現在放送中のアニメ『デュラララ!!』『黒子のバスケ』のシリーズ構成や、『地獄少女』『進撃の巨人』のエグい脚本でおなじみ高木登さんが作・演出を務める「鵺的」の第9回公演『丘の上、 ただひとつの家』を観てきました。
鵺的第九回公演『丘の上、ただひとつの家』
作・演出:高木登
出演:井上幸太郎、奥野亮子、宍戸香那恵、高橋恭子(チタキヨ)、生見司織、平山寛人、古屋敷悠(MU)、安元遊香(Saliva)
おかあさん
育てる気がないなら
なぜわたしたちを産んだのですか
家族を知らないわたしたちは
ぼんやりとした幸せと不幸をかかえたまま
たださまよいつづけるしかないのですか
【あらすじ】十年前になくなった父の遺品が見つかった。安物の指輪に添えられた手紙。そこには「生き別れた母に会い、これを渡してほしい」と書かれてあった。自分たちを捨てた母になぜこんなものを渡せというのか。姉妹は悩む。一方、その母と別の男性とのあいだに産まれた姉弟もまた、母を巡って苦悩していた。ふた組のきょうだいが交錯するとき、そこにあらわれたのはあたらしい「家族」の姿か、それとも──
今回は感想書く気まんまんだったのに、仕事で祭りが勃発し全然時間がとれなくなってしまったので、忘れないうちににひとつだけ。(他の人の感想は↓こちらからどうぞ)
亡くなった父の遺言で、幼いときに自分たちを捨てて出て行った母を捜すことになった姉妹・愛と遥(ヨウ)。母には別れた直後に別の男との間に産んだ姉弟・遥(ハルカ)と太一がいる。この母親というのが道徳感の著しく欠如した怪物みたいな女で、最終的にきょうだい全員で母親と対峙。
それぞれが思いの丈をぶつけてみたものの、全てがのれんに腕押しで、何にも母には響かないし、なにひとつ変わらない。でもまあ「やらないよりは良かったよね」的な意味で愛・ヨウ・太一の3人は気持ちに区切りがつくんだけど、きょうだいの中でもっとも母に苦しめられてるハルカ一人が全く救われないという状況に終わりそうで、「これどうするんだろう。こっからどうやって彼女を救うんだろう」と不安に思っていたら、ほんとに拍子抜けするぐらい意外な方法で救われたんだよ。意外なんだけどでも「そうだよね。これしかないよね。最初からわかりきってたことじゃん」って気もするし、そういう人物だからハルカは関係を続け信頼して母の面倒をまかせてきたんじゃんっていう。うまいこと配置してきたなと呻った瞬間でもありました。愛着があるから執着するのか。
アニメにおける高木登脚本の特徴とその魅力については↓こちらの評がとても的確に表してるのですが、、、
地獄少女における脚本家・高木登のポジション (大匙屋@セミリタイア)
地獄少女シリーズは1話完結、物語類型としては一種の禁室物であり 恨みや憎しみの連鎖が毎回どのように繰り広げられるかが見所であるため シリーズ長期化によって様式美に染まりがちな展開が問題になるが チーフ脚本の金巻兼一は基本プロット管理に専念し 投入する各話ライターの自由度をあげることで形式化の回避を試みているように見える。
その中でもやはり高木登・脚本回の出来が抜群にいい。先読みを見越したミスリードの上手さや意表を突いてくる展開 バンクやお仕置きシーンを極力排除した濃密な構成 それでいてあくまでも平易なダイアローグ、そして極端な後味の悪さ。
善悪二元論で割り切れない世界観表現を一手に引き受けるため、逆に他のライターは気兼ねなく様式美に特化できてしまう。
今回の舞台はこれら特徴をほんとにバランスよく備えてたと思う(ただ今回は後味良いよ)