「月(つき)」から読み解く『出版禁止 いやしの村滞在記』

今回の『出版禁止』に出てくる取材日誌は取材期間が1年程度と短く、日誌の開始と終了日がハッキリしている。「何か意味があるのかもしれない」と調べてみたところ、ひとつハッキリしたことがあるので書き留めておく。


以下、がっつりネタバレします。
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※追記:文庫版が2024.2.28発売。なぜかサブタイトルが「いやしの村」から「呪の村」に変更されています。


百年祭の儀式が執り行われたのは「2008年11月28日深夜1:54」である


本書では儀式が行われた具体的な日時は明記されてないが、百年祭の儀式が執り行われたのは「2008年11月28日深夜1:54」で間違いないと思う。「11月28日」と聞いてピンとくる人もいるかもしれないが、「出版日が11月28日だから儀式が行われたのも同じ日」という当て推量で言ってるわけではない。この日、この時刻でなければならない明確な理由がある。
(※「出版日って何? 本の発売日のこと?」とはてなマークが浮かんだ人は、どうやら見つけてない情報があるようなので単行本を裏表ひっくり返してくまなく探してみてください)。


取材記録(「素数蝉の理」)によると、酒内村の湖周辺でバラバラ遺体が発見されたのが2008年12月2日。肉片が残ってる状態で「死後数日」と記されている。また、取材記録(「無垢の民」)によると「11月の半ば」まで儀式の生贄にされた人物は生きており、儀式は「新月の夜」の「夜深い時間」に執り行われたことが明記されている。

そこで、2008年11月の新月・満月の日時を調べてみた。


↓こちらの一覧表によれば、、、
2008年11月の満月・新月カレンダー|NASAの天体データで月齢を計算
満月カレンダー(2008年11月)



11月半ばから12月2日までの間で、新月が訪れる瞬間は1度しかない。
それが、「2008年11月28日 深夜1:54」なのである。
日本での収穫祭(新嘗祭)は11月23日に行われるので、「秋の収穫が終わった頃の新月の日」という記述とも合致する。


昔から女性の排卵周期と月の満ち欠けが一致すると言われたり、満潮の時に出産や犯罪が増え、引き潮の時に亡くなる人が増えるなどと言われるように、月の引力は人間の身体に多大な影響を及ぼすと考えられている。儀式を司るキノミヤ一族ならば自らの運命も「月」と共にしていてもおかしくない、、、と仮定した場合、キノミヤマモルの死も、村で初めての出産も、一連の呪いによる復讐も、新月満月表から割り出せるのではないかと思い調べてみた。


取材記録(「無垢の民」)には、儀式から「1ヶ月が経った」日にキノミヤマモルが亡くなったと書かれている。儀式の1ヶ月後といえば2008年12月末頃。↓一覧表を確認すると
2008年12月の満月・新月カレンダー|NASAの天体データで月齢を計算
満月カレンダー(2008年12月)
該当する新月の日は「2008年12月27日 21:22」となる。



出産については、ルポライター佐竹の取材記録(「取材を終えて」)に「施設を訪れてかれこれ10ヶ月が経った」ころに村で初めての女の子が生まれたと記されている。佐竹がいやしの村を訪れたのは「2009年5月15日」なので、その10ヶ月後となると2010年3月頃ということになる。↓一覧表を確認すると
2010年3月の満月・新月カレンダー|NASAの天体データで月齢を計算
満月カレンダー(2010年3月)
3月に満月は2度訪れる。「3月1日 1:37」と「3月30日 11:25」だ。「子供の両親だけでなく、村人たちも待ち望んでいた出産だった」ことから、生まれたのは跡継ぎとなる女の子、すなわちミチル(朔)の血を継いだ子であると推察される(カタカナで書かれた名は佐竹がつけた仮名である。朔の妊娠を知り、新月から満月へと月が満ちるという思いを込めてその名を付けたのだろう)。滞在初日(5月15日)の酒席でミチルは「厨房の後片付けがある」と酒を断っており、子供は「深雪で覆われた」頃に生まれている。場所が奈良県であることを考えると3月30日では遅すぎる。「朔」という漢字には「新月」以外に「一日(ついたち)」という意味もあるので、語呂の良さからも、跡継ぎが生まれたのは2010年3月1日と考えるのが妥当といえる。


尚、新月を「朔」と呼ぶように、満月にも別の呼び名がある。それが「望」である。皆が待ち望んだ後継ぎの誕生。世代をつなぎ、新たなる百年が託されたことで、いやしの村は希望に満ちあふれ、佐竹の絶望も希望に変わる、、、と言ったぐあいに「望」と連呼されてるのはそのせいだろう。



