『ミートボールマシン』トーク、高橋一生×山口雄大(×西村喜廣)

最終日に行われた『ミートボールマシン』トークショーに行ってきました。上映はイメージフォーラム1Fの小さい方のスクリーンで行われ、40人ぐらい立ち見の出る大入り満員。一生ファンとそれ以外でくっきり分かれた客層が面白かったです。一生君、女性ファンが増えたよね? 気のせい? 2年前の怪奇大家族トークショーでこんなお姉さん方いたっけ? 予定になかった西村喜廣特技監督も参加してのトークショーとなりました。


本作が完成したのは1年前。昨年の東京国際ファンタスティック映画祭に間に合わせるよう撮影を進めていたようで、撮影開始は3月だったが、その後プロデューサーとして参加してた雄大さんが監督を務めることになり*18月に追加撮影。最終的に特技部分も含め撮影に2週間を費やしたそうだ。本来なら5日で撮り上げなきゃいけない予算だったが、キャスト・スタッフから「続けたい!」という空気を感じ取ったので続行したと。『ミートボールマシン』は高橋一生“映画初主演作”ということもあり、「それに恥じない映画を作らなくちゃ」というのが監督として一番頭にあったことだと語る雄大監督でした。


一生くんの撮影参加は1週間ぐらい。Tシャツ姿でもうだるような暑さの真夏にバトルスーツを着ての撮影はさぞかし大変だったろうと思いきや、暑さに関していえば8月より3月の方が大変だったという。「スタッフの皆さんのケアの仕方が慣れてきたからでしょうね」と語る一生くん。雄大監督がその辺りを西村特技監督に問うと、酔っぱらってなーんも話聞いて無かったらしき西村監督が「やっぱり3月より8月の方が暑かったんじゃないですか?」とこれまでの話を全て台無しにするような発言をかまし、「何しに来たの?」「振らなきゃよかった」とばかりに皆に責められる一幕も。


西村監督はこの日、登場時からとある雑誌を胸の前に掲げ、トークの最中も無言でページをめくり続けては「見てくれー見てくれー」とカラダ全体でアピールしてたんだけど(司会のお姉さんがかなり“S”っ気ある人で、西村監督がちょっと酔っぱらってたこともあり、最初からオブジェ扱い。どんなにアピールしても「あえて触れる気はない」と冒頭から冷たくあしらってました。笑)、それが雄大監督も小学生のときから愛読していたという何十年も続くアメリカの老舗ホラー雑誌「ファンゴリア」。アメリカでの『ミート〜』配給が決まったこともあり、今年の3月ベルギーのブリュッセル国際ファンタスティック映画祭に参加したときにとられたインタビューがようやく載ったということで、つい嬉しくてアピールしに来たらしい(関連:ファンゴリアに載った@特殊メイク西村喜廣-映造日記)。


怪奇大家族』のDVDが、現在『THE GRUDGE 2』公開中のアメリカで『The Great Horror Family』というタイトルで発売されたという話になり、「既にDVDを貰った」という一生くんが「まだ貰ってない」という雄大監督に「タイトルもアメコミ風になってましたよー」とご報告。雄大監督によれば、当初米国版のタイトルは『The JUON Family』になる予定だったそうで、「それだけは嫌だ」とみんなで反対したら今のそのまんまなタイトルに落ち着いたとか。確かに最初の1,2話は『呪怨』みたいな話だったが、途中からそんなことすっかり忘れて4人とも「一生くんと遊ぼう」みたいな感じで撮っていったので、アメリカ人がこれ見てどう受け取るのか楽しみだというようなことも話していました。


今後の予定ということで、一生くんは「出演した映画『LOVE MY LIFE』が公開される」という話と、来年は舞台ももっとやっていきたいがとりあえず大河の仕事が1年入ってるとのこと。雄大監督は、来年の1月後半辺りに公開される『夢十夜』の第十夜を漫☆画太郎先生と担当していることを話し、「豚が出てくる話なんだけど、市川崑実相寺昭雄といった名だたる巨匠がいる中で何故かトリを務めるのが画太郎先生」と言ったとこで場内爆笑。一生くんも「それだけで面白そうw」とかなり見たがってる様子でした。


最後に、これから本編を観る客席に向けてひと言ということで、「入り口はスプラッターだけど、人間のリアルな部分とかいろいろ感じて貰えたらいいなと思う」と語る一生くん。次いで雄大監督が「いま日本でスプラッターを撮ると、すぐに現実の事件と関連づけられてしまうんだけど、アメリカではスプラッターをフィクションとして楽しむ層というのがちゃんといて、日本でも昔はそういう人がたくさんいて、特殊メイクアップアーティストの顔写真がちらしの表にくるような時代があったんだけど、いまは皆どこかに隠れてしまい伝えてゆく人もいない。だからコメディと平行してこういう作品をこれからもずっと作り続けていきたい」と語ると、一生君が締めに入ろうとする司会者を遮り「そういう作品に参加できたことが僕はとても嬉しいんだ」と改めて強く訴え、この日のトークショーはお開きとなりました。


【関連過去記事】
トークショー、清水崇×豊島圭介×村上賢司×山口雄大×SpecialGuest(高橋一生・渋谷飛鳥) 2004.11.14


*1:トークショーでは特に説明はなかったんだけど、インタビューを読むと、最初に撮ってた山本淳一監督が病気で倒れてしまい交代せざるを得なかったらしい。