98年に起きた「志村けんブーム」「シムケン現象」を振り返る

書けた! 久しぶりの発掘シリーズ第2弾です。
「え? 第1弾は?」
第1弾は、10年ぐらい前に書いた「足利事件」です。



ステイホームにつき会社が休みになって早3週、こんな機会でもないと雑誌の断捨離ができないと一念発起し、長年家に溜め込んでいたエンタメ雑誌を押し入れの奥深くから引き出し整理してたら、98年〜00年あたりの「日経エンタテイメント」が発掘された。選別のため表紙を眺めていたら98年分にやたら志村けんが出てくる。「まさか流行病(はやりやまい)で亡くなるなんてね。お釈迦様でも…」と時代劇の町人みたいなセリフを呟きつつ中を確かめてみると、どうやら98年という年はチマタに「第3次シムケンブーム」が起きた年だった様子(1次がドリフ時代、2次がだいじょうぶだぁ時代)。「そういえば・・・」と、少し前に↓こんな記事がネットに上がっていたのを思い出した(一部抜粋)。

志村けん頂点の後「3年半の低迷期」窮地でも貫いた「喜劇役者」の顔〜国民的ギャグ生んだ「後輩芸人」への寛容さ〜(@withnews.jp)
そんな志村にも、実は低迷期がある。具体的に言うと、『だいじょうぶだぁ』終了後の1994年から1997年前半あたりまでの約3年半だ。若者を中心に、“志村のコントは古い”という扱いを受けていた。

記事には書かれてないが、「立役者といえば松っちゃんだろ」と記憶してる人は、当時カリスマ的人気を誇っていた松本人志が自著『遺書』の中で「俺が認める男ットコ前芸人」として紳助・大竹まこと・相方の浜田に並び「お笑い一本で勝負するお手本」として志村けんの名をあげていたことが強く印象に残っているのではないかと思う。ただ『遺書』の発売は94年で、シムケン再ブレイクにはまだ少し間がある。まことちゃんハウス問題で大変だった楳図先生を定期的にガキ使に呼んで支えてくれたように、世間からの評価が不当に落ち込まないようにと下から支える役割を担いつつも、それが直接露出アップにつながることはなかった。では、何がきっかけだったのか。記事では、当時本格的に東京進出を果たしたナイナイ岡村隆史が「アイ〜ン」ポーズをはじめとする志村の持ちネタを頻繁にマネし、それが子どもや若い世代にウケたことで、ストイックに笑いを追求してきた志村自身の気持ちが変化したことが、再ブレイクへとつながる一番のポイントだったのではないかと考察している。



そこで発掘した「日経エンタテイメント」の出番です。


当時日経エンタでは、98年8月号から毎月のように志村けんの特集記事を組み(99年4月からは連載もスタートし、後に出版もされている)、再ブレイクのきっかけや露出が増えた理由について直接志村けんにインタビューを行っている。亡くなった今となっては貴重な資料となってしまったが、日経エンタさんは中の人がすっかり入れ替わったのか、自分の手持ち財産にまったく気付いてないようなので(そもそもバックナンバーが2003年までしかない)、断捨離する前にメモっておきたい。
 



まず、当時のシムケンブームについて「日経エンタ」がどのように捉えていたのか抜粋してみたいと思う(98年8月号より)。

最近、ずいぶんとテレビで志村けんを見かける、と思う読者も多いことだろう。今年に入ってゲスト出演した番組をざっとあげるだけでも(中略)トーク系の人気バラエティに片っ端から出ている印象。しかも、『ハッピーバースデー!』*1では19年ぶりにヒゲダンスを披露したり、『LOVE LOVE あいしてる』ではKinKi Kidsと一緒に「東村山音頭」を歌ったりのサービスぶり。志村けんといえば、これまで自分の名前のついた番組以外はあまり出演せずに、ストイックにコント一筋を貫いてきたというイメージがある。(中略)志村けんはあまり素を見せないベールに包まれた芸人で、それが希少価値でもあった。それが、タモリやナイナイ、KinKiといったアイドルともからむのだから、組み合わせ自体に新鮮さがある。そんなこともあってゲストに出ると番組視聴率が上がることが多い。今、視聴者は志村けんを見たがっていると考えられないか。


