ニワトリが先か、タマゴが先か、、、佐世保の事件

昔はメビウスの輪のようにグルグルと悩んだけど、これってタマゴが先ですよね。突然変異はタマゴの中で起こるのだから、先にあるのはニワトリでなくてもよいはずだ・・・なんてことに、ふと思い至る。


例の女の子たちの事件について。事件そのものについては静観決め込もうかと思ってたけど、案の定「バトル・ロワイアル」が槍玉にあがり始めた(情報はid:so5:20040606#1086463734さん経由)ので、言及しておきます。


http://www.asahi.com/national/update/0606/001.htmlより

家裁送致された女児(11)が、市内のレンタルビデオ店で中学生らが殺し合う場面を描いた映画「バトル・ロワイアル」のDVDを借りていたことが、県警の調べでわかった。事件の約1カ月前で、県警は女児に与えた影響などを調べている。

−中略−

県警は、この小説やDVDについて女児から直接話を聞いていないが、周辺への調査で確認した。女児が他のバイオレンス小説を読んでいるところを、同級生が見ていることもわかっている。


心理学のテストで「ロールシャッハテスト」というのがある。インクのシミを見て、それが何に見えるかを連想させ、その内容やどの部分にこだわって見るかといった事柄から、テストを受けた人物のパーソナリティや心理傾向を測るテスト。インクのシミという曖昧模糊とした抽象画に自己の内面を投影させることから、投影法の一種としてカテゴライズされている。


いつもこういう事件が起こるとレンタルビデオ店での貸し出し記録が調べられ、人殺しモノを借りてると、さも答えが見つかったとばかりに報道されるけど、この手の記事を書く人は、自分がホラーやバイオレンスものを見る時に、そういう部分にばかり着目する、もしくは観てそう言う衝動にかられた経験があるからこういう発想になるんじゃないかなあ、なんて思ったり。これも一種の投影ですよ。かく言う私は、幼少の頃からミステリー、スリラー、サスペンス、ホラー、エログロ、バイオレンスといった人殺しモノが大好きな割に、そういった類の作品を観ても一向に「人殺ししてー!」て気にはならないから、槍玉にあがるたび擁護するんですけどね。


バトル・ロワイアル」という作品は、確かにバイオレンスをウリにしてるけど、ジャンルとしては<青春小説>であり、描かれてるのは<青春群像劇>。そういう面が若い子の支持を受け、今回の彼女に限らず、本作を「好きな小説」「好きな映画」に挙げてる若い子はたくさんいるわけだけど、その子たちがみんな<きっかけ>さえあれば暴発する犯罪者予備軍かというと、んなこたないわけで…。犯行に至った動機として、彼女が「本作に影響された」と言ってるならまだしも、好きな小説として名をあげ、小説家志望の子が身近な人を登場人物にそれをマネした小説を書いてただけで槍玉にあげちゃう短絡さには恐れ入りました。やはりこれって“お約束”だから? 読者の食いつきがいいから? 彼女は文集の中でバトロワ以外にも「ボイス」を好きな本としてあげてるんだけど、こちらは題材が今回の事件と被らないので、ほとんど無視されてる。もしこれが「ボイス」じゃなくて「漂流教室」だったらどう扱われたのだろう…。これまでに「漂流教室が好き!」と公言して鬼畜扱いされたとか犯罪者予備軍にされたって話はきかないけど、例の視点で見れば、小学生どうしが殺し合い、人肉まで食べる「漂流教室」の方が、よっぽど発禁ものの有害図書。「バトロワ」程度で人殺したくなるんだもん、これ読んで人殺しにはしらない訳がない。名作の誉れ高い「漂流教室」をマスメディアがどう扱うか、ちょっと興味あります。


バトル・ロワイアル」という作品を観て(読んで)、何を思ったか、何を受け取ったか、どの部分に拘って見たか、そんなものは人それぞれ。「バトロワ」自体は<インクのシミ>に過ぎず、いくら調べても、そこに答えなんて存在しない。そんなに気になるのなら県警もとっとと本人に確認するべき。


この手の記事は今後も出続けるだろうなあ。スケープゴート(明確な答え)を作った方が一般人は安心するし、評論家も決まり切ったことを繰り返せば良いだけだから蘊蓄たれやすい。レッテル貼っときゃ、思考停止できて楽だもんね。日陰ものの弱者はいつだって叩かれる運命なのさ(ぐすん)。



追記:「佐世保 加害者 女児 顔写真」で検索かけてくるやつが多すぎて、非常に鬱陶しい今日この頃。