スピノザもイラッときて『エチカ』を書いたのだろう

スピノザの『エチカ』上巻を半分まで読む。読んでる間、「なんかニーチェに似てる」って思って「スピノザ ニーチェ 似てる」って検索かけたら、ニーチェも「いままでスピノザって知らなかったけど、読んだら俺かと思った(意訳)」って書簡を知人に送ってて笑った。


『エチカ』の「第一部 神について」を読んでたら、学生時代に友人を介して成増だかどっかのファミレスで宗教の勧誘を受け、そこで6時間にわたり「神ならすべての人を助けられるんじゃないの? なのに本当に困ってる人には手を差し伸べず、「いや別に幸せなんで困ってることないです」と言ってる自分みたいな人間を捕まえ「毎朝うちの神を拝めばもっと幸せになれます」と勧誘して満足してるような程度の【神】なんて真に【神】と言えるのか? 【神】なら、信じてようが信じてまいが、お布施をしようがしまいが、祈ろうが祈るまいが、選り好みせず、本当にいま現在困ってる人を救えば皆即信者になるのに、何故それをしないのか?」「いや、その人たちとは“縁”がないので。いまあなたにこうして私たちの教えについてお話できてるのはあなたには“特別な縁”があったからです」「手近で済まそうなんてそんなのただの怠慢では? いま、雲仙普賢岳が噴火してたくさんの人が大変な目にあってるのに、そういったほんとに困ってる人に手を差し伸べない【神】に存在意義はあるのか? 縁の有る/無しでごまかして助ける相手を選り好みする、そんな器の小さい【神】など私は要らないです」「でも一度拝めばわかると思うんです」「だーかーらー(またイチから説明するんかい!イラッ)」と重箱のすみをつつきながら堂々めぐりの激論を交わしてたときの自分を見てるようでイラッとしてきた。そしたらスピノザも、最初は「定理」「証明」(たまに備考)と淡々とした論証を繰り返していたのに、それらが一通り終わった90ページ過ぎあたりから(103ページ辺りをピークに)、人間の知の限界につけ込み相手が根負けするまでなんでもかんでも「神の意思です」と帰結させてくる輩への愚痴をネチネチ書き出して笑った。なので、最近宗教の勧誘を受け、噛み合わない会話にイラッときた方にスピノザ「エチカ」、オススメです。

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

102ページに「もし神が目的のために働くのであれば、神は必然的に何か欠けてるものがあってそれを欲求してることになり、それって全知全能の神でありながら満たされていない、すなわち神の不完全性を証明してることになるんだけどあんたらそれでいいのかい?(意訳)」て書いてあるのは最高だと思います。完全なる神が生み出すものが不完全な訳がない。不完全に見えるのは不完全だと思う個人の主観・偏見であって、それ自体はそれで完全なのだ!ってことで「100分de名著 第1回」につながるのか。61ページの定理十五の備考も言いたいことよくわかる(でも不完全で人間的な八百万の神も好きよ。一応うち神道曹洞宗のハイブリッド家系だし。神が不完全だからそこから生まれた私たちも不完全なのだ)。ていうか私がこの十年、大駱駝艦とか合気道とか日野晃の胸骨操作とかにはまってきたのはこの『エチカ』を読み解くためだったんだと思うわ。うん、そういうことにしておく。「物の連結」、それよそれ。「連鎖」より「連結」の方が推進力を伴い言葉としてしっくりくるわ。


『人間の意識、「我」とは、肉体を司る最高機関ではなく、単なる一機関(外部世界との交渉を担う外務省あたり)でしかない』って私の説も誰かこれぐらい事細かに証明していてくれると嬉しいのだけど>とりあえず途中で読むのやめたニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』を最後まで読めば?>いや、だってあれは人生の最後に読むべき本ですよ(関連過去記事:人生のテンションが下がった)。いま読んで万が一そこに書いてあったらこの後の人生の楽しみがなくなるんでもうちょっと後になったら読むわ。


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