『運命を分けたザイル』を観た(@アミューズCQN)

anutpannaさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/anutpanna/20050201)で、「予告のイメージとは全然ちがうモンティ・パイソンみたいな映画」だと聞き気になってた本作。テアトルタイムズスクエアでの上映は金曜で終わってしまい「残念、間に合わなかったか」とがっくりきてたら、アミューズCQNでムーブオーバーとなったので観てきました。初回だったので客は20人ぐらい。30〜50代までで、ほとんどが男性でした。


映画の詳細はこちら。

『運命を分けたザイル』 2/11(土)〜4/22(金)まで


【監督】ケヴィン・マクドナルド
【出演】ブレンダン・マッキー/ニコラス・アーロン/オリー・ライアル
【出演(本人)】ジョー・シンプソン/サイモン・イェーツ/リチャード・ホーキング
107min/ビスタサイズ/2003年
□上映館:アミューズCQN(4/9〜4/22まで)/テアトルタイムズスクエア(〜4/8まで)


【STORY】若き登山家ジョーとサイモンは、前人未踏の難関シウラ・グランデ峰の西壁を見事制覇する。しかし下山途中、高度6400mで二人は遭難。滑落したジョーは片足を骨折、バランスを崩し氷の絶壁で宙吊りになってしまう。2人をつなぐのはたった1本のザイル。遥か下方にはクレバスが大きく口を開けている。生か死か…。ザイルを切らなければ二人とも死んでしまう。究極の選択を突きつけられた二人。そして、決断の時…。クレバスの蒼暗い闇の底で目を覚ましたジョー。押し寄せる絶望と孤独。極限状況の中、ジョーの新たな勝負が始まった……。


これほどイメージと実際がかけ離れた映画も珍しい。ちらしにも「世界を涙で包んだ衝撃の《感動の実話》」「衝撃の《奇跡の生還》に世界が震えた」って書いてあるんだけど、これじゃあ大事なことがまるで伝わってない。「モンティ・パイソンみたいな映画」という評は絶対的に正しくて、そこが本作が普通の生還モノとは一線を画してるところ。皮肉屋の英国人だから成しえたのかもしれないけど、真実はまるで“コントみたい”だった。


人間というのは、我が身可愛さに、たとえ友人や身内相手だろうと瞬間的にヒドイことを思うものだ。生死がかかれば尚更。でもそれを口に出す人はあまりいないし、そこらへんの本音が明け透けに描かれることもなかなかない。ところが“コメディ”の世界は違う。皆が本音の世界で生きており、悲惨な目にあうほど主人公にとってはオイシイ状況が作られてゆく。そういった意味では、本作はまぎれもなく“コメディ”であり、これだけの本音を赤裸々に語れるのは、お笑い番組の芸人たち同様、その程度で壊れる仲ではないと言う信頼関係が両者の間に築かれているからであろう(いや、「あの状況なら誰だってああ思うに決まってる」という経験者ならではの精神に基づいてるのか…)。


上映は4/22(金)までなんで、ネタバレしてでも真実を伝えたい。


主人公であるジョーは友人のサイモンと共に前人未踏の雪山へ挑む。ところが下山途中に足を骨折。この時点で片足が使えないと言うのは「死」を意味する。ジョーはサイモンに置いて行かれても仕方がないと思った。しかしサイモンはそうは言わなかった。互いをつなぐザイルを使い、何十メートルかずつジョーを滑り降ろすことに決めたサイモン。しかし降ろしてる途中、斜面が垂直な氷壁に変わり、勢い余ってジョーは宙づりとなる。遥か下方には大きく口を開けたクレバスが…。上で支えていたサイモンもジョーの重みに引っ張られ徐々に下へとずり落ちてゆく。このままでは二人ともクレバスに真っ逆さま。助かる道はザイルを切るという選択のみ。ついに決断したサイモン。離ればなれになる二人。麓のキャンプ地にひとり舞い戻ったサイモンをシェルパーのリチャードが慰める。「ジョーは死んだ」と思いながらもなかなかその地を離れられない二人。その頃、クレバスに落ちたジョーは動かない片足を引き吊りながら飢えと乾きと戦いつつ孤独な生還に挑んでいた。そして事故から4日後の夜、明日の朝には街へ戻ろうとしてた二人の耳に「サイモン!サイモン!」と呼ぶ声が聞こえる。テントを飛び出し周囲を探すとジョーの姿が。サイモンはすぐさま駆け寄りジョーを抱きかかえた。。。こう語るとやはり感動系っぽいなあ。でも違うんだよ(笑)。


