『福田村事件』の感想を書いていたら、森さんが黒歴史にしたあの作品とふいにつながる

森達也監督初の長編劇映画『福田村事件』を観てきました。

ちょうど朝ドラ『らんまん』で関東大震災が描かれた日だったので、公開からちょっと経ってたけど悪くないタイミングだったかな。



森さんの映画って、観る前の「きっとこういう映画なんだろう」というイメージと、実際に作品から受ける印象が違ってることが多いのだけど、(まあ、印象違いの最たるものが『NONFIX 後ろの正面だあれ? かごめかごめの謎』なので、都市伝説好きな人は機会があれば是非観て当時の私の「思ってたんと違う!」という感覚を追体験してもらいたい)、「世間が期待するようなものは作らないよ」っていうのが森さんの持ち味というか作風でもあり、今回もご多分にもれずそのような映画に仕上がっていました。


ただ今回は視点が多いので、たくさんある視点のうちのひとつが私が興味を抱く視点とたまたま合致したために「思ってたのと違う」と強く印象づけられた、という可能性もなきにしもあらずなところはあります。



* * * * * * * *



私が福田村事件で一番興味をもったのは「村人たちを殺しに駆り立てた背景は何なのか、殺人という倫理のタガを外させた最大の理由は何なのか」という点。「抵抗できないよう一箇所に集めて監禁した」とか「集団暴行の末に死んだ」ならまだわかる。でも、暴行の末とかそんな甘っちょろいもんじゃなく明確な殺意をもって殺しにいってる。


少なくとも自分だったら「殺るか殺られるか」または「死なば諸共」の状況に迫られない限り殺しは無理。事前に想定していたのは、直接的な朝鮮人差別(暴行・暴言など)が福田村周辺でも日常的に横行しており、抑圧された朝鮮人たちの姿を実際に目撃していたため、デマが起こった瞬間、彼らからの仕返しを自身の身に起こるリアルな脅威と捉えることが可能となり、「殺られる前に殺る!」精神で村全体が暴走したのかなと。これだったら、暴行の末に亡くなった、ではなく、明らかに殺しに行くって感覚も腑に落ちる。


ところが、、、映画ではそういう風な、誰にとってもわかりやすい予定調和な流れにはなっていなかった。そのせいで、終始モヤモヤした気分に襲われる。



↓↓↓↓↓以下、ネタバレあり↓↓↓↓


最初に「あれ?」て思ったのが、震災が起こり千葉の福田村に避難してきた被災者たちの口から「混乱に乗じて朝鮮人がやりたい放題暴れてる」と語られはじめ、村長との間で「そんなこと言うけど、実際に見たやつおるのか」「いや、でもみんな言ってたから・・・」というやりとりが挿入されていたこと。真偽不明だが悪質な噂話が流布されようとする瞬間に一回冷や水をかけてるわけだよ。その後、役場の会議で分会長を中心に「そう言ってる被災者は一人や二人じゃない」と自警団結成に向けての流れが作られようとするのだが、この展開には既視感を覚えた。


知人に何人か、場のイニシアチブをとるために「みんな言ってる」という言い方を多用する人がいるんだが、「みんなって具体的に誰が言ってるのか? 今回のAという苦情と、先日のBという苦情を言ってきたのは同じ人物なのか? 不特定多数がさまざまな苦情を言ってくるのと同じ人が複数の苦情を言ってくるのでも話が変わるんだが」て詰め寄ると黙ったりはぐらかしたり。または「Aさんもおかしいって怒ってましたよ」ていうからAさんに直接聞いたら「『これっておかしいと思わない?改善した方がいいよね?』って同調を求められたので『まあそうね』って相槌を打っただけ」っていうのが真相だったなんてことが、特に困ってる人を見ると放っておけず何かしてあげたいという意識が強いタイプの知人らによくあって、その場にいない人の代理で発言してる、もしくは、その場にいない人も自分に同調してると匂わせれば、その場ですぐに確認がとれないためにそれ以上突っ込まれることなく事実と仮定して話のイニシアチブをとれると思って意識的・無意識的に多様してくるんだけれど、そういう人には「具体的に誰? 直接話聞いてくるから」と早々に詰めて、事実と思い込みの境界線をはっきりさせておくのが得策なので、「朝鮮人が暴れてる」と吹聴する被災者に「あんたらその目で見たんか?」と詰めるぐらい冷静な村長なら「そう言ってるのは一人や二人じゃない」と言って自警団作ろうとしてる分会長にも「具体的に誰が言ってるんや。実際に見たやつなんて一人もおらんかったやろ」てとことん詰め寄って欲しかった。


