4月に上演された動物自殺倶楽部第3回公演『夜会行』が8月より「演劇三昧」にて配信スタートしていたため、観劇時の感想を急ぎUPしておきます。
演劇三昧の配信アドレスは↓こちら(冒頭3分試聴可能)。
動物自殺倶楽部は演劇ユニット鵺的の主宰であり全戯曲を手がける高木登さんと、牡丹茶房所属俳優・赤猫座ちこさんによる演劇ユニットで、2021年に鵺的で上演された戯曲「夜会行」を動物自殺倶楽部の演目として改めて上演することになったもの。鵺的では最近、演目上における性的描写暴力描写の有無について、心構えができるよう、事前にどの程度の表現なのか説明をすることにしており、動物自殺倶楽部でも同様の措置がとられています。心配な方は事前にご一読を。
『夜会行』を安心してご覧いただくために|動物自殺倶楽部
初演時の鵺的版『夜会行』も配信中のため、併せてどうぞ。結構印象が違うのです(冒頭3分試聴可能)。
動物自殺倶楽部第3回公演『夜会行』
https://note.com/dobutsu_jisatsu/n/n7ed4fec30dce
四人のレズビアン 一人のクエスチョニング
どこにでもある日常 ありふれた一夜
そしてささやかな偶然の物語
作:高木登(演劇ユニット鵺的/動物自殺倶楽部) 演出:小崎愛美理(フロアトポロジー/演劇ユニット鵺的)
出演:太田ナツキ、木下愛華、輝蕗、寺田結美、日野あかり(日本のラジオ)/ 佛淵和哉
お話はというと、、、新型コロナが5類に移行した某日、新田みどり(太田ナツキ)と近藤笑里(木下愛華)が同棲する部屋に、友人の秋元遼子(日野あかり)、廣川愛(輝蕗)が訪れる。25歳を迎える笑里の誕生パーティが開かれるのだ。遅れて廣川の新しい恋人・永井理子(寺田結美)も訪れる。皆とは今日が初対面。彼女は同棲していた男性と数ヶ月前に別れたものの、ある事情から元彼との間にトラブルを抱えていた。秋元は理子がかつて男性と同棲していたこと自体に懸念をしめすが、廣川は理子にぞっこんで・・・。一方、付き合って3年が経つみどりと笑里の間にもわだかまりがあり・・・といった感じ。
『夜会行』はコロナ禍の2021年に鵺的第14回公演として初演され(演出:寺十吾 出演:笠島智、福永マリカ、ハマカワフミエ、青山祥子(贅沢貧乏)、奥野亮子(演劇ユニット鵺的)/橋本恵一郞)、戯曲を書いた高木氏の「演出を女性に任せたい」「若手版が観たい」という当初からの希望により、人物の年齢設定を30代から20代へ変更した上で、演出・キャスト共に入れ替えて再度上演することとなったのが今回の動物自殺倶楽部版『夜会行』となっている。唯一の所属俳優である赤猫座ちこさんの休養前最後の舞台ということだったが、体調が振るわず降板となったのは残念(詳細はこちら。場を調整し受けの芝居を要求される新田みどり役をどんな風に演じるのか見てみたかった)。キャスト一新と言っても、寺田結美さんはコロナ禍で行われた鵺的版『夜会行』で全ての人物のアンダースタディ(代役)として待機しており、幸い代役として舞台に立つことはなかったものの、せっかくの芝居が見られずじまいだったこともあり、今回改めてキャストに選ばれどの役にキャスティングされたのか楽しみにしてました。
まずはセットから。↓こちらの画像の上2つが初演、下2つが今回のセット。
壁一面の棚には間接照明と多数の観葉植物が配置され、都会の喧騒からはずれた郊外の借家を思わせる緑あふれる落ち着いた部屋となっている。客席と舞台の境には蔦の絡まる手すりが設けられ、窓に見立てた透明のアクリル板によって仕切られることで、客席から観る我々は芝居の大半を部屋の外の暗がりから窓越し(アクリル板越し)に「観察」する形となっていた。『夜会行』
— 合同会社およぐひと (@hakamadan) 2024年5月2日
・鵺的
2021/7/1〜7 @サンモールスタジオ
演出:寺十吾 /照明:阿部康子
・動物自殺倶楽部
2024/4/24〜28 @「劇」小劇場
演出:小崎愛美理 /照明:中佐真梨香 pic.twitter.com/INgf7AlfFX
