『シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ』を観た(@シアターN渋谷)

『ホステル』が個人的にいまひとつだったので(思ったより痛くなくてそれはそれで観ていられたから良かったんだけど、なんかあっさりしすぎてるのと、最後まで残った被害者が一番思い入れの無かった人で、出てくる殺人鬼たちもあまりにつまらないタイプだったので気分的に盛り上がらなかったのです)、肉体的に痛い映画はそもそも苦手だしその一点のみで攻めてくるようなタイプの映画ならやめとこうかと思ってたら、anutpannaさんの感想で私の好きなタイプの殺人鬼が出てくるらしいということを知り、観に行くことに決めました。



これはもう本当に正統派なホラー。なんでこの程度で18禁扱いになるのか不思議なんだけど(箔付け?)、普通にティーンエイジャーに観て楽しんで貰いたい作品。目新しさもなければ一流シェフの味と比べても明らかにいろんなところが足りてないんだけど、作り手が自分の腕や素材の限界をきちんと自覚しているため、セオリー通りにいけばここはこの後こうなってああなってこう終わるだろうと安心しきってたところに思いもかけないサプライズやひとひねりを加えてきてくれるのがウレシイ。だからついついうまく誤魔化され・・・いや、満足させられてしまう(笑)。だって、まさかあんなとこであの人が死ぬなんて思わないよなあ。もう、この後どうするつもりなのかと心配になった。それに頭に穴があいたのに気づいてあんなことするかい? あんなもの口に押し込むかい? つーか掴まえたニンゲンはもっと丁寧に扱いなさい。ほんとにチカラの加減ができないんだからこの子はw。動物の使い方にもとても愛嬌があって(ネズミが一緒になって逃げるシーンとか恩を仇で返される展開とか大好きw)、追う者、追われる者、どちらにも感情移入できるので、双方の視点から楽しめる。しかしこの殺人鬼は切ないわー。顔がかわいすぎるので、緊張感を出さなきゃいけないシーンで弛緩してしまうのは難点だけど、掴まえられベッドに貼り付けにされた女性が、これからこの殺人鬼に殺されるかレイプでもされるんじゃないかという恐怖でカラダばたつかせながらあらん限りのチカラで泣き叫んでいるのに、そんな彼女を見ながら思春期に入り立ての少年のように部屋の隅でただただちっちゃくなって自慰にふけるしかできないっていうあまりの奥手ぶりに泣けてくる。まるで『月光の囁き』の水橋研二みたい(いや、それとは違うか)。しかも私が一番キライだった人物に殺されちゃうし。ああ、無情。



今年数作観てきて、「感情移入する」という行為は、自分にとってある種のカタルシスを映画で得るために絶対不可欠な要素なんだなという当たり前のことを再確認。別に殺人鬼側にまで感情移入させてもらう必要はないけれど、その場合は圧倒的な無常感、徒労感に襲われるほどの《闇》《業の深さ》を感じたい。それが面白さに直結し、自分にとっては捨てがたい1本となるんだと思う。そしてソレは映画の出来・不出来とは必ずしも一致しない非常にパーソナルな部分だったりする。


ちなみにここ最近で《業の深さ》を最も感じさせてくれたのは、事故死した子供の写真をそれを揶揄するような言葉と共にHPに載せて遺族から訴えられた「くらぶキッズ」の中の人(職業が“小学校教師”でテレビ局のインタビューにも「更新してるときって気分が高揚するんです」と何やら普通に答えてちゃっててホンモノはスゲーと思った)と、山村浩二監督のアニメーション『年をとった鰐』。後者は昨年公開された映画で、(山村監督にそこまでの意図があったかどうかは不明だが)人肉食いを止められない爺さんと白痴少女の恋物語を淡々と描いて見せた非常にエグい作品です(動物を擬人化させることで倫理の壁をクリア。しかし手足を食べられた白痴タコ少女の動きが秀逸すぎてダルマ少女を思い起こさずにはいられない)。これ、誰かニンゲンでやってみる人いない? 「むかしむかしあるところに・・・」で始まる童話・民話テイストで・・・って、いや〜コワイ! 言いながら自分で怖くなってきた。