(中略)しかもありがたがっているのは視聴者だけではない。彼をゲストに迎える番組レギュラー陣も大喜びだ。若手お笑い芸人を中心に、志村けんに憧れたり、彼を尊敬したりする志村信者が芸能界には意外に多いからだ。ジャニーズアイドルでもKinKi、特に堂本剛志村けんの大ファンだし、ジャニーズJrの滝沢秀明はしょっちゅう志村のマネをしてる得意というほど入れ込んでいる。彼らの場合は子どもの頃に『だいじょうぶだぁ』(フジ系)などの番組を見て育ったことが志村への憧れにつながっている。さらにお笑い芸人の評価には別の要素も含まれている。よく知られているのがダウンタウン松本人志志村けんを「尊敬する」と公言していることだ。(中略)お笑い一筋の一途な生き方が認められているのだ。ナイナイやネプチューンら、志村の影響を受けた若手芸人も多い。(中略)


ところでいまテレビ界を見渡すと、お笑い番組は『電波少年』に代表されるドキュメントバラエティと呼ばれる手法の作り方が全盛。タレント自身ですら何が起こるかわからないハプニングの笑いを核に番組が作られている。一方、志村のコントは入念にセットをつくり、リハーサルを重ね、演技や仕掛けで笑わせる作り込んだ笑いを見せようとする番組は少ない。志村けんにしてもレギュラー番組は深夜の『ShimuraX天国』(フジ系)のみだ。だが決してつくりものの笑いへのニーズがないわけではない。それを証明したのが、英コメディ番組『Mr.ビーン』の大ヒットだ。NHKで始まった深夜放送から火がつき、ビデオは8巻で計70万本という驚異的なセールスを記録した。今年3月に公開した映画版『ビーン』も大ヒットした。(中略)志村けんも随分前からビーンの存在を知っており、『だいじょうぶだぁ』でネタを参考にしたこともあるという。このビーンの大ヒットが示唆するのは、ハプニングやトークの笑いが全盛の今、逆に作り込んだ笑いは新鮮で、売り方次第ではブーム現象にまでなる可能性があるということだ。

『Mr.ビーン』のビデオが発売されたのが97年の9月…。あ、コロナ騒動ですっかり忘れられてるけど、カルロス・ゴーン被告の大脱走劇で一躍脚光を浴びたのは今年始めです(体感ではもう2年ぐらい経ってる気がする)。
時代はめぐるね(巡ってるのはビーンだけじゃないよ>え?誰?>それはまたあとで。既に「電波少年」てあたりで察してる人もいると思う)。ちなみにコント番組ってことでいえば、ダウンタウンの『ごっつええ感じ』が打ち切りとなったのが97年11月で、この日経エンタ98年8月号には松本人志のインタビューも掲載されている。中身は新プロジェクト『ビジュアルバム』について。『ごっつ』打ち切りのきっかけとなった「野球番組差し替え事件」についても語っているので、興味のある方は古本屋をお探しください(ていうか、この松っちゃんのインタビューとった麻生香太郎さんって、TMネットワークの初期のAlbumで多数作詞してる麻生香太郎(SEYMOUR)さんと同一人物なの? Wikipediaよ、マジか?!)。



話が脱線したので元に戻す。


次いで、志村けん自身がシムケンブームについてどのように語っていたのか抜粋してみたいと思う(日経エンタ98年9月号より)。98年6月28日、『志村けんのバカ殿様1』のVHS発売記念イベントが新宿・高島屋HMVで開かれた。駆けつけた1500人のファンの中から抽選で300名にサイン会が行われ、店内はすし詰め状態。「しむら〜」という男性のダミ声にまじり、「シムケ〜ン」「かわいい〜」と若い女性から黄色い声援が飛び、アイドルイベント並みの熱気に包まれたそうだ。この芸人人生初となるサイン会と、自身の人気再燃については以下のように語ってくれた。

