3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震発生。そのとき私は・・・

とりあえず地震より津波の方が何十倍も怖いというのはよくわかった。去年のチリ地震(?)の時、かなり大規模な避難命令が出たにもかかわらず実際に押し寄せた波があまりに小さく「ここまで大規模に避難命令出す必要あったのか」と怒る人もいたけど、避難訓練だと思えばあれでも全然足りなかったんだね。


東北に住む親戚の安否確認もとれたし、改めて当時のことについてメモしておこうと思う。

住まいは東京。揺れは大きかったけど目立ったキケンもなく、職場だったこともあってかなり呑気でした。


地震発生時は職場で作業中。状況確認よりなにより先に「入力データ保存!」と叫んだ私は仕事人間すぎると思う。女性陣が何人かビックリしすぎて泣いてた。揺れは大きかったけど前にお台場で体験したような頭上から照明器具が落ちてくるような恐怖感はなかったので「すげえ。電車みたい」と揺れで遊んでたらリアルに酔う。いつまで経っても揺れがおさまらないので「建物の外へ出ろ」との誘導指示が。脳みそが「地震対策」から「花粉対策」に切り替わり、メガネにマスク、寒さ対策に上着着て鞄持って出てったら、着の身着のままサンダル履きで先に出てた人に「それは思いつかなかった。ケータイもってくることすら忘れたし」と言われ「だめじゃん!」と持ってたケータイを見せびらかす。実家は職場よりはるかに安全なのでとりあえずメールだけ送る。外に出るとビルからわらわらと人が降りてきて、道行く車の人に注視された(まさか大地震が起きてるなんておもわんもんね。au地震警報も鳴らなかったし)。1時間ぐらい外で待機したのち職場に戻る。電車が復旧する見込みがないため、会社から「泊まる人は毛布貸すからとっとと申し出ろこの野郎」とせかされるがみんな泊まるのはイヤなので無視する。職場から家まで13kmぐらいあったけど、ここ数年、体力試しで何度か家まで歩いて帰ってたことがあるので、夜道を歩いて帰ることに不安はなかった(でも初めて帰る人は夜だと迷う可能性が高いので、たまには歩いて帰ってカラダにルート覚え込ませた方がいいと思う。心の余裕にもつながるし)。そんなわけで「どうすんの?」と聞かれても「ルートわかってるんで歩いて帰りますよ。最近運動してないし」と答えてたけど、たまたま来てた外注さんが車で近所を通るということで運良く乗っけてもらうことに。家に着くと、数ある本棚のうち、安物で立て付けの悪かったひとつが倒れてそこだけ悲惨なことに。ショックで途方に暮れたが、倒れた本棚を起こしてみると、「忘れた頃に見つけたらさぞ嬉しかろう」と隠してた一万円が出てきたので微妙に得した気分になる(わかってますよ。その一万円で新しい本棚を買えってことですね)。壊れた本棚を脇にどけたはいいが、あまりの本の多さに途方に暮れ、いったん現実逃避で週末映画情報だけ更新してNHK見てたら、夕食後に飲んだアレルギーの薬が効いていつの間にかうたた寝。夜中の3時過ぎに起きて、実家や親戚・友人からのメールに返信し再び就寝。翌朝会社にいったら「余震がすごくて寝れなかった」と言われ、まったく気づかず熟睡してた自分が鈍いのか、住んでるとこの地盤が強くてあまり揺れなかったのか悩んでも答えが出なかったので、今度近所の人にあったら揺れ具合を確認せねばと思いました(後者だったらいいなあ)。


今回の一件で思ったのは「うちの職場はなんだかんだで頼りになる」ってことと「うちのマンションは意外に丈夫」ってことと「日頃の訓練って大事」ってことですね。JRが人災や自然災害でよく止まるのだって、災害時における情報収集、状況判断、ルート検索の腕を磨く訓練と思えばつらくないかもしれないし、私が毎日電車やバスの発車時間ぎりぎりになるまで家や職場を出ないのだって、短時間で身支度をすませ外に飛び出す訓練としてかなり機能してると思った(JRの話はともかく後者のそれはいったい何に対する言い訳ですか?>言い訳じゃないもん。事実だもん)。