TBS『R30』トーク、映画監督・是枝裕和

先日放送された『R30』に映画『歩いても 歩いても』の公開を控える是枝裕和監督が出演した。ドキュメンタリー出身ということもあり、「子役に台本を渡さない」「役者に即興芝居をさせる」といった手法でリアルな描写を追求してきた是枝監督が、過去の作品の具体的なシーンを例に出しながら、役者に対する芝居のつけ方や、ドキュメンタリー的な演出手法が数作撮る間にどのように変わってきたのかといったこと、またバラエティのフリートークで鍛えられてきたYOUが『誰も知らない』の即興芝居で見せた監督顔負けの子役演出術についてもいろいろと語っており、これがとても面白かったのでHDDから消す前に個人的にメモ。

誰も知らない [Blu-ray]

誰も知らない [Blu-ray]

  • 発売日: 2018/05/25
  • メディア: Blu-ray
国分「台本とか子供には渡さないんですか!」
是枝「子供には渡さない」 
国分「それはリアリティを…」
是枝「リアリティっていうかね、子供に渡すと読んじゃうじゃない? 文字で。文字で入れたものを言葉で出すって意外と難しかったりするのよ」
国分「わかりますわかります」
是枝「(頭の横に吹き出しが出てるかのような仕草をしながら)この辺に文章が浮かんじゃう子とかもいるじゃない? 見てると、『あ!この子読んでる!』っていう。もちろん訓練積んでうまくなって、あたかもいま自分が感じて喋ってるように出来る子もいるんだけど、『誰も知らない』のオーディションをやったときに僕が『この子、取りたいな』と思った子たちがみんな演技経験が無かったので…」
国分「あ、そうなんですか!」
是枝「オーディションをやってみて、台詞覚えてもらってオーディションでリハーサルをやったこともあるんだけど、上手くいかなかったの。それで、『じゃあ、やめてみようかな』と思って、どうしたらこの子たちが僕が撮りたい表情とか動きが撮れるんだろと思ったら、なるべく子供達が自由に動ける状況を作って、その日朝集まると『はい、じゃあ集まって〜』っつって『じゃあ、今日はこういうシーン撮るよ〜』って言って、『じゃあ、お兄ちゃんにこう言ってごらん』って全部口だけで耳元で囁くようにしたらうまくいくんだってことが、オーディションのプロセスでわかったのね。それであの場合は全員そう言うやり方をとったと。子供だけじゃなくてYOUさんも、そういう形で」
国分「YOUさんは子供じゃないですよね(笑)」
是枝「子供じゃないんだけど…」
イノッチ「YOUさんは知ってても良さそうじゃないですか、流れは」
是枝「YOUさんに、『こういう映画でお母さん役なんで出て貰えませんか?』って言ったら、(モノマネしながら)『あたし、台詞覚えるの、きらーい』って言われて(一同笑)、『じゃあ、覚えなくていいんで、現場来てもらってその場で説明しますから、それでやってください』って言ったら『それならできるかもー』って(一同笑)」
国分「じゃあ、おおまかな内容も分からず入っちゃった感じですか?」
是枝「そうは言っても台本は一応渡したんだけど、最後まで読んでなかったね」
国分「ええーっ!?」
イノッチ「すげえ・・・」
是枝「一応、あそこにいる子供の母親だってことは分かってた。彼女のラストシーンを撮ったときに、駅で子供達…柳楽くんに手を振って『じゃあねー!』って言って『クリスマスには戻るよー』って言って帰ってくっていうシーンがあるんだけど、あれがラストシーンで、それを駅で撮り終わったときに『はい、これでYOUさんの撮影は終わりです』って言ったら、『え? (あの後母親は子供達のところに)戻ってこないの?』って(苦笑いする監督)。『ええ、これで戻ってこないです』って言ったら『ひどい母親だねえ』って言われたから(一同笑)、ホントに読んでないんだなと思って(一同笑)。だから逆に言うと計算をしないから、例えば結末が分かってるとさ、子供に手を振るときになんかこう女優だから(声や表情に)出そうとするかもしれないじゃない? 知らないもんだから、すんごい元気よく手を振ってるの(国分爆笑)。それを後で見たときに逆にこう迫るわけですよ、胸に。子供にとってもやっぱり悲しいんだよね。その辺は計算ではないんだけど、すごいなあと思って。“計算しない”っていうことの強さというか」
国分「計算しない計算って言うんですかね。監督はそうですよね。計算をしない計算。YOUさんは計算しないだけですけども(是枝笑)」
是枝「僕もそこまで計算がないとは思わなかったから(国分・イノッチ笑)、それはある意味ショックだったけど(一同爆笑)」


