震災後に聴く『いつも何度でも』がやけに心に染みるんだが、曲の誕生にまさかこんな由来があったとは・・・

先日行われた2011フィギュアスケート世界選手権。そのエキシビションでロシアのA・スミルノフ川口悠子ペアが『千と千尋の神隠し』の主題歌『いつも何度でも』をバックにスケーティングを披露してくれたのね。震災直後の大会だったこともあって、川口選手がこの曲に急遽変えてくれたんじゃないかと思うんだけど、これが思いのほか感動的でね。まだ何も知らない無垢な時代を回想してるような二人のスケーティングに思わず涙腺決壊。とても良かった。


そのときの動画がこちら。


いま改めて聴くと『いつも何度でも』ってすごくイイ曲ね。『千と千尋の神隠し』の頃は特に響かなかったんだけど、今聴くと染みて染みて。涙腺やばいです。


選曲の理由について、川口選手はを↓こんな風に答えてた。

日本で辛い思いをしている方に、この曲はどうかなと選びました。少しでも前を向いてもらいたいと思います。


「川口悠子らロシアペアが「千と千尋の神隠し」 エキシビション(産経新聞)」より抜粋

ほんとに意外なほど歌詞が震災とマッチしててね、グッとくるんだわ。「ゼロになるからだ 充たされてゆけ 海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに」とかさ。是非、いま一度再読して頂きたい(こちらが歌詞全文)。


実は歌詞を探してる過程で木村弓さんの↓こんなインタビュー記事を見つけた。もうビックリ。全然知らんかった。ジブリファンには周知の事実なんだろうけど、改めて紹介(抜粋なんで途中からです)。

木村 ええ。自分の中からマグマのような思いがふつふつとわいてきて、何かに突き動かされるかのように手紙を書きました。歌を聴いてもらいたいと思い、CDを同封して送ったんです。するとすぐにお礼のお手紙が届きました。そこには、『煙突描きのリン』という当時企画中の作品について書かれてあったんです。


藤本 それは、どんな作品だったのですか。


木村 物語は、群発地震におそわれ、瓦礫の街になってしまった東京のお風呂屋さんが舞台。そこに、絵の勉強のために大阪からやってきたひとりの女の子・リンが登場します。煙突に絵を描くことを条件にお風呂屋さんに住まわせてもらうリン。廃虚となった東京の街を見下ろして、煙突に絵を描きながら、リンは歌を口ずさみます…。


藤本 作曲の依頼だったのですか。


木村 残念ながら、「企画を進めていますが、どうなるかわからない。実現するときには、声をかけるかもしれません」とあっただけでした(笑)。するとしばらくして、私の中に、あるメロディーが繰り返し浮かんできて、「これは煙突描きのリンに合うかな」って思ったんです。


藤本 どんなメロディーだったのですか。


木村 「いつも心踊る夢を見ていたい」というフレーズです。悲惨なときも、夢を描けるエネルギッシュな女の子。自分を励ますようなメロディーでした。そこで、当時から一緒に作品づくりをしていた作詞家の覚和歌子さんに詞をつけていただいたのが『いつも何度でも』です。「宮崎監督にきっかけをいただいて、この曲が生まれました」と、テープをお送りしたんです。


※インタビューの続きはこちらで↓
音楽家 木村 弓さん | スペシャル対談〜藤本裕子が各界トップに迫る

この企画は実現せず、曲もそのままお蔵入りに。しかし1年半ほどして宮崎監督から「『千と千尋』のエンディングに使いたい」との連絡を受け、あとはご存じの通り。そりゃグッとくるわけだ。川口選手は知ってたのかな? いずれにしてもすごいね。


いつも何度でも (「千と千尋の神隠し」主題歌)

いつも何度でも (「千と千尋の神隠し」主題歌)


宮崎さん、次回作はどうするつもりだろ。まあ、まずは吾朗ちゃんだけどね。