身体に閉じ込められた人が、他者という拡張デバイスを駆使し自身の思考を外界に出力する方法を模索する

昼間にEテレで放送されていた『文字の獲得は光の獲得でした「作家 柳田邦男が読む いのちの手記」』を見た。すごい面白かった。めちゃめちゃ脳が活性化した。

健常者と違わぬ思考スピードをもちながら、重度の身体障害で発話が出来ず身体も思うように動かせない天畠大輔氏が、自身の思考を外部に出力するために介助者のチカラを借りるんだけど、実演されたその方法がアナクロなのに超未来的。AIによる入力支援ツールを作ってる人や拡張現実なんかが好きな人も見た方がいい。というか入力支援ツールを作ってる人は見てインスピレーションもらって。同じことがパソコンのAIで出来たら文章作成がめちゃめちゃ捗るよ。「簡単に言わないで。あんなもん人間だからできるのよ」って言われそうだけどそこをなんとか頑張ってほしい。「あれだよ、あれ」で話が通じる人間ってやっぱすごいな。
文字の獲得は光の獲得でした「作家 柳田邦男が読む いのちの手記」-NHK
NHKさん、もっと詳しく文字おこししといて。録画したいので再放送希望です(美容師の赤堀さんの話も良かった。じっとしてるのが苦手な子が自分に髪を切ってもらいたいために10分耐えてることに気づいてしまうくだりとかね)。ていうか、とっととNスペで天畠氏の特集番組作ってほしい。 


とりあえず情報収集。
『あ・か・さ・た・な』で大学に行く(天畠大輔 著)(pdf)
↑今回番組で取りあげられた手記の全文

天の畠|天畠大輔 Official Site|PROFILE
↑天畠氏のプロフィール。文字入力デバイスを使わず人力に頼るのは、紙面やパソコンなど平面のものが見えにくいという視覚障害があるからなのか。

共同決定と相互連関(@surume blog)
↑天畠さんが書いた論文「『発話困難な重度身体障がい者』の論文執筆過程の実態—思考主体の切り分け難さと能力の普遍性をめぐる考察—」を読んでの感想。論文自体は読んでないので何が書かれてあったのかは知るよしもないが、番組を見る限りでは私も同感で、天畠さんがやってることは、他者との対話で思考が確立してゆく過程と何も違わないように思う。ただしそれには、当人の主体性が確立してることが第三者にもくみ取れる必要があり、且つ、当人・介助者双方が危険性を熟知し常に懐疑的であって初めて成立すること。それが希薄になるとNHKさんが何度かやらかしてる「奇跡の○○」問題を容易に引き起こしてしまう。論文制作で考えるから特異に見える手法だけど、口下手な監督が映画を撮ってると思えば特異なことではないし、監督の思いを脚本家や役者、キャメラマンといったプロの技術者たちがくみ取り完成した映画や、セリフは全部アドリブで役者が考え、一からワークショップで作ってる映画に対し「この映画に監督のオリジナリティなんて存在するのか?」なんて問いをかける人は果たしているのだろうか。

障害学会第16回京都大会「発話困難な重度身体障がい者」の 文章作成における実態――天畠大輔を事例として(天畠大輔 著)(pdf)
↑介助者の介助年数(共有情報の量)によって作成された文章がどのように変わるかの論文。面白い!

Facilitated Communication(FC)と表出援助法の比較研究― 肢体不自由,重複障害のある児童生徒への効果を求めて ―(pdf)
↑2014年に放送されたNHK『君が僕の息子について教えてくれたこと』で取りあげられた自閉症の作家・東田直樹氏を例に、介助付きコミュニケーションの歴史を振り返る論文(2002年に放送されたNHK『奇跡の詩人』の真贋論争にも触れている)。『君が僕の〜』は文字の【目次効果】というか、文字ボードが思考や言語に与える影響といったものを考える際に大いに刺激を与えてくれる番組で非常に面白かった。東田氏は思考の支援デバイスとして紙のキーボードを使うんだけど、紙のキーボードを使うと指さした文字から次々と単語が引きずり出され明瞭な言葉でリアルタイムに他者と会話ができるのに対し、事前に用意した文書を読みあげる場合は何を言っているのかよくわからない自分語に戻ってしまうのが非常に興味深い光景だった。



関連: