うにくらげ第二回公演​『à deux』を観てきた(@宗清寺)

中野の宗清寺で行われた演劇ユニット・うにくらげの第二回公演​『à deux』を観てきました。

うにくらげ 第二回公演​『à deux ア・ドゥ』
https://www.unikurage.com
【日程】2024年9月27日(金) 〜9月29(日)【会場】宗清寺 
「寄る辺のふたり」作:米内山陽子(チタキヨ)  
「in and out」作:高木登(演劇ユニット鵺的)​
演出:福永マリカ 出演:生見司織 高橋恭子


うにくらげは生見司織さんと高橋恭子(チタキヨ)さんのふたりユニットで、宗清寺の読み方はソーセージで覚えたのでもう忘れないです(笑)。


作・演出・演者ともに初めましてのいない馴染みのメンツによるお芝居。しかも鵺的で暗黒少女を演じまくってたあの福永マリカさんが演出家として参加。当然「観たい!」となったものの、「お寺の本堂で上演ってどういうこと?」ていう“場所見知り”にとってはだいぶハードルの高い場での上演ということになり、チケット買う前にネットで調べてみるも、施設的なことで確認できるのは「本堂の写真」と「トイレがある」ぐらい。しかも↓こちらだと「トイレの写真はイメージです」「きれいに清掃されてます」という設備的に古いのか新しいのかよくわからない文言が・・・)
「お寺のトイレってどんな感じ?共同?和式? 行く前にすませておいた方がいい?」「脱いだ後の靴はどうするの? 袋に入れるの?(でか目のスニーカーで行ったら入らないかな?)」「お芝居とお芝居の間に座席移動があるってどういうこと?」といろいろ謎も不安も多かったけど、行ってみたらめちゃめちゃ楽しかったし、トイレとかきれいすぎて全然心配ご無用だった。


一応、来年もまた公演があることを想定し、行かれる方のためにメモしておくと、お寺に会食施設が併設されてるせいか、トイレは真新しい最新式の完全個室トイレ(洋式)が男女各2つあり、脱いだ靴は簡易的なシューズラックを使用。番号札などはないので置いた場所忘れちゃったとか、似た靴があって心配な人は靴の中に紙切れでもはさんどいたらいいかも。事前に「脱ぎ履きのしやすい靴で」という指定があり時期的に履いてくる人はいなかったけど、高さ的にブーツは厳しいと思う。荷物が大きい場合はスタッフに預けることも可能なので(こちらは番号札で管理)、預ける人は貴重品を手元に置いておくために、音のしない布製のミニバックなど持っていかれるといいと思う。お寺なのでお香がたかれており、蚊にも出くわさなかった。本堂にはクーラーもついていて、ほどよく冷えた畳の上を歩くのはとても気持ちよかったです(ただし冷え性の人は上演後に若干足元冷えるかも)。


短編2本で構成され、上演時間は1本30分程度。本堂の中央に祭壇があり、その右手の部屋と左手の部屋でそれぞれ別の作品が上演される。1本目の作品を右手の部屋で上演したのち、10分の休憩を挟んで、今度は左手の部屋に座席ごと移動するのだが、これも楽しかった! 最初に「前後はそのままに左の部屋に移動します」と言われた時は若干「?」が浮かんでたが、実際に移動してみたら「そういうことか!」と。最初の席は自由に選べるが、左手の部屋に移る際には最初に選んだ席の左右反転移動となるため、中央席の最前列・奥から3番目なら、移動後も中央席の最前列・奥から三番目となる(単純に右から左にスライドして最前列だった人が最後尾になったり、奥と手前が入れ替わるようなことはないのでご安心を)。椅子自体はスタッフが移動させ、セッティングが終わったら、列ごとにスタッフの後ろをついていくだけなので悩むこともない。都道25号線に面しているため車が行き交う音は常時聞こえるのだが、基本的に本堂はとても静かで、外の音すらも音響の一部と化しており、本物のSEと混ざり合って区別がつかない瞬間も。当日はお天気だったが、芝居の内容によってはゲリラ豪雨の中で観てもそれはそれで趣があったのではないかと思えるような空間だった。


本編がはじまる直前に、演者の一人が客前に出てきて、落語の「枕」のように、これからはじまる演目の舞台設定について軽く説明がなされるのだが、最後に必ず「いまから私たちには皆さんが見えなくなりますが、皆さんはここで私たちのことをずっと見ていてください」といった趣旨のことが語られ、芝居の世界へと入ってゆく。この枕がなかなか効いてて、お寺の本堂にいて、そこで繰り広げられる出来事をそっと見守り続ける視えない存在の私たちって、いったい何者? いま、なんの役割を与えられたの? ご先祖様? 幽霊?という不思議な気分にさせられる。