その後、内務省から通達が出て実際に自警団を作ることになるのだが、血気盛んに盛り上がる男衆に反し、2日もすると「いつまで戦争ごっこやってんの」と女房から揶揄されるなど、村中に恐怖が蔓延し集団ヒステリーに、、、なんて展開にはならないんだよ。それでも事件は起こってしまう。


このあたりでなんかモヤモヤしてきた。


そもそも福田村に朝鮮人の姿はなく、自分が聞いたことない単語を喋る=朝鮮人だと決めつけるほど、狭い地域でしか人と交流したことのない村人の中で実際に朝鮮人と会ったことのある人はどのくらいいるのだろうかという疑問が浮上する。朝鮮人について語る村人の言葉はいつも不確かで、噂と伝聞と「そうに違いない」という思い込みで実体がない。新聞や噂から得た情報を元に、勝手に感情を想像して、勝手に怯えて、、、いや、それほど怯えてもないんだよな。不安そうではあるが。それに、隣接する野田町の醤油工場には実際多数の朝鮮人が働いているのだから、襲われるならそちらが先だと思うが、野田町の様子は福田村には入ってこなかったんだろうか(働いているというのも噂でしかなかったのかな)。震災後の東京とは違い、村自体はのどかなもので、緊張感をもたらすような不審な事故や事件が起きてるわけでもない。どうやったらこれで集団ヒステリーが起こるんだと思うんだが、実際に起こってしまうだよ。怖くない? 「ああこれ何か似てる」と思ったら、昨今のネット事情だった。



映画の中では事件が起こった理由について明確な道筋はつけてない(ように私には見える)。故に、なぜ事件が起こったのかは観た人がどこにフォーカスしてこの作品を見ていたのかによって変わってくるんだと思う。


たとえば「差別感情がその背景にあった」と言われても、差別感情が昂じると人を殺す抵抗感が失せてためらいがなくなるというところが全く腑におちないので、そう言われてもどうも納得がいかない。だって殺したら自分は「人殺し」になるわけだよ。脅威に感じるなら暴行するとか監禁するっていう手だってあったのに、なぜ彼らは一足飛びに殺したのか。「差別感情」そのものではなく、それに伴う何かが人殺しへの抵抗感をなくすのか。何かってなんだろう。


一番最初に手をあげた女性の背景については理解できる。東京に出稼ぎに行った旦那の安否がわからない。旦那が出稼ぎに出てるということは村で家族を養うだけの仕事が得られていないわけで、旦那がいない、収入が絶たれ、自分は乳飲子を抱えてる。この先の生活について不安と絶望しかない。そんな中、被災者からは朝鮮人に殺られたんじゃないかという心無い脅しをかけられ、感情のぶつけ先が彼らしかなかった。また、根っからビビりな人が一触即発な緊張状態でパニックになるのもわかる。じゃあそれ以外の人たちはなぜ殺すことにためらいがなかったのか。


