観てきた…『土方巽〜夏の嵐 燔犧大踏鑑〜』(5/21まで)

4/17(土)に、現在イメージフォラームでレイトロードショー中の『土方巽〜夏の嵐〜』を観てきました。その日は石井輝男トークショーがあるということで、1時間半ほど前に劇場に行ったのに、整理券は既に60番台。開場が始まる頃には待ち人が外にも溢れかえり、席の間の通路にも人がみっしり座りこむ状態で、あのイメージフォーラムの地下劇場に立ち見50人以上(驚)。石井輝男効果もあるのだろうけど、id:kentoidaさんの4月11日の日記を読むかぎり、その前の週のトークショーでも立ち見が出たようなので*1、通常でも立ち見に近い状態(トークショーなら尚更)といった所なのかもしれない。観客は女性の方が若干多目で、見るからに踊りをやってそうな風貌の人が多かった。外国人の姿もちらほら。


暗黒舞踏には昔からちょっとだけ興味があって、「暗黒舞踏」っていう響きの耽美さもさることながら、あの独特な動き、身体の使い方、表情、全身白塗りメイク、半裸、丸坊主などが、日本怪奇映画における恐怖演出(わかりやすいところで言うと貞子や伽椰子のビジュアルや動き)に一定の方向性を与えたんじゃないかと以前から思うところがあり、創始者である土方巽の踊りというのを一度ちゃんと観ておきたかったのです。といっても彼が創始者だと知ったのはここ最近で、昔は暗黒舞踏といえば山海塾しか知らなかったし*2麿赤兒大駱駝艦との違いもよくわからないぐらいの素人なんだけど、まあ、いいや(笑)。「舞踏」発祥の地が日本だというのは今回初めて知りました。それまで「舞踏」というのは、バレエやモダンダンスのように、音楽に合わせて心や感情を表現する従来の踊りに飽きた西洋人が、それとは違った肉体の表現としての踊りということで、飛んだりはねたりしない「舞踏」というものを生みだし、それを日本風にアレンジし不気味な要素を加味したのが土方巽の「暗黒舞踏」なのかと思ってたら、土方の創り上げた踊り(暗黒舞踏)こそが「舞踏」の始まりなのだそうで、はあ〜(驚嘆)。広義の意味での「舞踏」と固有名詞としての「舞踏」をごっちゃにしてる素人風情にわかるわけもない(汗)。手足の長い顔立ちの整った外国人より、不格好で能面顔な日本人が演る方が怖くてキモくて魅せられるのは、日本がオリジンだからってことですか。むむ。


作品の詳細は以下の通り。


『土方巽 夏の嵐 2003〜1973 燔犧大踏鑑』 3/27(土)〜5/21(金)までレイトショー


【企画・脚本・監督】荒井美三雄【舞台構成・振付・出演】土方巽【協力】土方巽記念アスベスト館
71min/カラー/デジタルベータカム(1973年撮影素材:8mm film)/2003年
□上映館:シアター・イメージフォーラム(21:00〜レイトショー)
“世界的ダンス・ブームにあって、特に異彩を放ち注目を集めている日本のBUTOH。その創始者である土方巽。‘73年に自らの舞踏を封印した土方巽の、映像として残された最後の公演がこの「夏の嵐 燔犧大踏鑑」である。 全共闘運動の残り火がまだ消えやらぬ京都大学構内での伝説の舞踏は、3台の8mm filmのカメラに記録された。この未発表の映像が、最新のデジタル技術を駆使することにより、30年の時をへて、新たな映像を付け加えられ鮮やかによみがえる。”


土方巽暗黒舞踏がどんなものか、土方巽がどんな人物なのか、素人にもわかりやすい文章で伝えてるページがあるので、あまりイメージ出来ない人は読んでみてください。実際に弟子入りした人が書いてるので稽古の様子などもわかりなかなかに面白い。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~nobol/btking.htm


余談だが、山海塾に関しては10数年前、深夜にやってた新人入塾ドキュメンタリーを見たことがある。それはそれはこの世のモノとは思えない凄まじさだった。地方の山奥にこもり、動物になって奇声を発したり、頭も眉も剃り、素っ裸になって白塗りで山中を駆け回ったり、近隣に住む子供らは山にキチ○イが出たと怯えるんじゃないかと心配したが、数日間の合宿の末、村人を前に新人お披露目公演が催されてたから、毎年恒例の行事として村の人には認知されてるんだなとホッと一安心したものだ。

*1:毎週土曜はトークショーが行われていたのでおそらくその日に行かれたのだと思われる。

*2:ボキャブラ「さん・かい・づつ」のへらちょんぺって今なにしてるんだ?