ここからは実際に映画のワンシーンを見ながらそこで行った演出法を聞いてみることに



*国分「まずじゃあこれから行きましょうか」(『誰も知らない』の映像が流れる。↓の予告の0:17あたり)

是枝「家族での食卓シーンですね」
国分「これはどうやってリアリティを作っていったんですか?」
是枝「これは引っ越してきて、引っ越し蕎麦を食べるシーンで、子供には「引っ越し蕎麦を食べる」としか伝えてない(国分・イノッチ笑)。YOUさんには『引っ越し蕎麦のシーンです』と。『食べてる間にこの家のルールをお母さんが説明するシーンです。ルールはこれとこれです。どうぞ』みたいなことなので、食べ始めたところでYOUさんがあるきっかけで『はーいはーい、聞いて聞いてー』って始めるんですよ。ただ、何回かそれ繰り返して撮ってるんで、途中でカメラポジション変えたりしてる感じ? そうすると、カメラが一番おチビちゃんの前に行ってこの子の表情撮りたいんだなっていうのが分かると、YOUさんはその子に向かって何かしてくれるわけ。で、僕らが撮りたいと思ってる表情を引き出してくれる」
国分「すごいわ! すごい計算してるじゃないですか、YOUさん!」
是枝「それはね、現場の…だから《演出家》。子供に対する僕が求めてる演出を自分からしてくれたり、子供にも『好きに喋っていいよ』って言うと、ちっちゃい子とかは『こないだね、うちのおばあちゃんとね』って自分の話を始めちゃったりすることがあって、でもそこで『カットー! 駄目だろ!』って言うと、たぶん話しちゃいけないことがあるんだと思って萎縮するじゃない? だからおばあちゃんの話をそのままさせてるのね。そうなるとYOUさんは、『ふーん、そうなのー』って全部聞いてあげて、ここが編集点だなって思ったところから役へ戻してゆくのね」
国分「うわー!すげえ!」
是枝「それは見事な司会者ぶりなの。『これはここで編集でカットだな』っていう」
国分「これはお芝居だと思ってなかったんですよ、YOUさんはたぶん」
イノッチ「バラエティだと思ってたんですか?(笑)」
*


国分「じゃあ次にいきましょうか」(同じく『誰も知らない』から。出て行った母親から突然お金が届き、封筒の中に入ってた数枚のお札と母からのメッセージを手に取り見つめる柳楽優弥
是枝「柳楽くんは、非常に目で感情が語れる子だったので、台詞にある種感情を込めなくても、顔の向きだったり目のちょっとした動きで見てる人がそこにいろんな感情を読み取っていくことができる子だったんですよ。なので、あんまり感情の説明をシーン毎にしないで、『もうちょっと顎引いてごらん』とか、あれ(いま流れてるシーン)で言うと『お札のこの辺見てごらん』っていう動きの指示で、それがある種の感情に見えるように撮ってるのね。全く彼には感情の説明はしてないで演出をしてるんですけど。悲しみを表現しようってするじゃない? 『悲しいシーンだよ』て言われると。台詞のひとつひとつに悲しみを込めようとするけど、やっぱ人ってそうは生きてないし、普段話をしていてもそうはしないじゃない? だから、「そうはしない」っていう前提で演出をしようと思って」



(次にワンダフルライフ。暗い部屋の中で内藤剛志ARATA谷啓らが次々と自分のことについて語り、周りのものが真剣な表情で聞き入ってるシーン)
国分「内藤さんのあの・・・もうオレ、楽屋で内藤さんと喋ってるときの内藤さんがそのまま芝居していて、『芝居じゃないなあ。やっぱフリートークだなあ』みたいに思いましたね。あれはリアルでしたね」
是枝「あれは死者達が集まる空間の施設っていう設定なんですけど、その職員たちが自分の一番古い記憶を喋るとしか台本には書かれてないんですよ。「以下、フリートーク」って書かれてあって。カメラ二台で、誰がどのタイミングで話し出すか分からないまま撮って、カメラ二台で喋った人を追っかけて作ってるシーンなんですよ。それぞれが自分の記憶を探りながら語ってるのね」
国分「じゃあ、NGってないんですか?」
是枝「あのシーンに関してはないですよね」
イノッチ「噛んでもそれがリアルなんですもんね」
是枝「噛んだら、噛んだ」