最後に、呪いによる復讐執行時期を特定するべく、一連のできごとが何月の何日頃に起こったのかカレンダーを作って村人の卒業時期と月齢表を対応させてみた。定例会が行われているのはおそらく土曜の夜(佐竹が村を訪れたのが2009年5月15日金曜日。翌日(16日土曜)夜に定例会が開かれ、定例会は週1で行われていることが記述されている)。定例会や取材の開始/終了の日付を頼りにすると誤差数日程度である程度日付が特定できるため、↓こちらの月齢がわかるカレンダーと付き合わせてみたんだが、、、
2008年10月の六曜・月齢・旧暦カレンダー
2008年11月の六曜・月齢・旧暦カレンダー
2009年5月の六曜・月齢・旧暦カレンダー
2009年6月の六曜・月齢・旧暦カレンダー
うーん、思ったような法則は見いだせなかった。呪いをかけられたものは「突然病に冒されたり、不慮の事故に遭って命を落とした」と記されているため、新月の頃なら心臓発作、満月の頃なら不慮の事故ぐらいのことはやってるんじゃないかと期待したが、それをしてない(そもそも死因もわからない)ってことは、純粋に超自然的な力ではなく「毒物混入」と念送りによる「注意そらし」で心臓発作や注意散漫による死亡事故等を引き起こしているのだろう。ちなみに装丁に描かれた青い花トリカブトではない。画像検索したところ「テキサス・ブルーボネット(学名:ルピナス)」という花で、花は食用も可能。種に多少の毒性があるが大量にとらないとあまり意味がない(しかも苦いらしい)。この花については「和名」に意味があるのでまた後で改めて取りあげる。ちなみに花言葉もあるが、まあ、関係はあるっちゃあるけどそれほどピンとはこないので気になる人は調べてみてください(苦笑)。



そういえば、四国八十八ヶ所の逆打ちは「閏年」に行われるが、百年祭が行われた2008年も閏年であり、2008年の百年前となる1908年(明治41年)も閏年であった。
閏年(うるう年)早見表 - 西暦元号早見表
↑上記には明治までしか記載されてないが、1808年も1708年も閏年なので、「決められた年以外には行ってはならない」の「決められた年」が「百年に一度」にかかっているのだとするならば百年祭が行われる年は常に「閏年」ということになる。ただし、そこになにがしかの意味があるのかというと、お遍路が閏年に逆打ちを行うのは通常の年に行うより「三倍の功徳が得られる」と記されているように、何か闇深い意味があるわけではなく、あったとしても平年にやるより効果が高いということぐらいだろう。「逆打ちすると死者が蘇る」という俗説もあるが映画化もされた小説『死国』が流行らせた都市伝説なので今回のこの話には使えない(故に本書にも記されてない)。「閏年」にこだわるよりは「逆打ち」の「逆」にこだわった方がよい。「逆」は本書を読み解く上でのキーワードである。逆打ちの「逆」をよく見ると新月をあらわす「朔」と同じ漢字が使われているのだが、これにもおそらく意味があるのでまた後で改めて取りあげる。




酒内村は奈良時代以前からあるとされているが、石碑(裏に判読不能な祈祷文が書かれてる)や、村への入口に建てられた地蔵・祠は「明治以降に建てられたもの」とされている。何故明治以降にしたのか気になるような書き方をしてあったので考えてみた。前回の百年祭は明治41年に行われた。百年祭を執り行うには「相手を呪い、復讐したいという強大な思念」が必要である。村は小さく12世帯50人ほどしかいないため村人だけでその思念を賄うのは不可能。呪いの村があるという噂を聞いてこの地を訪れる外部の人間が必要となる。今回の儀式を執り行うにあたり、キノミヤは5年前にいやしの村を開設しホームページで外部から人を呼び寄せた。おそらく明治に行われた儀式の際も、噂を流布し外部の人間が迷わず村にやってこれるよう道標として建てたことは十分に考えられる。もしくは、昭和初めの廃村にあたり次の百年祭を行う子孫がこの場所を探しあてる際の道標として建てたものと思われる(実際、形は違えど今回も他言無用という禁を破って記録を残し出版まで行ったのは次の百年を見据えてのことだろう)。


100年てね、意外と長いのよ。大きな事件があっても風化するぐらいに。バラバラ猟奇殺人事件なんて目を惹く事件があっても、100年もあったら地元の人でも忘れてくれる。人間を生贄にした祭りを行っても個別の猟奇殺人として片付けて貰えるのは百年に一度だからこそだろう。ただし、文化の継承と後継者不足は常に問題で100年という長さは不利に働く。