2021年7月に鵺的で行われた初演版は、東京都の緊急事態宣言が明けた直後ということもあり、芝居中も飲み食いする時以外ずっとマスクという徹底ぶりだった。しかし今回は5類移行後。マスクをつけない芝居が多くなることが予測され、実際そうなった、、、というか「つける/つけない」は現実同様登場人物の性格に依存していた。舞台と客席が窓(アクリル板)で仕切られたこのセット、初演時にあった「コロナ禍のパーティー」という設定を引き継ぐにあたり、コロナ禍を象徴する存在でありながらいまでは過去の遺物となり始めてるアクリル板を、演者と客席双方の安全も考慮しつつあえて大々的にセットに取り入れてみたのかと思ったのだが、それは客電が消えるまでのこと。今回で観るのは3度目となる小崎愛美理さんの演出は、拡張的というか、舞台と客席の空間的な境界が曖昧になることが多く、登場人物の心象世界に空間ごと引きずり込まれたり、油断して身を任せてるといつの間にか共犯関係にさせられるような演出を仕掛けてくることがあるため油断できないことや、私自身が直前までM・ナイト・シャマラン製作の映画『ザ・ウォッチャーズ』の予告を繰り返し映画館で見ていたこともあり、客電が消えた瞬間、緑に囲まれたガラス張りの部屋を前にして湧き上がる既視感に「客席にいる我々は、今回この舞台で、いったい何役にさせられるのだろう」としばし怯えることに。
今回のセットは、(配信では若干わかりづらいが)大きなアクリル板の存在が視覚的聴覚的に引き起こす“密閉感”と、それが本当の窓のように開け閉めできることによる“開放感”から、「息がつまる」「外の空気を吸う」「空気を入れ替える」という体験を感覚的に演者と共有しやすくなっている。故に、環境音の有無や強弱、照明の当て方によって、人の家で行われてる誕生パーティを外から覗き見してるような感覚になる時もあれば、同じ空間で一緒に体験してるような感覚になる時もあり、細かく使い分けがなされていた。客電が消えた瞬間に感じた「監視者にされたらどうしよう」という不安は幸いにも外れたのだが、芝居が終わり、場内アナウンスが流れてもなお舞台上に残り無音のまま芝居を続ける演者の前を、名残惜しそうに見つめながらぞろぞろと退場する観客の姿を見ていたら、動物園でアクリル越しに動物たちを見てるときのような既視感がふいに襲ってきて、これは意図された演出なのか、直近で友人たちと動物園に遊びに行く約束してた私個人の問題なのか、この感情をどう処理すればよいのかと悩んでしまった。動物園だとしたら見られていたのはどちらだったのだろう(あちらから見られてる演出はなかったのでやはり私の問題か)。慣れすぎて忘れてたけど「たかがアクリル板1枚」の仕切りとしての存在感を改めて感じた舞台だった。
緊急事態宣言こそ明けたものの、まだまだ対面での距離感が掴めず、一発アウトのようなピリピリとしたムードの中で上演された鵺的版『夜会行(2021)』と、初演から3年経過し、新型コロナも5類に移行。アクリル板も外され、マスクも任意となった現在の状況にあわせ多少の改訂が施された動物自殺倶楽部版『夜会行(2024)』は、コロナにまつわる箇所以外のセリフや年齢以外の人物設定はほぼ変わっていない。にも関わらずかなり異なる印象を受けた。送り手が台本の解釈をそもそも変えてきたと感じる部分もあれば、キャストや年齢の変更により見てるこちら(受け手)の印象が変わったと思しき部分もあって、送り手の意図によるものなのか受け手の問題なのか、切り分けが難しい。それが感想が滞っていた所以でもある。
↓↓↓↓以下、ネタバレ。鵺的版『夜会行(2021)』のネタバレにもなってます。↓↓↓↓
キャストや年齢の変更によりこちら(受け手)の印象が大きく変わったと思う点は以下の通り。
初演時は、『レネゲイズ(2019)』『バロック(2020)』と高木さんの手がけた直近の作品に特殊な力をもった存在や極端な設定の人物が多数登場していたこともあり、人の気持ち、その人の欲しいものや、して欲しいことがわかってしまう永井理子という存在に初演時は人智を超えた特異性を感じてしまい、彼女の夫がモラハラ化したのは理子の特殊な能力のせいとも言い切れないのではないか、現在の恋人である廣川も理子のその力の影響でいずれモラハラ化するのではないかという懸念がぬぐえなかった。そもそも30代半ばの廣川が「5つ年下の恋人の理子よりかなり子供っぽい」というのも懸念を大きくする要因だったと思う。ところが今回は理子の方が廣川より年上かつ姉さん女房的な力強さと安心感があり、初演時の理子にあった危うさや特殊性といった属性は弱まって、不可思議に聞こえる事象も気のせいとか表現が大袈裟といった程度におさまっていた。理子の持つ力の特殊性とそれがもたらす奇譚要素が薄まったことで、LGBTQという『夜会行』という作品が持つ本来のテーマ性だったり、“いまもどこかで起こっていそうな市井の人々の出来事”という印象がより際立ったように思う。また、同じセリフでも20代が言うのと30代が言うのでは重みが異なるので、「20代に言われるなら軽く受け流せるけど30代にそのセリフを言われると不安」とか「30代に言われると頼もしいけど20代に言われると若干心配」といったことが生じて、どのキャラクターも年齢による印象の違いが生じたが、この家の主人である新田みどりだけは印象が変わらなかった。それはそれでどうしてなんだろうとぐるぐる考える・・・。