国分「カメラさんは自分の感情で寄ったり引いたりしてるんですか?」
是枝「そういう撮り方をしたこともあります。『ワンダフルライフ(1998)』や『DISTANCE(2001)』でいうと僕は別にファインダー覗いたりせずにカメラマン(※どちらも撮影は山崎裕)が自分の生理で役者の芝居に応じてカメラを動かすっていう。僕は役者をどういう風に動かすかっていうののいろんなサジェスチョンはするんですけど、カメラマンにその状況をむしろ“撮って貰う”だけなので、ほぼドキュメンタリーの形で撮ってた時期もあります。最近はちょっとそういう考え方がまた少し変わってきてる。こないだ撮った歩いても 歩いてもっていう新作とかは、ホン読みも全部役者揃ってもらってやってもらって…」
国分「あれ? いままでと違いますね!」
是枝「僕が書いたホンが役者さんから出てきた時に嘘くさくないかというチェックを全部やって、その場で台詞全部直して…」
国分「聞くんですか?」
是枝「聞くの。『これ、言いにくくなかったですか?』とか、ホン読んでると『言いにくそうだな』とか『ここは何回やっても引っ掛かるな』とか出てくるでしょ? それはもしかしたら僕の書き方が悪いのかなと思って確認するんです。『ここはこれでいいかな?』とか。そうすると役者さんの方も『あ、やっぱり「が」より「は」の方が言いやすいですね』とかって出てくるから」
国分「でも、さっきまでは台詞のないところでのリアリティみたいな話をしてたじゃないですか。ちょっと今までの考えと違いますよね?」
是枝「そうですねえ。以前は「お芝居を撮影したものが映画ではない」と考えてて(と言いながら照れくさそうにはにかむ是枝監督)、お芝居を観たいのであれば(演劇を行ってる)劇場に行って実際の演技を観た方がいいはずだから、映画でカメラの前で行われるお芝居っていうのは、演劇とは違う考え方を持って作るべきなんじゃないかという風にまあ思って、いろんな試行錯誤をして、それで台本を書かずにフリートークにしてみたりやってきたんだけど、今回なんかは逆に言うと、いっぺんきちんと書いてみて、それが書いたにもかかわらずきちんと役者の肉体から出てきたものとして観た人に届くにはじゃあどういう台本、脚本を書いたらいいんだろうっていうことを、、、まあ言ってることはたぶんすごく普通のことなんだけど、それで今はやってる」
イノッチ「それはなんか心境の変化というか・・・」
是枝「どうぞフリーで喋ってください!って言っても、もちろんそれですごく自然に喋れる人もいるんだけど、逆に不自由にやる人もいるのよ。で、その時に考えるのは『監督はこのシーンで僕に何を期待してるんだろう?』って考え出す役者さんもいるの。フリーとは言え。『たぶん僕はこういうこと要求されているんだ』って言って発言したり動いたりし始めると、出来上がった映画を観たときに、全員“ボク”に見えるの。役者なのに。全員の背後に“ボク”がいるように見えたことがあって、これは自由でありたいと思ってやってる方法なのに不自由だなと思ったのね。なので今回は徹底的に細かく書いてやったんだけど、出来上がってみたら、映画は自由だった。やっぱり。自由なものとして出来上がってて、やっぱ発見があったんですよね。あんまり僕、自分の方法論みたいなものが確立しないので、一回一回なんですよ。だからその、子供なら子供にあったやり方をその都度発見してゆくっていう形でいるので、相手に合わせるのね。それはたぶんドキュメンタリーからきてると思うんだよな。なるべく相手に合わせて、相手が喋りやすいようにとか、相手が動きやすいように僕がそこにいるっていうことをやっぱりベースに考えているから・・・」

全然関係ないけど、是枝さんのナレーションってちょっと西島くんっぽいよね。西島くんっぽいっていうか、テレビのディレクターさんというよりは若い俳優さんみたいな抑揚でナレーションをする。面白いのでまたやって欲しい。