ーー芸能界にデビューして初めてのサイン会でしたが、感想は?
志村 自分が予想してた以上の反響でしたね。あんな大勢の人の前に出たのは、舞台をしていた時以来ということもあるかもしれないけど、やはり僕を待っていてくれる人がたくさんいるのは、内心嬉しいものです。

ーー女の子からは「かわいい〜」とも言われていましたが。
志村 あれは、真に受けちゃだめですね。何だって「かわいい」っていうのが、今の子の流行だから、言われてもあまり嬉しくないですよ。だって、絶対オレがかわいいわけねえんだから(笑)。

ーー人気再燃をどう思いますか?
志村 ナインティナインの岡村やKinKiの剛なんかが、僕のマネをしている影響が大きいんじゃないんですか。僕も若い頃は自分がファンのアーティストなんかがどんな人を好きだったかというのが、すごく気になりましたから。それと同じ感覚じゃないかな。『だいじょうぶだぁ』を見ていた人が、ずっとファンでいてくれてることもあるんだろうけど。
ーー「アイ〜ン」のポーズや表情が流行っていることについては。
志村 あれも不思議なんだなあ。昔からよく「変な顔」はしてたけど、それは「アイ〜ン」ということでやってたわけじゃないし。よくギャグだと紹介されるんだけど、あれは流行語みたいなものとは思ってないですから。あくまでコントの流れの中の笑いの一要素なんです。だから、あの表情やポーズだけが流行ってると言われても妙な気分で、今ごろ何やってんだ、という感じですけど。


98年6月に発売された『バカ殿』ビデオ第1弾と、家老役で出演している故・東八郎さんについて。

ーービデオの構成も手がけたとか。
志村 ええ。よくコント傑作選といって、順番も何も考えずに面白いものをダーッと並べちゃうのがあるけど、それだとひとつひとつのコントは面白くても、全体を通してみると起伏がなくてつまらなくなることがあるんです。番組の構成もそうですが、コントは並べる順番がすごく大事ですから。
ーー亡くなった東八郎さんが家老役で、バカ殿と絶妙な掛け合いを見せてくれてます。懐かしいですね。
志村 ええ。東さんに言われたことがあるんです。「ケンちゃん、お笑いはバカになりきることだよ。いくらバカをやっても見る人は分かってる。自分は文化人だ、常識があるんだってことを見せようとした瞬間、コメディアンは終わりだよ」。僕はずっと、その言葉を大事にしてるんです。東さんは演技が本当に上手かった。今回のビデオでも、東さんが先代の位牌に向かってバカ殿のことを案じ、独り言を呟いてるうちに息ができなくなって「カッカッカッ」てなっちゃうところなんか、思わず大笑いしますよね。普通にセリフを喋ればそれでいい場面なんだけど、少しでも笑いを足していこうとする姿勢がすごいですね。それとオチの直前の芝居がすごく自然でしょう。だから最後にちょっとおかしなことをするだけで、すごく面白く見える。結局、ちゃんと芝居ができなければ、笑えるコントはできないということです。僕はいつも本物らしく見えることを心がけてるんですけど、改めて間違っていないと思いました。


最後に、最近いろんな番組にゲスト出演するようになったことについて、以下のように話していた。

志村 トークやバラエティ番組にゲストとして出るようになったのは一昨年ぐらいからですね。最近はまた数が増えてますけど。それまでは自分の番組にゲストを呼ぶ形で、逆はほとんどなかったですから。ゴールデンに自分の番組がなくなって、深夜に移ってからですね。時間に余裕ができたこともあるし、テレビというのは画面に出続けていないと、どうしてもイメージが薄くなるから。いろんな番組に出ると、今まであまり付き合いがなかったスタッフやタレントとの人間関係が広がるという、いい面もあるんです。テレビの世界はいろいろと水面下でつながっていて、ある番組で評判が良かったから、こっちでやって欲しいというのが結構あって、それで仕事が増えていくところがあるから。今はいろんな番組に出てみて、少し違ったタイプの人間とつきあってみろという時期かもしれません。


98年10月には書き下ろしとなる初の自伝的エッセイ『変なおじさん』を出版。一時絶版となり中古1万超えで売ってるところもあるが、今現在は文庫本が再版され新品定価737円で買えるようになったのでお間違えなきよう。