個人的に、直前に日清・日露戦争があったていうのが大きかったのかなと思う。大義のためなら人を殺しても良いという経験があり、人殺しのたがを外す訓練も受けた。しかし実際に戦地で人を殺した経験はなく、柄本明演じる爺さんのように殺し合いの現場の非道さを肌に感じたこともない。ゆえに、たくさん殺したやつほど偉いという空気や高揚感だけは蔓延していて、「自分も武勇伝を語れるぐらいの経験をしたかった」「自分もいつかは」「次こそは」「自分だってその時がくればやれるんだ」と思ってる人たちが村の中心で男衆を常に鼓舞し煽っている。そしてついに武勲をあげる機会が訪れた。


というのが、映画を見て感じた殺しに至る背景だけど、実際はどうだったんだろう。




↑↑↑↑ネタバレ終了↑↑↑↑



いまでこそ自分もホラー見てゲラゲラ笑える人間に成長したけど、幼少時は「おばけ」と「集団ヒステリー」が怖くて怖くて仕方がなかった。まあ、「おばけ」は子供はみんな怖いと思うけど、「集団ヒステリーが怖い」っていう感覚をどこで刷り込まれたのか、よく覚えていない。人見知りは激しかったけど、いじめられてたわけではないし。その割に「非常時になると集団は暴走するから絶対に近づかないでおこう」と心に強く決めていて、災害時に集団に見つからないよう生きていくためのシミュレーションはよくしていた。『カムイ伝』や『はだしのゲン』を小学校低学年の頃に読んでたので、おそらくその2作品がベースで、西洋の魔女狩りあたりの知識が混ざって集団に対する恐怖心が定着したのかなとは思う(ちなみに穢多非人の知識も『カムイ伝』がベースで新しい情報が入ってもすぐ元に戻ってしまうので、幼少時の刷り込みって罪深い…)。


「集団が暴走するとき、そこには必ず強い口調で同調を求め感情を煽ってくる奴がいる。見かけたら気をつけろ」っていうのが幼少時にフィクションから得た教訓なんだけど、しかもそういうのに限ってヘタレで責任を取らず、行動した人間がバカをみるっていうのを中学生の時に観た実話ベースのテレビ映画『カウラ大脱走』で強烈に刷り込まれた上に、連合赤軍(公判前に自殺)やオウム真理教(公判前に詐病or心神喪失)といった現実が教訓を補強してくるもんだから、感情を煽るような強い口調で同調を求め煽動してくる人が大人になってもどうも苦手で、その苦手意識のおかげで煽られても(いや、煽られるほど)集団に同調しづらい性格になったのは幸いだけれど、他の人はめっちゃ陰で煽られたり攻撃されたりしてるのに私はめんどくさい人だと思われて対象から外されるからいつのまにか蚊帳の外におかれていて、知らぬうちにみんな大変な目にあってたなんてこともあるんですよ。映画では結局誰も惨劇を止められず、「距離をおいて静観してるだけじゃダメなんだ」「暴走が始まったらもう止められない」と訴えているんだが、暴走を始めた集団を切り崩す方法なんてあるんだろうか。暴走する前に切り崩すしか方法はないようにみえるが、苦手意識の強い私は正常性バイアスにかかることなくちゃんと気づいて介入できるんだろうか……。


なんてことをグルグル考えた映画だった。


実話ベースとはいえ、細部はフィクションなので、↓こちらもどうぞ。



* * * * * * * *



そういえば昔、「《怖い》って感覚は“知らない”から怖くなるんですよ」という森さんの言葉をきっかけに、怖いという感覚がなぜ起こるのか、どうやったら対処できるのかについて長々と考察したことがあった。

