鵺的特別公演『鵺的第一短編集』を観た(@新宿眼科画廊地下)

『デュラララ』や『進撃〜』の脚本でお馴染み高木登さん主宰の演劇ユニット、鵺的の新作『鵺的第一短編集』を観てきました。猫の話が出てくると、問答無用で高木さんて感じがする(「地獄少女」のトラウマ回も猫なだけにね)。鵺的の作品は全部観てるわけではないのだけれど個人的鵺的観劇史上、初めてとなるコメディ要素満載の短編集。いつもほぼ「緊張する」「胃が重い」と思いながら観に行ってるだけに、珍しくニコニコとリラックス気分でいたら、いきなり、もうほんといきなりバッサリ斬りつけてきやがって、しばし呆然とした後、「ああ、やっぱ鵺的なんじゃん…orz」と崩れ堕ちながら安易に油断した自分を大反省ですよ(まあそこがドM的な意味で「気持ちいい〜」とこでもあるんだけど)。背筋がゾワゾワゾワッてくる切れ味がアニメの脚本とまんま一緒なので、高木登脚本が好きな人は一度は観に行ってほしい。上演は12/23まで。あと、すごく久しぶりに、“登場人物から視認される感覚”を味わったので、備忘録も兼ねてまた改めて感想書きます。



追記:
というわけで改めて感想。

今回はいつも以上に各役者さんの“声”が印象的だった。ビジュアルだけではなく、その人の発する“声”が演じるキャラクターにとてもマッチしていて耳に残る。鵺的唯一の所属俳優であり、初めてお芝居を観た時から「すっげえ、高木さんの書くアニメに出てきそう。というかこのビジュアルと佇まいのまんまキャラクター化して一回アニメに出して欲しい」と思った平山寛人さんが第三幕のメインでがっつり出てくれて嬉しい。


3つの恋愛にまつわる話を集めた短編集。恋愛といっても、ストレートな異性間の恋愛ではなく、同性愛や近親相姦、ストーカーといったマイノリティな世界ばかり。最初は“非日常的な異端の世界”に見えるのだけど、全ての話、全ての登場人物がそうだと、観てるこちらの感覚も徐々に麻痺してゆくわけで、いつしか“特異さ”が薄れ、“ノーマルな日常の光景”として映り始める。どんなに非日常に見える光景も、登場人物が誰もそれを「異常である」と疑わなければ、ありふれた日常になりうる。いや、特殊な関係の中に存在するありふれた日常に目がいくようになるのだといった方が適切なのかも。そして誰も異常だと思わないものに対し「異常だ!」と指さす自分の方こそ異常なんではないかと疑い始める。

鵺的特別公演『鵺的第一短編集』(作・演出:高木登)
第一幕『ふいにいなくなってしまった白い猫のために』
 杉木隆幸(ECHOES)×堤千穂
第二幕『くろい空、あかい夜、みどりいろの街』
 奥野亮子×高橋恭子(チタキヨ)×中村貴子(チタキヨ)
第三幕『ステディ』
 稲垣干城×木下祐子×とみやまあゆみ×平山寛人(鵺的)
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=31660


独立した三本の話ではあるけれど、同じことを別の角度から違う要素を足して描くといった感じで、前後の話が緩〜いつながりをもっている。これがどういうことかというと、別の話にも関わらず前の話を重ねながら次の話を見るという不思議な感じ。高木さんが普段書く一話完結のホラーアニメのように短くきっちりまとまってる第一幕『白い猫』。ある物語の「転」となるワンシーンを切り取って見せてるような第二幕『くろい空』(故に衝撃的な瞬間で終わり、結末を想像で埋めるには情報量が少なく宙ぶらりんな気持ちのまま次の物語へと移る)。コメディ要素多めで長めにじっくり見せる最終幕『ステディ』。鵺的の芝居は、家族や恋人、夫婦といった近しい他者との多様な“関係性”についてアプローチすることが多く、異なる価値観をもってるが故にうまくいかない者同士が、現状の打開を求めて一堂に会し、互いの不満や己の価値観を激しくぶつけ合うのだが、大概は歩み寄るどころかむしろ違いが浮き彫りになったことで別の道へと離れてしまうことが多い。今回も割とそうで、人間、そう簡単にわかり合えないし、割り切れないし、考えも生き方も変えられない。すぐに結論なんて出やしない。だからこそ、いつも見終わってからぐるぐるぐるぐると考えてしまうんだ。物語の“続き”を。登場人物たちの“行く末”について。