変なおじさん 完全版 (新潮文庫)

変なおじさん 完全版 (新潮文庫)

ブームをきっかけに日経エンタ99年4月号から新連載が始まり、それをまとめた「変なおじさんリターンズ」も発売されてるが、こちらは文庫版なしで高値。その連載第1回によれば、初めての著書『変なおじさん』は出版後読者から3000通以上のはがきが届き、7割が20代、男女比だと6割が男性だったと綴られている。
変なおじさんリターンズ

変なおじさんリターンズ



ちなみに、98年のバラエティ番組はどんなものが人気だったか気になる人もいるかと思うので、当時のバラエティ番組視聴率ランキングを紹介しておく(日経エンタ98年8月号より)。

1位は『進ぬ!電波少年』28.3%、2位が僅差で『SMAP×SMAP』26.2%となっており、3位以下は団子状態で『さんまのからくりテレビ』22.4%、4位『とんねるず生ダラ』22.2%、5位『ウンナンウリナリ』、6位『ダウンタウンのガキ使』、7位『世界まる見え』、8位が若乃花横綱昇進特番、9位『どっちの料理ショー』、10位『とんねるずみなおか』となっております。尚、画像の一番下に書かれている通り、6月14日はサッカーW杯フランス大会「日本代表対アルゼンチン代表」戦が驚異の視聴率60.5%を記録したため、裏番組は軒並み爆死。かろうじて『電波少年』だけが11%を死守したようです。
メンバーは、 川口・名良橋・井原・中西・秋田・相馬・平野・名波・中田英・山口・城・中山・呂比須で監督は岡ちゃん。懐かしい。初のW杯且つ初戦だったんだよね。



そして常にトップをスマスマと争ってた『進ぬ!電波少年』で、当時最も人気を博してた企画が、、、



察しのいい方はもうわかりましたね。今回の新型コロナ引きこもり生活で一躍脚光を浴びた、、、
1年3ヶ月の「監禁」生活を乗り越えた男が語る、コロナ自粛疲れに打ち勝つ極意


なすびの「電波少年的懸賞生活」でした(日経エンタ98年10月号より)。


98年1月にスタートした懸賞生活も99年3月に無事終了。
懸賞生活を終えたなすびは、その年の秋、『バカ殿SP』で志村けんとの共演を果たします(99年10月号より)。


ちなみに、このときの『バカ殿』にはカトチャンもワンシーンだけ出演。談笑する姿が日経エンタに掲載されていました(99年10月号より)。



というわけで、振り返りの旅はここまで。



あ! 98年といえばもうひとつ。


志村けん特集の隣のページをご覧ください。

ディズニーのアニメ映画『ムーラン』です。ソフト販売のお知らせかと思いきや、98年9月公開を伝える宣伝ページでした。『ムーラン』といえば実写版が今年の4月17日に公開される予定だったのに、新型コロナ感染拡大の影響で他の作品同様、公開延期(時期未定)となってしまいました。


志村けん、Mr.ビーン、なすび、ムーラン、、、98年の日経エンタで話題になってた人が、時を超え、2020年に再び注目を集めてる。
これはつまり、99年の日経エンタを読めば、来年2021年に再注目される芸能人を先取りできるってことなのでは?!
例えば、そう、金城武とか!>金城くんは98年から人気で、法則通り、志村さんとの共演CMで既にプチ注目されちゃったよ。

↑いや、この程度じゃだめだ。そもそもこれは過去の金城武であっていまじゃない。これから来年にかけて更にブレイクするんだ。例えば、キアヌみたいに!>キアヌといえば『マトリックス』は99年公開だけど>え? 確かに「日経エンタ99年9月号」でも特集されてる。本来ならシリーズ4作目は2021年5月に公開される予定だったしね。この法則、適当に作ったけどあながち間違いとは言い切れないぞ。22年周期でエンタメはめぐる。



・・・しかし、いい笑顔だね。これでなんとか殯作業も終わったよ。
新型コロナが収束したら、台湾へ行こうキャンペーンで再度このCM使ってもいいんじゃない?