『徹子の部屋』で今年亡くなった芸能人の追悼特集が行われ、広川太一郎(享年68才)氏が出演したときの回が一部放送されたのでテキストにして遺しておこうと思う。放送を見逃した方は脳内アテレコでお楽しみください。ちなみに20代以下の方は知らないかもしれないので念のため説明しておくと、黒柳さんも昔は声優をちょこちょことやってました(代表作は「サンダーバード」のペネロープ)。
アテレコ創生期の秘話 ※1988年11月放送(当時48才)
広川「だからそれだけある意味歴史があるんだから、創生期のいろんな話をまとめたら面白いんじゃないかなあなんて思ってるんだけども」
黒柳「そうね」
広川「だからボクいろいろ聞いた話ですよ、これは。聞いた話はね、あの一番始めね、もう、僕らはもうね、笑っちゃうんだけど、一番始めはですね、生(ナマ)だったんですって!」
黒柳「ナマねえ」
広川「ナマ。っていこうとはね、いまね、たとえば今、そう…アニメならアニメが日本の全国に放送されてるでしょ? と同時に吹き替えをやってたんですって!」
黒柳「ナマでね」
広川「ナマで。で、そのときですよ、一部屋で、で、一本しかマイクがなくって、そいでみんながとにかくよってたかってそのマイクを取り合いしながらやってた。だから結局、ちょこっと誰かが1行飛ばしちゃったりなんかしちゃったらもう合わないわけですよね。あのー、またね、台本がね、こういう風に綴じてある場合はいいんだけども、ぺらぺらのホッチキスも打ってないようなやつの時には、落としちゃったりなんかすると…」
黒柳「あらま!」
広川「バラバラーっと落としちゃったりなんかするとね、当人は、もうとにかく合わせなきゃいけないんで周りの人が一生懸命拾うわけですよ。拾うわけですって僕がその場にいたわけじゃないから知ら…拾って。だから周りの人がもうドキドキしながらやってた。で、途中で、やってる途中で緊張のあまりかどうか知りませんけどね、要するに生理的な現象で、あのー・・・行っちゃ…」
黒柳「トイレに行っちゃう!」
広川「トイレに行っちゃう。すると『頼む!』つって誰かに渡して行っちゃう。だからその行っちゃうヤツはいいけどもぉ、(声を大にして)渡されたヤツはどうするんだ!っていうね」
黒柳「ねえー!」
広川「もう自分のパートだけでもう精一杯でしょうからね」
黒柳「ナマですからねえ」
広川「そんな時代があったそうですよ」
秘かな野心は… ※1979年10月放送(当時39才)
黒柳「でも元来そのアテレコっていう仕事はお好きでしたか?」
広川「ボクは好きですねえ。いまいろんな状況でさして多くはなくなってしまったんですけどね、ボク自身もある意味でボクの仕事の中の分量としては割と、そうですね、4,5年ぐらい前から減らしつつはあるんで、いまはとても分量としては少ないんですけど、ボクは大好きですね」
黒柳「どういうところが?」
広川「やっぱり、吹き替えっていうことだけじゃなくて、やっぱ生きてる日本語をね、使っていきたい。その作品によってですけどね。そういうことでボクはいろんな実験さしてもらったんですよ。言葉の実験なんかをね。積極的に。嫌がられながら(笑)」
黒柳「(笑)」
広川「まあ、ボクは始め舞台をやりたかったりしたわけなんですけどね、まあいろいろこれ事情があって話すと3時間25分かかりますからやめますけども。あのーそれで結局ひとりでそれをやらざるを得なかった。そうするとー、なんかね、目標がないと面白くもなんともない。じゃあなんかないかなあって考えたときにね、『よし! じゃあオレの実体は知らなくてもいいから、ボクの声が、日本全国津々浦々氾濫することを目論もう』っていうことがあったわけですよ。で、『これをやろう!』っていうんで、そのためにですね、CMやなんかのですね、ナレーションなんかを随分とやりましたですね。いまは80%ぐらい、その氾濫が成功してるという感じで。だからボクの声は、ボクの実体を知らなくても声だけは日本全国の方ほとんどが聞いてるだろう、というぐらいにはなりましたね。(チカラを込めて)いっぱい出てるんですよ、わかんないだけで」
1979年の時の映像(今日の徹子で流れなかった部分)がyoutubeに少しだけUPされてました。