楳図かずおの語った<恐怖>とは・・・

前述したNTV『爆笑問題のススメ(ゲスト・楳図かずお)』の番組内容をメモ。


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いつもの紅白ボーダーシャツで登場し、グワシをかます楳図さん。楳図先生と言えばやはり恐怖漫画ということで、いつごろから怖い話が好きなのかという話に。「子供の頃から怖い話が好き。でも幽霊は見たことないし、心霊はあまり信じてない」と答える楳図氏に、「楳図さんの作品は人間のほうが怖い」と返す爆笑問題・田中。楳図さんは子供の頃、上高地に住んでいたそうで、周りは山ばかり。夜に山から変な鳴き声や何かが動き回る音などが聞こえてくるそうで、「山は怖いですよ〜」と力説していた。楳図氏の父親は寝る前によく怖い話を聞かせてくれたらしい。 


爆笑問題・太田が「楳図さんの漫画は家に置いておけない。夜中に何かが出てきそう」*1と言うと、「よく言われる」と答える楳図氏。“本から何かが出てくる”という話で思い出したのか、小泉八雲の息子さんに会った時に聞いた話を披露し出す。あるとき息子さんが八雲記念館で本の整理をしていたところ、とある本の間から蜘蛛が出てきたそうだ。それだけならなんてことないが、丁度蜘蛛が出てきたページに書かれてあったのが「蜘蛛」というタイトルの作品だったそうで、そのオチを聞いた田中と真鍋かおりは「いやー、これはいい話を聞いた(嬉)」と喜んでいた。


すごい怖がりのくせに怖い話大好きという田中は、子供の頃に読んで強く印象に残った楳図氏の『ねがい』という作品のあらすじを語り出す(番組では語りに合わせて漫画のカットを画面に挿入)。主人公は少年。友達がいなく、いつもひとりぼっちだった彼は、寂しさをまぎらわせるため、ゴミ置き場から拾ってきたクズでグロテスクな6歳児大の木の人形を作り、「モクメ」と名づけて遊んでいた。ところが、しばらくして少年に女の子の友達ができる。ある日、その子を家に呼んだら、部屋に転がってるモクメを見て「気持ち悪い!」と怯えたため、仕方なくモクメを大きな穴(ゴミ捨て場?)に捨てにゆくことに。しかし夜中に窓をコツコツ叩く音が…。見るとそれはモクメだった。このままではダメだと思った少年は「モクメ、ごめん。おまえがいるとともだちができないんだよー!」と泣きながら椅子でモクメを叩き壊した。怖い話かと思いきや、最後に感動系にもってゆく話の展開について、「漂流教室と同じ頃に描いてたのでそういう話になったんだと思います」と答える楳図さん。


太田のネタフリ*2から「子供の頃、夜トイレに行くのが怖かったので、トイレの前におまる置いといてもらいそこでした」と語る楳図氏。楳図さんは、子供の頃から日常的に怖い体験をするのは生きてゆく上で必要なことだと考えているようで、「最近の子は肝試しをしないんですよ」と嘆いていた。楳図氏が子供の頃は、よく墓地で肝試しをしたらしく、墓地のとある地点まで石を取ってくる(もしくは置いてくる)だけだったが、草をガサガサいわせるなどして怖がらせるのは青年団の人たちだったため、肝試しといっても、大人がちゃんと側にいて安全だったと語る。楳図さんによると、「最近の墓地は死体が埋まってないので怖くない」そうだ。楳図氏が子供の頃は、まだ土葬が多く、地面がところどころぼこっと凹んでいたり、異常に草が育ってる場所などがあって、それだけでも怖かったと語る。


そして話は傑作『14歳』へ。この作品は、培養増殖された食用チキンの一部が突然変異でニワトリ人間・チキンジョージ博士となり、傲慢の限りを尽くす人間たちに動植物界を代表し復讐をしてゆくという話なのだが、食物ヒエラルキーの頂点に立つ人間は動植物から復讐されるという考えの持ち主らしい楳図氏は、健康を考えてのこともあるが、「1週間に同じものは二度食べない」という掟を自分に課すことで、動植物界からの復讐を分散させているらしい。動植物界からの復讐ということで鳥インフルエンザ狂牛病の話が出て、楳図氏は「牛に牛の肉骨紛を食べさせるというのは、いわば<共食い>であり、そんなことしたら復讐が余計濃くなるにきまってる」と嘆く。その後、恐怖と進化の話(恐怖が無くなると進化が止まる)になり、日常的に恐怖を体験をすることは絶対必要、「恐怖は心の安全装置だ」とまとめていた。
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後半の小難しい話(復讐とか進化とか)はあんまよく覚えてないんだけど、「牛に牛の肉骨紛を食わせるなんて共食いだ!」って発言にはちょっとゾッとした。映画版『銀河鉄道999』でトラウマ受けてるんで*3 、ダイレクトじゃない共食い話には条件反射的にさぶいぼ立ってしまう。「心霊はあまり信じてない」と聞いて「それは意外!」と思ったけど、よくよく思い返すと、楳図さんの漫画って、狂った人間とバケモノばかりで、幽霊は出てこない気がする(思い出せないだけかもしれないが…)。「火葬になり、埋まっているのが死体じゃなくなったから、いまの墓地は怖くなくなった。火葬はよくない」と嘆く楳図さんを見て、「ああ、そうなんだ。この人はホントに心霊に恐怖価値を見い出さない人なんだな」と冒頭の発言(「心霊はあまり信じてない」)をようやく実感。楳図さんにとって<墓地>とは、あくまでも“死体が埋まってるから怖い所”であり、多くの人が感じるように、“幽霊が出そうだから怖い所”ではないのだ。



そう考えると、楳図漫画って何故怖いのだろう。いや、怖いのはいいんだ。ホントに怖いんだ。問題なのは、何故“手元に置いておくとその本から何かが出てきそう”なほどに怖いのかってこと。幽霊モノじゃないのだから、読んでもそこから幽霊が出てきたり、祟られたり、呪われたりはしないのに。「何かが出てきそう」って、いったい何が出てくるというのだろう・・・



あー、前に『恐怖』って心理学系の本を買ったんだけど、どこに置いたかなあ。最初のほうだけ読んで家のどこかに眠ってるはずなんだが、、、探してみよう。



*1:これはサービストークだというのが後にわかる。太田光は、実のところ、全く幽霊が怖くなく、冗談でお札を地面に叩きつけ踏みつぶそうとしたところ、スタッフや田中から「お願いだからやめてくれ! とばっちりくらうのは周りの人間なんだから」と止められたそうだ。

*2:夜トイレに行くのが怖いので、トイレの前でうんこした。

*3:機械の身体を持てば永遠に生きられるというのはまやかしだった。機械人間の食事はカプセルに入ったエネルギー源のみだが、その原材料は“人間”。人間を食べながら生き続け、人間が滅ぶと同時に滅ぶ、それが皆が求めてやまない<永遠の命>の実体だった、というのが映画版のオチ。