『劇場版 「鬼滅の刃」無限列車編』を観た(@立川シネマシティ新生aスタ)

千と千尋』の興行収入を塗り替える前に観てきました。

新しい吸音装置を配備したシネマシティaスタの杮落としも兼ねていましたが、新装備は当たりだと思う。一緒に『REDLINE』も観てきたけど重低音に振ったときの音鳴りが抑えられただけじゃなく、あからさまに音が澄んでる(これが「ヘルムホルツ共鳴器」の威力か)。その分、サラウンドも明確になって劇伴の鳴りもいいし(特に鬼滅は劇伴が楽しい)、ちょっとした風の音や、吐息・息づかいもめちゃめちゃよく聞こえるので、派手な戦闘シーン以上に静寂シーンがより一層楽しくなった。音響に関してはこれが最終形態かな。予告で流れてたエヴァの次回予告BGMが透き通りすぎてやばいので来年が楽しみ。ほとんど静寂で出来てる『クワイエット・プレイス 2』はaスタでもやってね。


というわけで本題(以下、予告2つ)。


鬼滅の刃』といえば、大正怪奇ロマンという好物案件にもかかわらず、MX放送時に二話切りした作品で、その後空前の大ヒットとなり、「あら、早まったかしら」と公開直前にフジで放送された特別編2本を観るも、どちらも1時間もせずリタイア。本放送時は単に合わないだけなのかと思ったが、特別編観て理由がわかった。これ、イメージに反し、めちゃめちゃ子供向けなんですよ。だから子供っぽいやりとりが続くと、イメージとのギャップと相まって必要以上にかったるく感じ、なかなか本腰入れて見続けられない(汗)。逆に、ちびっ子にウケるのはすごいよく分かる。きっと私にとってのウルトラマンレオ(※怪談映画の巨匠・中川信夫が演出で特別参加するなど、70年代オカルトブームを反映してグロ・怪奇描写てんこもり、且つ、隊員は全滅、レオ自身も生きたままのこぎりでバラバラにされて死亡するなど暗く残酷なシーンが多いのに、怖かった思い出は一切なく、記憶のほとんどが「レオキック」「レオチョップ」「特訓」「兄貴がピンチになると助けにくる弟アストラかっこいい」「ウルトラ兄弟の中でレオ兄弟だけ血がつながっておらず、同じ年頃の末っ子お坊ちゃんタロウと比べて不憫」で埋め尽くされているウルトラシリーズで一番好きな作品)と同じで、いま鬼滅ごっこして遊んでいる子らも、大人になって見返した時に想像以上に暗くて残酷描写の多いアニメだったことに初めて気づくパターンで間違いないです(そしてそのうちの何割かが知らないうちにエログロ怪奇の泥沼にはまりこみ、大きくなって見返したときに「あれもこれも全て子供のときに観た『鬼滅の刃』のせいだったのか」と悟りを開くことになるのだろう。乱歩先生、エログロ怪奇幻想業界はこれでまたしばらく安泰です!)。


で、そんな大して気が乗らない映画を何故テレビ放送まで待たず、重い腰を上げてまで観に行ったのかというと、映画ファンなら幾度となく体験しているであろう《映画館マジック》を期待したからですよ。昨年、大人も泣けると大評判だった『映画 すみっコぐらし』も自分にとっちゃそこまでの作品ではなかったけど、近くで見てた女児の反応が激烈で楽しかったという経験があり、私にとってはため息しか出ない『貞子3D』も、隣で観ていた中学生軍団のリアクションが120点満点でそれだけでもう一回観てもいいかもと思えるぐらい楽しかった経験から、「観るんだったら子供が押し寄せてるいま劇場で観るしかない。テレビで観ても絶対楽しめない」と腰をあげるタイミングを見計らっていたところ、「漫画もアニメもダメだったけど劇場版は楽しめた」という大人がちらほら出始めた上に、歴代興行収入1位という歴史的偉業を達成するかどうかというところにまで上り詰めてきたので、『REDLINE』を観るついでに観てきました。


結論からいうと、とても面白かったです。映画単体で楽しめました。物語の途中という触れ込みだったけど、主人公である竈門炭治郎の家族関係も、主要キャラの性格も、鬼の悲哀も、鬼殺隊や鬼の階級システムなんかも必要最低限のことは作品内で説明されてたし、かったるく感じてたやりとりがいい具合に端折られていたおかげで世界観にも入りやすかった。なんていうかね、若干「仮面ライダー」でしたよ(爆)。ただ、禰豆子については映画単体だと説明不足で、ある程度の予備知識がないと観てる最中もやもやするので、漫画もアニメも観ずに臨むのであれば、劇場版の公式サイトで炭治郎と禰豆子の人物紹介ページだけは読んでおいた方がいいと思った。プラス「伊之介の猪頭は被りもの」って豆知識さえ頭に入れておけば、漫画やTVアニメで無理に予習しなくても大人なら楽しめると思います。逆に、アニメも漫画も読んでない子供が楽しめるかというと、子供が好きそうなやりとりはだいぶはしょられてるので、きちんと予習させてキャラクターに馴染ませてから見せた方が楽しめると思います(禰豆子目当てなら尚更)。                              