事故から生還までの一部始終は、役者による再現ドラマと、当事者3人(ジョー、サイモン、リチャード)のインタビューによって綴られてゆく。実際の事故現場であるアンデスの雪山に行って撮影してるだけあって、再現ドラマはものすごい迫力だった。高所恐怖症じゃない私でも頭がクラクラするような場所で撮られた映像は圧巻で、特に中盤までは、手に汗握るスリルとサスペンス。これだけでもほんとに一見の価値あり。でも、この映画の真の面白さはこれじゃない。当事者3人が語るインタビューですよ。これが実に赤裸々な本音トークで、感動作をコントに書き換えてるのはまさしく彼ら。


いや、だってね、足を骨折したとき、ジョーは思うわけですよ。しまったと。こんなとこで骨折するなんて僕はなんて足手まといさんなんだ。置いてかれても仕方がないと。でもサイモンは置いてかなかった。なんていい奴なんだサイモン!と思ったら、インタビューの本音トークで「骨折したと分かった瞬間、いっそのことザイルが切れてくれればジョーを救出するなんてめんどうなことはしなくて済むのに、と思った」とか語ってるわけ。で、その後、ジョーをうつ伏せにし、腰につないだザイルをゆるめて斜面を滑り降ろすという作業を行うんだけど、サイモンは「急がないと」と思ってかなりのハイスピードで滑り降ろそうとするわけさ。でも、ジョーは足を骨折してるから、スピードが早まるにつれ足への衝撃も強くなる。そのたび「痛いっ痛いっ痛いっ」って叫ぶんだけど、サイモンはお構いなし。ズズズッ「痛い!」 ズズズズズッ「イタッ痛いっ!!」 その時のジョーの本音トークが「なんてひどいやつだ。もう少し僕の身にもなってくれよ」。サイモンが聞いたら「痛みがなんだ。置いてゆくぞゴラァ」って怒られるね、絶対(笑)。ザイルを切る時だってね、普通のドラマだったら、5分ぐらいかけてサイモンの葛藤を描くはず。なのにサイモンときたら、「このままじゃ自分も危ないと思い、すぐさまザイルを切ろうと思った」とのたまっていて、「葛藤なしかい!」みたいな状態。こう書くとサイモンばかり悪者みたいだけど、ジョーもひどい。クレパスに落っこちた時、ジョーはサイモンがザイルを切ったことを知らないので、彼が落ちて死んだと思ったらしい。クレバスの口から伸びるザイル。それを見たジョーの本音トークは「クレバスの向こう側にはサイモンの死体がぶら下がってるはずだ。それがおもりとなり、このザイルを昇ってゆけば僕はクレバスから出られるにちがいない」。結局、雪山ではみんながその瞬間を生きることに精一杯。たとえ友人だろうと生死の分からないやつを心配してる余裕などないのだ。ただジョーが可哀想なのは、麓で二人の帰りを待ってたリチャードの本音トークで「二人に何かあったんじゃないかと感じたが、助かるならサイモンの方がいいなと思った」とか言われちゃってること(苦笑)。なんか終始踏んだり蹴ったりで、生きてキャンプ地に還ろうとしてるのにサイモンとリチャードは死んだと思って街に帰ろうとするし、頑張って麓まで降りてきたのに、暗かったせいでキャンプ地のトイレにはまりウンコまみれになるわ、着替えようと思ってもテントに置いてあった自分の替えの服は弔い代わりに全部燃やされてるしで、そりゃあ最後にキレるがな。でもリチャードなどは、怒るジョーを見て、ようやく彼の生還を現実のモノとして実感できたらしい。それもなんかリアル。


本国に戻った時、ザイルを切ったことでサイモンはイギリス中の人から責められたんだそうだ。でもジョーは必死になって彼を擁護し、真実を伝えるために本を出した。それが本作の原作『死のクレバス アンデス氷壁の遭難』ISBN:4006020228)。


なんというか、雪山にいたときのジョーの頭の中にはサイモンしかいないんだよね。家族や恋人の話なんてひとつも出てこない。とにかくサイモン、サイモン、サイモン。クレバスから出てきた時も、サイモンが付けた足跡を見つけて喜び、救われ、サイモンがキャンプ地にまだいることをずっと願い続けて、何度も転びながら片足で山を降りてきた。ジョーにとってサイモンとは自分の「生」をつなぐ唯一の存在。だからサイモンに生きて再び会えた時、ほんとに嬉しかったんだと思う。見捨てられたときの絶望感を超越するぐらいに。それを思うと、最後はやっぱり涙。服燃やされて怒るジョーに笑いながらも泣いちゃいました。


好きでもない歌が脳内でヘビロテされて苦しむところとか、雪焼けで爛れ顔になってるサイモンのTシャツ姿が「モンスターののどかな一日」みたいで妙に笑えるとか、面白いシーンは他にもいっぱいあるんだけど、そこは見てのお楽しみということで、是非に!!!

運命を分けたザイル [DVD]

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