『ルネッサンス』を観た(@シネセゾン渋谷)

これからモーション・キャプチャー使って2D風3Dアニメーション作ろうって人は、是非ともこの作品を反面教師にしてもらいたい。モーション・キャプチャーで人物を動かそうとすると手書きの何倍も無駄な動きが多くなるというごく当たり前のことが非常によく実感できる仕上がりになっております。


本作は、メインとなる色を「白」と「黒」の二色に限定することで非常にコントラストの強い画を生みだしている。版画や切り絵にもよく似たその画風にはとても心惹かれたが、“影”の量が少し多すぎるんだよね。3Dアニメだから余計にそう感じるのかもしれないが、ビジュアル重視の作品にしては珍しく、一枚絵として見たときにもう少しだけ線を加えて明暗のバランスを修正したくなるようなカットが結構あって、特に夜のシーンになると、人物の動きや顔の表情、背後の風景に至るまで、何もかももが「影」「暗闇」に浸食され、何が起こってるのか何が描かれているのかが見えづらい。モーション・キャプチャーでリアルな人間の動きがそのままトレースされてるだけに、まるで“照明の足りてない実写映画”を見てるようなストレスを感じさせる。


「極端に陰影を増やし、輪郭すら排除して人物と漆黒の背景とを同化させる」という手法を多用するなら、監督の意のままに人物の動きをコントロールできる「リミテッド・アニメ」で作るべきだったのではないか。「モーション・キャプチャー」だとどうしても無駄な動きが多くなり、この状態で更に人物の輪郭線を消し去り背景と同化させられると、錯視絵として有名な「ダルメシアンの絵」を見てる時のように、見えない部分の輪郭線を自分で補完しなければならず、人物が無駄に動けば動くほど余計な集中力を使わされる(しかもこれ、脳が自動的にやってることだから「止めればいいじゃん」と言われても無理なんスよ!)。


リアルな人間の動きというのは手書きアニメに比べて非常に無駄が多い。だからこそ「これはまさしく人間そのものの動きだ」と判断できるわけだが、必要な動きしか「しない/させない」のがデフォルトになってる2Dライクなアニメに、リアルな人間の動きを形だけ付加されても動きの無駄さ加減が際だつだけであまりメリットがあるようには思えない。せっかくコントラスト強めてスタイリッシュな画に仕上げても、人物の動きそのものが大味ではしまらない。そもそも平面的な絵柄のアニメでモーション・キャプチャーを使う必要ってあるんだろうか? なめらかな動きにしたいだけならディズニーのようなフルアニメで十分。この手の手法の先駆けとなった『アップルシード』は「技術的な目新しさ」という点においてモーション・キャプチャーを使うことに意味のあった作品と言えるが、まもなく公開される『ベクシル』はその点をどう考えているのか。『ルネッサンス』と同じような過ちを犯してていないことを祈りたい。