『メゾン・ド・ヒミコ』を観た(@シネコン)

1ヶ月ぐらい前に近所のシネコンでやってたのを観てきました。平日の夕方だったけど、学校帰りの女子高生などもいて40人ぐらい。ほとんど女性だったと思う。


映画の詳細は以前の日記を参照。んで、感想です。

メゾン・ド・ヒミコ [DVD]

メゾン・ド・ヒミコ [DVD]


役者さんはみんな良かったです。泯さんは存在感が圧倒的だし、コウちゃんは警戒心あふれる仏頂面が素敵で、ルビーも山崎さんも可愛いし、オダギリジョーなんてファーストカットから少女漫画に出てくる王子様みたい! 卑弥呼と晴彦が恋人同士ってのはちょっと違和感あったけど、主役は沙織だし、基本はファンタジーなんでそこらへんは許容範囲。中核を成す卑弥呼&沙織親子の描き方はとても良かった。だからこの映画、「あなたが好きよ」で終わってくれれば文句なかったのに・・・。


見終わった後なーんか不安で落ち着かなかったので、こっからはあんまいいこと書かないよ!とあらかじめ宣言しておきます。


『ジョゼ虎』は大好きなんだけど、それに比べると本作は「ゲイに恨みでもあるの?」と監督に問いたくなるぐらい救いが無かった。自分の未来があんなだったらちょっと辛すぎてやりきれない。全体的には少女漫画のゲイの世界なのに、ヘンなとこで妙にリアルなんだ。リアルならリアルで解決する方向にいけばいいのに、そこはファンタジーでうやむやにされ落ち着かない。最後みんなは笑ってるけれど、海岸に立った砂のお城にはもう足元まで波が押し寄せてるわけじゃん。満潮はすぐそこなのに見ないふりして刹那的に生きてる場合じゃないだろと。若い子まで巻き込んでるのに。棚上げにされた問題は山積みで、しかも当事者に解決能力があるようには見えず、「この人たちこの先どーすんだろ」と思ったらなんか無性に不安になったので、思わず“メゾン・ド・ヒミコ座談会”が載ってる「薔薇族」買って現実に救いを求めちゃった。


全ては「介護」の話のせいです。あれはリアル過ぎる。うやむやにするならあれは要らんって。


以下、ネタバレします


ルビーの介護の話は深刻すぎるんだ。「息子さんに引き取られて良かったねー」なんて、その後のあの家族の葛藤を考えると全く手放しで喜べない。どうしてもあの話を盛り込まなきゃならないなら、ルビーが性転換してるという設定は無しにして欲しかった。もしくは息子は全て知ってて引き受けたことがわかるシーンをさらっと盛り込んでおいて欲しかった。「介護」は息子だけが背負うんじゃない。息子が働いてる間は奥さんがみるわけでしょ? まだ小さな子も抱えてるのに。「ちょっと疲れたな。誰かに手伝ってもらって一息つきたいな」と思っても、よそからきた介護人にどう説明するの? 当のルビーは息子にすら自分の事情を説明できない状況にあるのに、何も知らない息子はこれから周りにどう説明するの? まず奥さんにどう説明するの? 「介護」なんて義務か責任か愛情がないとやってけないぞ。でも、愛情に疑問をもったまま、義務と責任だけで続ける介護は辛いよー。主役は沙織でゲイは添え物でしかないのに、なんでそこまでのことをルビーに強いるの。帰ったその日にはバレる話なんだよ。そしたら息子はすぐにでも事情説明を晴彦に求めてくる。沙織に罵倒された時、「ゲイじゃないやつは出て行け」と対話を拒否して逃げちゃった人たちが、息子にきちんと向き合えるの? 説明できるの? どうやって? 「ダメだったら戻ってくるだけだ」って、そんな簡単に突き返せたら家族なんてやってられるかっちゅー話ですよ(あー、だから『空中庭園』観てスッキリしたんだ)。


沙織が「インチキじゃん!」と吐き捨てたとき、政木さんには何か一言沙織にガツンと言い返して自分たちの立ち位置を明確に表明して欲しかった。



メゾン・ド・ヒミコが疑似家族として機能してれば良かったんだけど、それは最初から無理な話だった。だってあそこはゲイの老人ホーム。しかもヒミコの住人は弱すぎる。自分すらも自分で支えきれないぐらいに弱い。現実社会を避けて引きこもって身内だけでなれ合って、しかもその身内すらも足でまといになったら切り捨てないと生きていけないぐらい弱い。この先、若い晴彦はどこまで自分の人生をヒミコに捧げてくれるんだろう。でも、彼がいなくなったら資金繰りできないし。唯一現実世界との接点になり得た沙織も内に取り込んじゃって、彼女はヒミコ支えるためにこの先また苦労するんだろうな。まだ若いのに。晴彦とくっつくことはないけど、でもそういう運命の子だからいいのか。


ネタバレ終了


メゾン・ド・ヒミコ』に出てくるゲイの人にとって、「家族」とか「子供」っていったい何だったんだろう…。卑弥呼もそこは最後まで語らないまま逝ってしまったし、みんな黙して語らずだったので、もやもやした気持ちは『ハッシュ! [DVD]』観て落ち着けた(なんか『ヒミコ』はそんなんばっかだ…)。



ここ数年、自分自身の私生活が激動だったので、ありきたりの言葉や感情表現じゃリアルに感じられなくなってる。追い込まれたときの人間の感情ってもっと複雑じゃね?なんてね。本心が観たい、本心が観たい、本心が観たい。どんなに腹黒くても、自己中でも、逃避してても、矛盾してても、複雑な感情の一面だけをとりあげるのではなく、たとえ本人の中で収拾がついていなくても、はしょらずありのままに全てをポンと出されるとなんかホッとする。柴咲コウ演じる《沙織》がまさにそんな子で、彼女見てるとなんだかホッとした(専務と寝た後の一言なんて秀逸だったよ)。


そういえば、次回作は脚本に高橋泉(『ある朝スウプは』)が加わるとか。それを聞いてから観に行ったせいか、ゲイの住人と沙織の関係が、『ある朝スウプは』の新興宗教にはまってしまった男とそこから連れ戻そうとする恋人の関係としばしダブって見えた。異なる価値観にある両者。一方的に感情をぶつけてくる女と、防戦一方の男。最後に導き出した答えは真逆だったけど、見た目悲劇に終わった『ある朝スウプは』の方に私自身は希望を感じた。犬童監督は何故、高橋泉を脚本に呼ぶことにしたんだろう。『ジョゼ』の犬童監督ならお互いに似てるので納得だけど、『ヒミコ』の犬童監督だと最後の最後で意見が対立してまとまんないような気がする。高橋脚本は現実から逃げることを決して許さないよ。徹底的に両者をやりあわせて、見たくない本心を引きずり出すまでやめないよ。そういった意味では、高橋泉を脚本に迎えた次の作品で、犬童監督がどういう結論を導き出すのか非常に楽しみ。