作り手が大きく解釈を変えてきたと思った箇所は2つ。
ひとつは、廣川愛の人物設定。初演時の廣川は元ヤンっぽい感じだったのが、まったく同じセリフ・性格・口調にもかかわらず何の違和感もなくおたく系文化女子に変換されていて、「元ヤンとおたく女子ってこんな違和感なくスライドできるんだ!」と目から鱗が落ちる思いだった。ただ、よくよく考えてみれば、乱暴な言葉遣いは年齢が上がるにつれあまり言わなくなるだけで若い女子なら大抵使っており、35歳になっても違和感ないのが元ヤンぐらいというだけのこと。設定が20代に下がれば、オタク女子だろうがギャルだろうが優等生だろうが誰が使ってもさほど違和感はないのだろう。
もうひとつは、近藤笑里の人物設定。初演時の30歳になった近藤笑里は、自己への嫌悪感と苛立ちで精神的にかなり不安定になる瞬間があって、同居してる恋人のみどりは自殺への懸念を抱えているように見えた(故に最後の絵で救われる)。今回の25歳になった近藤笑里には希死念慮を感じるほど精神的に追い込まれてるような不安定さは感じない。この先5年この状況が続いたらどうなるかはわからないが、いまはない。30歳と25歳の違いなのだろうか。40歳になるともうちょっと人生楽になる気もするが。
「自殺への懸念」と書いたが、実際のところ前回の台本にも(もちろん今回の台本にも)それを示すようなセリフやト書きがあるわけではない。冒頭で行われた、台本には書かれてない(故に台本を読んで「書いてないのかよ!」と驚いた)演出上のちょっとしたシーンがひっかかった結果、私が個人的にそう受け取ったという話でしかないのだが、その「ちょっとしたシーン」というのは、冒頭なので観劇三昧の冒頭3分間お試し視聴でも見ることができるのだが、ひとりソファーに座っていた笑里が、ベランダへと出てゆくシーン。カーテンの奥に隠れ姿が見えなくなると、誰もいなくなった部屋に、今度はみどりが現れる。笑里の姿がないことに気づき、窓が開いてることにハッとし、一呼吸おいてベランダに向かって声をかけると笑里が姿を現す。この笑里がベランダに出て姿が見えなくなってる時間にものすごく不安を掻き立てられ、「まさか、飛び降りてないよね?」と心配しかけたときにみどりが声をかけたため、「よかった生きてた」とほっとしたのだが、そもそも冒頭、物語はまだ何も始まっておらず、「生きててほっとした」と思わせるだけの前情報は何も提示されていない。正直なんでそう思ったのかはわからないが、その自分の勝手な直感にまるで呼応するかのようにみどりがハッとした顔を見せるため、そういう風に思わせるための演出なんだろうと解釈した。
人物設定が変わったために、初演と今回ではラストが異なっている(台本上は同じ)。初演の30歳の笑里はもらったクレヨンで絵を描き、観客は最後に描かれた絵の内容を見て安堵する。今回の25歳の笑里は絵を描いてる姿で終わる。どんな絵を描いてるのか観客は見ることができず、穏やかな空気が流れる中、絵を描く笑里とその姿を嬉しそうに眺めるみどりを横目に劇場をあとにする。正直終わった直後は「絵を見せてくれないのかあ。残念」とその場から離れるのが名残惜しかったが、初演時と違い、そもそも今回の笑里は絵を見せる必要がないのだと気づく。一度絵筆を捨てた笑里が、再び絵を描き出したことに意味がある。途上にある若者がその人生においてこれからどんな絵を描いたっていいのだし、そこは観客が好きに想像したらいい。ちなみに台本には「絵を描く笑里」なんて一言も書いてないので(今回も前回も台本読んで「書いて無いんかい!」てなるやつ)、初演チームが足した結末に、若手チームがアンサーを返した感じかな。
そういえば、モラハラ気質の元カレに電話で詰められていた時、初演とまったく異なる演出だったんだけど、拡張してくるのに逃げ場がなくて「このシーン、こんなに長かったっけ?」と思うぐらい体感時間が長かった。
↑↑↑ネタバレ終了↑↑↑
同じ台本を年齢設定を変えて演じさせる今回の試みは、初めて経験したけどとても面白かった。私は結構、人を見た目や年齢で判断してることを再認識したよ。同じセリフなんだけどなあ。
鵺的の第18回公演『おまえの血は汚れているか』( 作:高木登 演出:寺十吾)は10月18日よりザ・スズナリで。チケット先行は8月31日より。
その前の9月27日より宗清寺で始まるうにくらげ第2回公演『à deux』に高木さんとチタキヨの米内山陽子さんが台本を提供。そして演出をなんと福永マリカちゃんが担当。いやーどんな感じになるのだろう。
場所見知りとしては「お寺で観劇ってどういうこと?」と思ったら↓こういう感じなのか。
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