以下、ネタバレ(結末にも触れてます)。


テレビシリーズを観てこなくてもその続きである劇場版を難なく観られたのは、二十六話まで進み膨れ上がった登場人物が、劇場版では必要最低限までそぎ落とされていたことと、主人公たちの「夢」に入り込んで無意識下の世界を覗き見るという話にしたことによって、戦闘に参加する主要キャラ4人(炭治郎・善逸・伊之介・煉獄さん)の人となりを本質的な部分も含め改めて紹介してもらえたことが大きかったと思う(禰豆子の夢に入ってもらえなかったのが残念)。提示された無意識世界のイメージはシンプル且つ的確でブレがなく、物語が始まって夢に入るまでの間に観てきた各キャラクターの外面と相まって「なるほど。この人は外面はこうだけど、内にこういう感情を秘めているのか」と速やかに理解することができた。特に炭治郎の内面世界は一家惨殺された壮絶な過去からは想像もつかないほど澄み切った快晴のウユニ塩湖のような世界が広がっており、誰が見ても「この子は強いわ」って思うだろうし、「健全」だし、【柱】である煉獄さんとは別種の強さであることが一目でわかるように表現されていて、煉獄の炎を内に秘めた煉獄さんが鬼に敗れることを考えると、示唆的でありとても親切だった。


煉獄さんのイメージは観る前に想像していたのとは少し違ってたかな。20代後半ぐらいなのかと思いきや意外と若い。20歳でも老生した人物が出てくるのがアニメなので、その「若さ」は年齢的なものというより、彼の「母親」の存在によるところが大きい(父親も出てきたがそちらはあまり関係ない)。物語前半では、若者に道を指し示すひとりの【大人】だと思ってた煉獄さんも、後半では炭治郎と同じように誰かの息子であり兄であり【子供】だったんだっていう事実が母親の存在によって浮き彫りとなり、「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務」という名台詞を言ったのが煉獄さんではなくその母親だったこともあって、煉獄さんよりむしろお母さんに対し「ヤバい、めっちゃ格好いい! 一生つていきます!」て気分になったし、その時から煉獄さんのことを「頼れる柱」というより「頑張る若者」という親心目線で見るようになってしまい、クライマックスでもさほど「煉獄さーん(涙)」とはならなかったかな。近くの幼児は、ずーっと大人しく観ていたのに煉獄さんがもうダメだってわかった瞬間からグズり始めて「ああ、君にもわかるのか」と微笑ましかった。私はむしろ途中の炭治郎にやられたというか、「はじめてのおつかい」でもちっこいお兄ちゃん・お姉ちゃんが重い荷物を抱えながら幼い妹や弟を叱咤激励しつつ前に進む姿に弱いので、強い意志をもって何度となく自力で夢から醒める炭治郎の方が衝撃だったし、心惹かれた。


ネタバレ予告


炭治郎って見た目からして14,5歳の設定なんだろうけど、そのつもりで観ていると突然すごく小学生みたいな正論を吐くんで、炭治郎に気持ちを乗せてもその瞬間はじき出されるというか、「こういうところが子供向けなんだよな」って再認識させられる。例えば、逃げる鬼に対し「卑怯者!」と叫んで煉獄さんのすごさを力説する場面があるんだけど、その言い回しがすごい小学生っぽくて、「『鬼滅』の実写化とか言ってる人は正気か? 14,5歳でもきついこのセリフを20歳過ぎの役者に言わせるなんて無理がありすぎる。相当な映画マジックが必要になるぞ」ていまから心配。


ネタバレ終了


ちなみにフジで放送したTVアニメの二十二話以降(柱合会議・蝶屋敷編)が家のHDDに残ってたので、劇場から帰って早速観てみたら、柱が出てくるあたりの回は絵柄もギャグの配分もすごくジャンプっぽくなっており、煉獄さんも普通に若者だった。。。



イムリーにも、明日フジで18時59分より二十二話以降が再放送されるので、未見の方はどうぞ。
無限列車に乗るまでが描かれた前日譚です。フジでは二度目の放送となりますが、新規映像を追加した特別編集版だそうです(一部地域を除きアフタートークもあるとか)。




鬼滅の刃』て塗り絵がめちゃめちゃ売れてるんじゃないの? 柱合会議観てたら無性に塗り絵がしたくなったもん。調べたら3月になるまで発売しないんだ。塗り絵業界よ、遅すぎ! 何やってんの? 

鬼滅の刃 塗絵帳 -紅-

鬼滅の刃 塗絵帳 -紅-

鬼滅の刃 塗絵帳 -蒼-

鬼滅の刃 塗絵帳 -蒼-

原作とアニメって輪郭線が結構違うのね。子供はアニメの方が塗りやすそう。