余談になるが、こうなれば幸せになれると思ってる価値観と真逆の価値観で生きてる人と相対した時に、「どうしてそっち側にいるの?こっち側にこない?」という打診をして「いや大丈夫です、そっちにいるのが好きなんで」と言えばその後特に何も言ってこないタイプと、定期的に「ほんとにこっち側にくる気ないの?」と確認してくるタイプと、どうせ不幸になるだけなんだから放っておけばいいのに周囲を巻き込んでまで「そっち側がこっち側よりいいなんてあんたの価値観は間違ってる」と攻撃してくるタイプといるんだけど、定期的に確認してくるタイプは単に心配してるだけなので幸せですってところをブレずに見せて安心させれば「私にはよくわからないけど、幸せならいいわ」と何も言わなくなるのだが、攻撃してくるタイプは自分の信じてた価値観が揺らいで不安になってるので、幸せですってところをブレずに見せつけるほどに怯えが強まってくるのでめんどくさい。でもこれって拒食症の人や、カルト宗教にハマってる人も同じようにめんどくさいと思ってるので、難しいよね。




* * * * * * * *



と言うわけでここからがタイトル回収。


冒頭で書いた通り、森さんの天然が炸裂した迷作、CX『NONFIX 後ろの正面だあれ? かごめかごめの謎』を久しぶりに思い出したわけですよ。放送されたのは今から二十三年前の2000年9月2日。NONFIX公式サイト(こちら)にはクレジットがあるのみで既にあらすじは消去されており、珍作すぎて経歴から抹消されていたのを「ガンダーラ映画祭」が掘り起こし(こちら)、私自身も放送を直に見ていた【生き証人】として「あの感動を消されちゃならん」と、NONFIXのキャッシュからあらすじをブログに転載しておいたけど、内容は随分忘れてきちゃったので久しぶりに読み返してみたのです。


そしたらこんなことが書いてあった(あらすじ全文はリンク先でどうぞ)。

 歌詞に込められた意味を知りたい。その一念で、番組は灼熱の山形や茨城の山中まで、さまざまな地域を訪れる。徐々に現れる歌詞の秘密。山形県の山中に埋められたという徳川埋蔵金は果たして発見できるのか? 黙して語らない謎の老人が明かした『かごめかごめ』と修験道との関わり。そして、『かごめかごめ』発祥の地と言われる千葉県野田市に今も残される『かごめかごめ』にまつわる謎の木彫りの発見。あらかじめ壊されていたと言う木彫りの籠は、果たして悪霊の出現を意味するのか? この番組がパンドラの箱を開けてしまったのか?


 300年にわたって封印されてきた歌詞の秘密は、ベールを脱ぐのか? 紆余曲折の末に、野田市に生まれたという伝説の人物が浮かび上がった…。昨年放送され、話題を呼んだNONFIX『放送禁止歌〜唄っているのは誰?規制するのは誰?〜』を制作した森達也が新たに送る、歌をめぐるドキュメンタリーです。

千葉県野田市 ちょっと待って。そことつながるの? ていうか「野田市に生まれたという伝説の人物」って誰だっけ? そこは完全に忘れたな。


事件のあった福田村は戦後しばらくして野田市(旧:野田町)に吸収合併されることになるわけだが(野田市-Wikipedia)、なるほど、映画に出てくる「野田町の醤油工場」って番組でも取材に行ったあの醤油会社のことだったのか。森さんは2002年に「野田市に慰霊碑が建つ」という小さな記事が目に止まり福田村事件の存在を知ったそうだが、かごめかごめの取材からわずか2年でまったく別の理由で再び野田を訪れることになるとは。縁があったのかな。


童謡『かごめかごめ』にまつわる「謎の木彫り」は千葉県野田市愛宕神社に存在します。都市伝説好きで野田に行く機会のある方は是非足を運んでみてください。(かごめかごめ発祥の地についての詳細と神社に残された「木彫り」の写真はこちらを参照されたし)。


愛宕神社から8km東に行った利根川近辺に、福田村事件追悼慰霊碑は立っている。地図を見る限り、周囲はゴルフ場だらけで人家もまばら。「なんでこんなところで?」ていう感覚は大切にしとかないといけないんだろうな。人の交流が激しい都会だけじゃなくこんな田舎でも起きてしまうというのが現実なのだから。