カブトムシの幼虫をよく取ってきてくれた。もの静かな爺ちゃんだった。


連日、福井県は記録的な大雪だった。雪の重みで、車庫の屋根が押しつぶされてる家を何軒も見かけた。通夜の日も天候は優れず「明日も大変だ」なんて心配した。しかし葬式の朝になると、前日までの悪天候がウソのように頭上には青い青い空が広がっていた。皆、「人徳だよ」と呟いた。私はお地蔵さんが晴れにしてくれたんだと思った。


葬式は奇妙だった。喪主が真っ白な羽織袴を着て、坊さんと一緒にいろんな儀式を執り行うのだ。珍しさに、悲しみもどこかに吹き飛んだ。奇妙な風習は火葬場でも体験する。


焼き上がるのに数時間かかるというので、親戚一同は宴会場で昼ご飯。遺骨は私ら孫が引き取りに行くこととなった。老人と言うこともあり、焼き上がった遺体はほとんどが灰となっていた。わずかに残った遺骨をマッドサイエンティストみたいな風貌のおっちゃんが手際よく選別。遺体の乗っていた台はアツアツだったが、匂いはしなかった。分骨するため3つに取り分けられた遺骨を、言われるままに箸でつまみ骨壺に入れていく。身体の主要部分の骨をかかとから頭蓋骨まで一欠片ずつ骨壺に移し終えると、壷の蓋は閉められた。台の上には、爺ちゃんの灰や遺骨がまだたくさん残っていた。「のど仏の入ってる骨壺はこれ。山のお寺さんに持ってくから、忘れず伝えるように」と念をおしながら、骨壺を布袋に包むマッドサイエンティスト。渡された骨壺はほのかに温かかった。3つになった爺ちゃんを抱え、親戚一同の待つ宴会場に向かう。台の上に残された爺ちゃんの遺骨・・・あれはどこに行ってしまうのだろう。裏山にでも捨てるのだろうか。普通、遺骨って骨壺に全部いれるもんじゃないの? 孫一同、「聞いておけば良かった」と後悔するもあとの祭り。


翌日になると、また天候が悪くなった。東京に帰る車中で父親に言った。
「昨日、私の誕生日だったんだよね」 
父は笑って答えた。
「ああ、そういえばそうだったね」 


・・・ま、人生なんてそんなもんか。妙な境地に達した20代最後の誕生日だった。



なんで突然こんな話をし出したのかというと、全てはオロスコのせいですよ。オロスコの。