死生観−序章−

突然ですが、皆さんの死生観ってどんなもんですか? 


私はといえば、こどもの頃から幽霊、幽霊言ってるだけあって、もちろん信じてますよ、死後の世界。ま、三途の川を渡ってどうこうなんてものは想像してませんけど、死後も意識はなんらかの形で残ると思ってるので、自分にとって「死ぬ」と言うことは、意識の世界へお引っ越しするようなもの、といったらいいのかな。故に、死ぬこと自体を怖いと思ったことは無かったような気がします。もちろん、事故や災害で突然やられるのはいやですけどね。病気で死ぬ分には「ついにお迎えがきたか」ぐらいの意識しかなく、もともとゴールが見えないとやる気にならない性質なんで、余命宣告なんて受けたら、その瞬間から体中のスイッチがONになるんじゃないかなと思ったりしてます。


自分は昔からものすごい慎重派で、20代までの生活を振り返ると、石橋を叩いても渡らない、人から何か誘われても断るのがデフォルト、めんどくさいことはしない、興味のないことは一切手をつけない、自分のスタイルを崩さないという頑なな生活を送ってました。でも、30歳すぎて「ああ、60歳まであと半分か。」と思ったら、急に気分が軽くなったんですよね、不思議なくらいに。そのおかげで、いまは、人にサイコロ降って貰って「おお、今回はそんな目が出たか。じゃあ、そっちへ行きましょう」なんて感じで、人生を人任せに生きるのが楽しい状態になってます。生活や取り巻く環境は今が一番苦しいのに、終わりが見えてきたら心に余裕が出てきたというか。。。不思議なもんです。

「死」について

「死んだらどうなるのか」という問いに対する答えは二通りあると思うんですね。ひとつは、前述したような、意識や魂だけの世界に行くってやつ。そしてもうひとつは「無」になる。死んだ瞬間、意識は消滅し全てが「無」になる…。私は物心ついてから30年近く「死んだらどうなる?」というのをずーっと考えてきてるわけなんですが、想像力が弱いせいか、自分が「無」になるという状態、「無」になる感覚というのだけはどーしても想像できない。“ビデオの一時停止の状態が永遠に続く感じ”が一番近いんじゃないかと思ってるんですけど、この“一時停止の状態”ってのは、想像してもらえばわかるのですがかなり苦しい。。。なんてったって思考を止めるわけですからね。これに比べれば、意識や魂だけの世界を想像してる時の方が思考を止めなくていい分、楽なんですよ。しかもこれまでに何百という具体例を見せて貰ってるから、自分にとっては「無」よりよっぽど現実味がある。だから信じてるわけです。いや、「選んでる」といった方が正しいか。


次回につづく



えーと、この先まだまだ続きます。これをあらかじめ語っておかないことには、『セカチュウ』とか『ヴィタール』の感想にいけないので。