『へウンズストーリー』トーク、瀬々敬久×忍成修吾×山崎ハコ(@ベルブ永山)

11/23(火・祝)、多摩市主催による第20回映画祭 TAMA CINEMA FORUMの一企画として、『ヘヴンズストーリー』のトーク&上映会が行われました。登壇者は瀬々敬久監督、忍成修吾山崎ハコのお三方。当初予定されてた寉岡萌希ちゃんは交通事故に遭われたそうで本日は欠席。幸い軽傷とのことで、司会を務める映画祭スタッフ、黒川さんによって彼女からのコメントが代読されました。


多摩市とヘヴンズストーリーは思いのほかつながりが深く、本作第1章で柄本明さんらが走り回った団地はベルブ永山の近くにある団地で撮影。物語中盤で萌希ちゃんが歩いたクリスマスイルミネーションは多摩映画祭の会場のひとつでもあるパルテノン多摩前の通り。ラストカットで萌希ちゃんが駆け下りる丘は聖蹟桜ヶ丘にある「ゆうひの丘」がロケ地だそうです。


まずは忍成クンをキャスティングした理由について訊ねると、「忍成クンの出てた『リリィシュシュ』が好きだったから」とミーハーな答えを返す瀬々監督。『リリィシュシュ』でも複雑な役を演じていた忍成クンに、今回の映画に出た感想や自身が演じたミツオという役について訊ねると、「短期間で撮り上げる映画に参加することが僕自身とても多いので、今回のように1年以上かけて一つの役にじっくり向き合う経験ができたのは貴重だった。次の撮影が始まる前に毎回監督から役の心情を綴った大量のファックスが送られてきたので、台本よりもそのファックスをもって現場に入ることが多かった。撮影期間が空いてたこともあり考える時間はたっぷりあったが、ミツオについてはわからないことが多くて、普段彼が何を考えてるのか最後までつかめなかった」と語る忍成クン。後半海辺のシーンでミツオが言う「みんなの子供だから」という台詞も意味が分からないまま口にしていたそうだ。その姿を現場で見ていた瀬々監督は「わからなくても演じられるのが彼のすごいところ」と絶賛。「台詞の意味が理解できなくてもとりあえず言ってみると意外とすんなり言えて、それがきっかけで「あ、こういうことだったのか」と理解できることもある。だからわからなくてもとりあえず一度やってみる」というのが忍成クンの演技スタンスらしい。そんな彼にとって、山崎ハコさんとの共演はとても助けになったらしく、「ミツオが恭子さんとの交流を通して社会とのつながりや人間性を獲得してゆくように、自分もハコさんを通すことでミツオを理解していった」と語る。その山崎ハコさんをキャスティングした理由について瀬々監督に訊ねると「昔からファンだったから」とまたもやミーハーな答えが。「同じ大分出身だってことをアピールすればOKしてもらえるのではないか」とダメ元でオファーしたらしいが、ハコさんはハコさんで実は昔から映画がダイスキ。「たまに音楽で参加したり、ワンシーンだけちょこっと出て、その作品のエンドロールに自分の名前が出てくるのを見てるだけでも幸せだった」そうで、まさか役者としてオファーがくるとは思わなかったこともあり監督から出演を依頼された時にも「歌うんですか?」と思わず聞いたら「歌いません」とその場で言われたとか。


というわけで、観客からの質疑応答へ。以下、ラストのネタバレも含みます。


まず「役者のアップが多い理由」について訊ねると、「アップを多用することで、できるだけ観てる人にも当事者意識を持ってもらいたかった」と語る瀬々監督。ついで「大島葉子さん演じるブティックの女性」について訊ねると、「ああいう女性を登場させることで、作品に復讐とは別の深みをもたせたかったから。村上淳とのキスシーンは台本には無く、現場で生まれたアドリブ。二人にも忍成くんに渡したようなファックスを送っており、大島さんには「何かを待ってる女だ」と書き、村上淳さんには「何かを壊したいと思ってる男だ(※すいません。ムラジュンの方はうろ覚え。でもたぶん合ってる)」と書いて送ったら、現場でああいう芝居が出てきた」とのこと。「本作に人形芝居を組み入れた理由」と「その人形芝居を演じた方が亡くなったこと」について訊ねると、人形を使おうと思ったのは「なんとなく」だそうで、人形についてネットでいろいろ調べてるうちに《百鬼どんどろ》の存在を知り、活動拠点である長野まで芝居を見に行き即オファー。映画の後半始まってすぐ、ハコさん・忍成くんが観ている前で女性の人形と下半身を共有しながら男女の二人芝居を演じているのが先日亡くなった岡本芳一さん。あの時も少し体調が悪く、その後、骨髄の病気が発覚。狐のお面を被った役も当初は岡本さんが演じる予定だったが、病気のため芝居をすることが難しくなり、お弟子さんの森田さんが代役を務め、芝居構成だけは一緒に考えてくれたそうだ。ちなみにハコさんが劇中で作ってた人形がハコさんにとてもよく似ているのは「全くの偶然」とのこと。作った人形師さんも驚いてたそうだ。「この映画は終盤まで復讐はいけないことだと描いているように見えたのに、復讐を強いてた少女がラストで死んだ家族に会わせてもらえるという展開は復讐を諦めなかったことへのご褒美のように見えて、復讐がいいことと言いたいのかいけないことと言いたいのかどっちなのかよくわからなくなった」という問いには、「自分が撮りたかったのは復讐がいいことなのか悪いことなのかという結論ではなく、それを自問自答する過程。結論については見た人が自分で考えて答えを出してくれればいい」と答えてました。


たぶん廃墟の話をしてるときだったと思うのだけど、監督が知り合いから聞いた話ということで「建設中のビルも解体中のビルも鉄骨状態のときっていうのはそこだけ抜き出して写真で見せられると意外とどちらなのか見分けがつかない」というような話をしていた。生まれる命と死にゆく命を「同時に描く」というちょっと珍しいシーンが出てきたのはこういう理由も含まれていたのかと興味深かった。



ついでに映画の感想をちょこっと書いておくと、「家族を殺された者はほんの少しの幸せも望んではいけないのか」という問いの方により強く惹かれる身としては、復讐の連鎖を追い続けた本作の方向性にややもの足りさを感じるものの、この7,8年、死生観をテーマにした映画として瀬々作品を見続けてきた身としては、ラスト2章の展開にただただ感無量。『泪壺』で見せた変化は前兆だったか。“死と再生”の浜辺に来たのに人が死なないし(それどころか・・・)、人生のはじまりと終わりが重なるシーンに至っては「あれだけうだうだと『生まれる前の時間と死んだあとの時間はどっちが長い?』と問いかけ続けてきた人がねえ」と感慨もひとしお。そしてついに御大登場ですよ。死神も幽霊も吸血鬼も天使も出しちゃったんでそろそろ打ち止めかと思ったのに。いつも瀬々さんの風景映画でその存在は感じておりましたとも(『肌の隙間』は除く)。


森実友紀のプロモーションビデオで投げかけてた質問はここへの伏線だったわけね。

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これは「月刊 佐藤寛子」DVDも買うべきなのか(おそらく佐藤有記脚本だし)。悩みます。