お寺で公演するにあたり、ご住職から「生老病死」をテーマにしてほしいとの注文があったとか。1本目に上演された『in and out』(作・高木登)では、古い価値観にまみれた田舎を捨てて都会に出た女性が、父親の介護を機に恋人を連れて地元に戻る決意をしたものの、宿泊した旅館で明日会う家族とのやりとりをシミュレーションするうちに過去の嫌な記憶や感情が蘇り・・・といった話で、畳敷の和室という1点を共通項に旅館と実家をシームレスに行き来し、徐々に張り詰めてゆく空気の中、ただの背景でしかなかった襖一枚がふいに強大な存在感を放って対峙してくる様は圧巻。2本目の『寄る辺のふたり』(作:米内山陽子)はうにくらげ第1回公演でも上演された作品で、左手の部屋と中央の祭壇を使って行われ、一周忌法要後のお寺を舞台に、親戚同士の二人が本堂に残って会話をするうちに、ふたりの性格や突然亡くなってしまった故人との関係性や想いが明らかになってゆく。緊張感を強いられた1本目とは対照的に、笑いあり、ほんのり涙ありの終始リラックスした空気の中で行われ、亡くなった故人の気分になって残された二人の行く末を見守っていた。と同時に、亡くなった祖父の一周忌法要のことなど思い出したので、どちらが持ちかけた話なのかは知らないが「ああ、こうやって観にきた人が各々のゆかりある故人を偲ぶきっかけを与えることも、宗清寺のご住職がお寺での上演を承諾した狙いのひとつなのかなあ」と思ったり。



↑こちらのサイトの下の方にある「法要施設」の写真の左手に並んだ椅子が当日客席に並べられてた椅子です(畳なのでパイプ椅子ではなかった)。右手の部屋で『in and out』、左手の部屋で『寄る辺のふたり』が上演され、部屋を取り囲むように椅子と座布団が並べられていたのだが、右手の部屋にある松の木が描かれた襖・・・開けたかったなあ。得体のしれない音がしてきて、上演中、開けて中を確かめたくてしかたがなかった(夢から覚めるので開けちゃだめだけど)。鵺的の時も思うが、あんなにしんどそうな芝居を1日2回もやらなきゃならないってどんだけ体力が必要なんだろう。


↓こちらは演出を担当した福永マリカさんの上演後記(こちらにも松の木の襖の写真あり)。
当日はスタッフとして座席等に観客を案内する役割を担っており、案内された私も突然のマリカちゃんに嬉し恥ずかしな気持ち。



上演前、松の木の襖のある部屋をスタッフは躊躇なく横切ってくるんだけど、観客の側ではまるで結界が張られてるかのように、「内側は舞台だから松の間の畳の上には足を踏み入れちゃいけない」という空気が流れていて、それを察したであろうスタッフが「はじまるまで足を投げ出してていいですよ」て言わなかったら最前列の人は足すら伸ばせなかったと思う。恐るべし見立て力。



上演後はお寺の方に許可もらって本堂の写真をたくさん撮らせてもらった。十二支の彫り物があったり、梁の湾曲がきれいだったり、いろいろ面白かったんだが、左右の部屋の天井に謎の小さい穴が円形に開いており、どういう理由で開いてるのか聞くの忘れたのが心残り。






そして、、、
宗清寺の最寄駅は東中野なんだが、いままでポレポレ東中野周辺しか歩いたことなくて、駅の西側にあんな面白い路地裏が広がってるとは知らなかった。↓ここ見た時は心躍ったもん。

迷わないようにStreet View見てから行ったのに、実際に歩くのとでは全然印象違った。夜道も雰囲気があって楽しかったし、次は中野駅から歩いて行こうかな(こっちも道がぐねぐねしてて楽しそう)。




というわけで、今週末10/18(金)からはいよいよ鵺的第18回公演『おまえの血は汚れているか』(作:高木登 演出:寺十吾が始まります。私が観劇後、急に感極まって「しばらく渋谷の喧騒に戻りたくない……」と再開発前の寂れた渋谷のドブ川を見て心落ち着かせた『荒野1/7』を焼き直したそうで、あそこからどう変わるのか非常に楽しみ。