こんな自分でもそのときが来たらきっと死にたくなっちゃうんだろうな

来年正月に公開が予定されてる金城武主演『K-20(TWENTY)怪人二十面相・伝』。その原作者である劇作家・北村想氏のブログに、昨年暮れ、こんな記事が上がっていた。


希死感(@北村想ポピュリズム)


鬱病を患ってる人の「希死感(自殺念慮)」というものがいったいどういうものなのか、自殺念慮が起こったときの精神状態というのはどういうものなのかを当事者の立場から具体的に書き記した記事。たぶんこういうことなんじゃないかと思ってたことがそのまま書かれていただけに、改めて身の引き締まる思いだった。


今日もどこかの議員さんの息子が鬱で自殺したなんてニュースが流れていたけど、実は昨年、私も知人を自殺で亡くすという経験をした。つい1週間前まで毎日顔をあわせていた人だっただけに、訃報を聞かされたときは事故か脳溢血で倒れたのものだと信じて疑わなかった。だって、その人と自殺という言葉がまるで結びつかないんだもん。あまりにピンとこないので、悲しいといった感情すら起こらなかった。知人の自殺を現実のこととして実感させてくれたのは、通夜の席で気丈に振る舞う奥さんと横で泣きじゃくる子供さんの姿だった。


ピンとこないとは言っても、思い返せば自殺する心当たりがないわけではなかった。実は亡くなる2ヶ月程前に担当業務が変わったんだよね。景気のいい業界でもないのでプレッシャーもきつかったんだと思う。半月もしないうちにとにかく毎日しんどそうな顔を見せるようになり、受け答えする声にもあまり力が入ってなかった。でも遅刻や無断欠勤などはなく、皆、「慣れない仕事で疲れてるだけだろう」ぐらいにしか考えてなかった。亡くなる少し前、知人は突然会社を辞めると言い出した。「何も辞めなくても。仕事がきつかったんなら少し休んではどうか」と上司らが引き留めたけれど、快活な笑顔で「前から決めてたことで転職先もほぼ見つけてある」と返されたので、月末に正式退職という形をとり、それまでは有給消化期間ということでしばらく会社を休んでいた。そんな時期に知人は自殺した。会社を休んでからわずか2,3日後の出来事だった。


状況から考えるに、知人は鬱病を患っていたんじゃないかと思う。というか、それ以外には考えられなかった。病院で診断を受けたわけではないので家族がどの程度把握していたのかはわからないけれど、例え「死にたい」「疲れた」という言葉を口にしていたとしても、ストレスのもとである(と思われる)会社を辞めることが決まったことで、少なからず「これで良くなるだろう」と安心しきってたところがあるんじゃないかなあと思う。


業務が変わってから亡くなるまでわずか2ヶ月。いくら仕事がきついと言っても誰がこんな短期間で実際に亡くなるとこまでいくなんて思う? こっちの常識で言えば、死ぬ前に遅刻とか無断欠席とか出社拒否とか他にやることあるじゃんと思うんだけど、そういうの全部すっ飛ばして病院に行くこともなくいきなり亡くなっちゃった。「自殺」っていうのはもうちょっと長い間悶々と悩んだあげくに行うものと思ってたけど、知人の死でその考えは根底から覆されてしまった。


「人殺しはしても自殺だけは絶対しない」と信じて疑わない自分でも、いざ鬱になったら死にたくなっちゃうんだと思う。なんで鬱を患うと死にたくなるんだろね。どうせ脳みその問題なんでしょ? なんとかリンが過剰分泌してうんたらかんたらみたいな。だったらインフルエンザワクチンみたいに「鬱かな?」と思ったらとりあえず病院で1本打ってもらえば自殺だけは予防できますよなんてクスリはできないもんだろか。生きていてもらわないことにはさ、何もできやしないから。。。