『マリといた夏』を観た(@イメージフォーラム)

普段はイ・ビョンホン効果でマダムたちが多いと聞いていた本作。今回は山村浩二トークショー付きだったせいか、予想に反し20代の女子ばかり。そこに様々な年代の男性陣がちらほらと混ざるといったかんじで、客は30人ちょいぐらい。お盆だからマダム層は帰省しちゃったかなあ。


映画の詳細は以前の日記を参照。んで、感想です。


これは素晴らしかったです。『ベルリン天使の詩』を彷彿とさせるような、超高速ビル群を飛び回る空撮映像から始まる本作は、全ての映像が輪郭線を排した柔らかなタッチで描かれ、色彩も素晴らしく綺麗。どこを切り取っても一枚絵として飾れるぐらいの完成度でした(町並みのカットを全部ポストカードにしてほしいぐらい)。物語もファンタジックになりすぎず、「あの頃のぼくたちは…」と振り返った時に呼び起こされるような、懐かしい“子供の世界”が、ひなびた漁村を舞台に、穏やかな流れの中で丁寧に描き上げられ、とても心地良い。


ちらし(右図)だけ見ると、マリと少年との心の交流を描いたファンタジーに見えますが、全然違います(笑)。作品の真ん中におかれてるのは、少年ナムと引っ越しを間近に控えた親友・ジュノとの一夏の想い出。口数の少ない少年ナムは、父親を亡くし、母と祖母と3人暮らし。最近母親に新しい恋人が出来て、祖母も気に入り家族の一員として受け入れようとする。だが、なかなかナムはその状況を受け入れられない。そんな折り、いつも傍にいて明るさを振りまいていたお喋りでお調子者の親友・ジュノが引っ越すと聞き、自分がひとりぼっちになってしまうような不安を抱えるナム。そんな彼の前に時折現れ手を差し伸べては空想世界を一緒に飛び回ってくれる存在、それがマリだった。言葉を発することはなく、何を考えてるのかもわからない。でも一緒にいると癒される。「人」と言うよりは、人の形をした「生き物」という感じ。イルカとか、その類いですね。


空想世界でマリやナムが宙を浮遊するシーンが素晴らくて、マリが宙に滞空してるときの浮遊感、マリに手を取られナムがふわっと浮く瞬間、そこからぐんぐん上昇してゆくときの“気持ちよい感覚”がちゃーんと画から伝わってくる。


他の人の感想を見ていると、マリの住む不思議世界に白くて毛むくじゃらな犬の怪物*1が出てくるので、「『ネバーエンディング・ストーリー』や『となりのトトロ』みたいな話だ」という意見をちょこちょこ見かける。私はそれより、子供の頃に好きだった児童書『モモちゃんとあかねちゃん』シリーズで、綿菓子でできた雲に乗るモモちゃんの空想風景だったり、去年観たイタリアの実写映画『ぼくは怖くない』なんかを連想してしまった。ファンタジックな作品ではあるけど、アニメや純然たるファンタジー作品とはちょっと違うというか。監督は本作を作るにあたり高畑勲監督の『おもいでぽろぽろ』参考にしたそうで、言われてみるとリアルと空想世界のバランスは宮崎さんより高畑さん的。高畑勲が『となりのトトロ』を撮ったらこんな感じになりそうです(笑)。


あくまでもリアルに写実的に描かれた現実世界(下図・右)。それとは対照的に、白と緑を基調とする淡く柔らかな雰囲気で統一された空想世界(下図・左)。どちらの風景もタッチがアニメっぽくなく、どこからの影響なんだろと思ったら、イ・ソンガン監督はアニメーションをやる前、現代美術の道で画家を目指していたとの情報が。その頃培ったセンスなんですかね、これは。
   


イ・ビョンホンばかり話題になってるけど、親友・ジュノを演じた子役の声がジュノの性格にとてもあっていて、別れのシーンでの情感こもった台詞にじーんとさせられたり。また、本作は全編CGで描かれているのだけど、CGが持つ特性の良い部分が至る所にいかされていたような気がします。『マインド・ゲーム』同様、押し寄せる津波を表現させたらCGは最強。ここはやはり大画面で観て欲しい。


韓国にも銭湯ってあるんですね。体を洗うのは白タオルじゃなくて垢すり用の緑の手袋だったけど。指名手配らしきポスターも貼ってあったり、駄菓子屋が出てきたり、ビー玉が出てきたり、日本人が観ても懐かしさを感じる風景で溢れていました。



イ・ソンガン監督の次回作は普通のアニメ画に戻るそうで、ちょっと残念。実写も撮ってるそうなんで是非そちらも観てみたいです。10月頃にパルテノン多摩で催される韓国アート・アニメーション特集でこれまでの短編作品が上映されるということなので、まずはこちらを楽しみにしたいと思います。


*1:上のちらしで少年のおしりの下にいる白いふさふさした物体がそれです。