素数蝉は13年、17年という決まった年数ごとに地上に大量発生する。利点は、地上に出るまでの周期が長いとそれだけ天敵に出会う機会が減り、周期の短い近隣種と交配する機会が減ることで純血が維持され、より長く種が存在できることだとされている。祭りの周期を百年とすることでリスクは減るが、大量の血縁者がいるわけではない。百年祭りの儀式に巫女は不可欠。宮司は替えが効くが、巫女だけは血を受け継いだものしかなることができないため、100年周期で必ずその家系に巫女となる女性が存在していなければならないというのは結構難儀なルール。今回の儀式のあとに無事跡継ぎが生まれたけれど、100年後に巫女となる女の子が無事生まれているかどうか、その子がこんな奇祭に自分の人生を犠牲にしてまで付き合ってくれるかどうかは怪しい。「朔」の左側の漢字は「逆」という意味で「そむく」と読むんだが、その名の通り、運命にそむこうとしたしね。心配は尽きない。名付けは慎重に。



「名前」に隠された秘密

これはね、正直言って、人に教えられるより自分で見つけた方が楽しいと思うので、ヒントを書いておきます。


まずは、本書の中で《本名》とされる「藤村朔」「都築亨」「佐竹綾子」について調べてみてください。調べ方は「漢字の読み、意味、成り立ち」です。それがわかると、名前と運命が密接に絡み合いすぎて「どっちを先に思いついたんだろう」とグルグル考えることになると思う。「ロロルの村」みたいに「おお!名前に『イケニエ』の4文字が隠されてる!」という単純な話で小躍りしてる場合じゃなかった(汗)。


ちなみに「藤村」については漢字を調べても何も収穫がないんだけど、単行本の装丁に描かれた青い花「テキサス・ブルーボネット(学名:ルピナス)」の《和名》(これも逆なのよ。本書において「逆」ていうのは重要要素だからね)と関わりがあることから考えると、「藤の花は何故縁起が良いとされているのか」と同じ語呂合わせ的な発想で攻めた方がよい気がする。いやしの村? 癒やしの村? 卑しの村? 藤の村? 不●の村? いや、●の村…みたいなね(笑)。ちなみに「フジ」には「不二」という漢字もあって、こっちの意味がなかなか面白いので調べてみて欲しい(「あの人とあの人が実は一緒」ていうのはこの「不二」が元ネタじゃないのかな)。あと、「綾」はちょっとむずいです。「言葉の綾」とかそっちの方面でせめてもらうと本書がなぜこのような構成になっているのかわかるかと思います。「子」はそのままかな。ストレートに受け取って「佐」とつなげればいいと思う。個人的に「亨」っていい名前だなあと成り立ちを調べて思った次第。尚、「了」に横棒が入るとまた別の意味になるので注意。「享」ではなく「亨」にしたのは意味があるのだろう。一方、「佐竹綾子」の「子」は女性であることを強調したいために入れたのか、助ける相手が「子」であることを強調したいがために入れたのかはさだかではない。


問題なのが「青木伊知郎(仮名)」。これ、仮名だから調べなくてもいいかと思ったんだけど、試しに調べてみたらかなり驚愕の内容で、なんで仮名なんだろ? 本名で良くない? だってこの名前を考えた人物はその後の展開を知らないわけじゃない。「伊」はともかくとして「青」や「木」にあんな意味が含まれていたなんて恐ろしい(実は「幸せの丸い貝」って予知者? そんなくだりないよね?)。ちなみに意味ありげなもう一人の「野瀧(仮名)」は「名前に月が入ってるね」以外のことはまったくわかりません(汗)。カタカナで書かれてる仮名の人たちも意味があるのかないのかまったくわからないです(汗。キノミヤとミチルはなんとなくわかるけど、他の人たちはさっぱり。意味がないからカタカナにしたような気もするけど)。


というわけで皆さん、頑張って。




ちなみにこれ以外にもまだ謎がいくつも残ってるのよ(汗)。普段なら事細かに描写するはずなのにぼかしたままになってる箇所(「部屋にある御神体」「佐竹の知人」)だったり、使われない伏線(「本を貸した人物の名前がわかったら連絡する」)や匂わせ(「男にも親や兄弟がいるはず」)があって解決できる気がしないんだけど、答えのある謎なんだろうか。「キノミヤを亡くしたいま記録を残すことは重要」の意味もいまひとつわからないし。文庫化の際にはあとがきでヒントを頂戴。


過去関連記事


↓宗教団体が絡んだ呪いによる交換殺人の話です。


↓『放送禁止3〜ストーカー地獄編』を見ると、村人のいう「自分は虐待やパワハラの濡れ衣を着せられた被害者だ」という話が果たして真実なのかどうかわからなくなるのでオススメです。