塩田明彦・井川耕一郎トーク付き『1st Cut 2003』Bプロを観た(@ユーロスペース)

1/26から上映されてる『1st Cut 2003』。今日はBプロの最終日という事で、上映後、A・Bプロの監督4人と映画美学校の講師・塩田明彦、井川耕一郎によるトークショーも行われ、なかなか面白かった。観客は60人ぐらい。美学校の生徒も多数来てた模様。(※作品の詳細は以前の日記を参照されたし)


とりあえず、まずは映画の感想から(ネタバレあり)。


緑のカーテン(監督・脚本 隅達昭)
これは正直よくわからなかった。監督の中には、やりたいことや言いたいことというのがきっちりあって、それを表現するべく台詞のひとつひとつが選ばれているような感じは受けるんだけど、実際にそれが役者の演技や映像と合わさると、台詞が上滑りしてゆくというか、頭の中にとどまることなく素通りしていってしまい、結局何が言いたかったのかやりたかったのかよくわからないまま終わってしまったという感じ。いろいろ起こるんだけど、なんで起こってるのかよくわからない。人物がどんどん入れ替わってゆくんだけど、その人と出会って「じゃあどうした?」てとこがよくわからない。突飛な言動を見せても、これといったリアクションがあるわけでもなく、設定が1個1個使い捨てされてく感じ。出会うのも別れるのも全てが“必然”なのだから説明は要らないんだよとばかりに、物語は淡々と次へ次へ進んでゆくので、話が展開してゆくことへの予感とかドキドキ感みたいなものはなかった。登場人物同士の会話は、なんだか独白の積み重ねみたいで、積み重なった先に何か浮かんでくるのかなあと思ったけど、結局自分にはよくわからなかった。ただ意図的なものも感じるので、監督とチャンネルが合わないだけなのかもしれない。観終わってみると「何かがあるようなんだけど、それが何なのかはよくわからない」という感覚と“緑”という単語のみが頭に残った(でも“緑”が何を表してるのかはやっぱりわからない)。女の子が疾走してるシーンはよかった(自分の中で唯一なにか感じ取れるモノがあったから)。


劇場でもらったプログラムの中で講師陣による作品座談会が開かれていたのだが、それを読むと、ラストで女の子を焼いたのは彼女のアキレス腱を切った男の子ではなく、冒頭で恋人に自殺された男の子(!)だったそうだ。アキレス腱を切った子が彼女を焼き自分も自殺を図ったんだとばかり思ってたけど、携帯電話以降、この二人になにか接点ってあったっけ? 単に冒頭の人物が最後に出て関係をもつ事でぐるっと輪をつなげたかったのかなあ。


ラストの暗く後味の悪い終わり方について、井川氏が面白いことを言っていた。女性監督だとこういう終わり方にはならないらしい。どんなに悲惨な話でも閉塞させることなく画的に解放して終わらせるのが女性監督の傾向なんだそうだ。具体的に言えば、女性は「空(そら)」を撮って終わり、男性はどこまでも「闇」のまま。昔、井川氏も自主映画で女性監督だと偽って映画を撮ったことがあるそうなんだが、どうしても「空」は撮れなかったらしい*1


それから塩田氏の発言で「さすが監督!」と思ったのが、“物語の導入の仕方”についてのコメント。本作は、心中しようとする男女の描写から始まり、途中女だけ先に死んでしまって、残された男が夜のコインランドリーで居合わせた見知らぬカップルに女が自殺したことを淡々と語って聞かせるシーンへと続いてゆくのだが、塩田監督は「観客の気持ちを引きつけるには、そのコインランドリーのシーンから始めて、徐々に女が死んだことを見せていった方がよい」と指摘していてなるほどなと思った。確かにそっちの方がいい。塩田氏曰く、「短編でも長編でも、映画の始まりは物語の途中からで、ある謎と共に物語が進んでゆくのが心地よい導入の仕方」なんだそうだ。納得です。



『海を探す』(監督・脚本 小嶋洋平)
いやー、この人の画、私はかなり好きです。かなり、じゃないですね。めちゃめちゃ大好きです(嬉)。田園の中を走り抜けるベスパ、グラウンドに伸びる影法師、砂浜に点々とつけられてゆく足跡、泡を吹きながら石段を落ちるペットボトル、地面に落ちたアイスバー、1階と2階の窓から姿を見せる男と女の構図、すくっと立ち上がった女子高生のスラッと伸びた足などなど。主人公たちが暮らしてた一軒家の間取りも良かったなあ。風景(もしくはフレーム)の何処に人物を配置するか、物体を置くかというそのバランス、そしてそれをどういう軌跡で動かすかというセンスが非常に良いのですよ。“風景好き”の身としては、ロケハンの神が憑いてる*2と噂の瀬々敬久監督の画が一番好きなのだけれど、最近は風景への思い入れを画に反映する事を控えてしまっているので、こういう画を撮る監督が出てきてくれたのは非常に喜ばしい。


上映後のトークショーでは、塩田監督が「冒頭で男と女が出会ったが、プールからバーンと出てきたのが男にとって見知らぬ女なのかがどうかがわからない」ことを本作の決定的な失敗点としてあげていた。ただ私自身はそこは特に気にならなかった。プールから女が出てきて*3男と目があうだけで掴みとしては十分だったからだ。それよりも、タイトル後の時間経過の方をもうちょっとなんとかして欲しかった。男と女の目があった後、『海を探す』のタイトルがバーンと出て、次の場面では1年後に話が飛んでいるのだが、画的なつながりとしては1年後ではなく二人が出会った翌日にしか見えず、親しげに振る舞う二人の関係を理解するのに時間がかかった(プールで出会った時は親しい関係には見えなかったので)。



塩田明彦トークショーは今回が初体験だったのだが、監督がこんなにもお喋りさんだったとは知らなかった(笑)。同席してた井川氏から自己紹介の後に「塩田さんは良いこと言うんだけど前置きが長すぎる。パッパといきましょう。30分しかないんだから」と釘をさされてたぐらい。お喋りなのは自分でも自覚があるらしく、「ほっとくとどんどん俺ばっか喋っちゃうから止めてね」と自ら周りに警告を発してた。もう自分じゃどうしようもないらしい(笑)。

*1:ここで塩田氏から「『ミスティック・リバー』はやはり男性監督の映画なんですかね?」というツッコミが入った。確か監督はクリント・イーストウッドだっけ。私はまだ観てないけど、へえ、そういうラストなのかあ。

*2:共同脚本家として瀬々監督のロケハン・シナハンに頻繁に同行してる井土紀州がそう評している

*3:小嶋監督の説明によると、実際には、プールに女が入ってたシーンも無ければ出てくるシーンも無かったんだそうだ。しかしこの作品を観た人の中には、プールの画とバシャッという水の音、水に濡れた女の画だけで、プールから女が出てくる映像を見たと錯覚する人がいるらしく、どうやら自分はその特異な一人だったらしい。