ベーシストとしてのいかりや長介

アイデン&ティティ』の時にもちょっと触れたけど、私の中学・高校時代は空前のバンドブームで、自分もご多分に漏れず、中学2年の時にベースを購入、高校でバンドなんぞを組んだりしていた。

何故ギターではなくベースを選んだのかというと、好きになるアーティストがことごとくベーシストだったからだ。そもそものきっかけはスティング。ベースなのに歌う。BASSなのに歌う。ベーシストなのに歌う。なんだ、この人は!? そんなこともあって、自然と他のベーシストにも目が向くようになり、当時、ミスターミスターやCCB、後にフェンス・オブ・ディフェンスなんかも好きになった。どれもベーシストがメインボーカルをとってるバンドである。

しかし、ベースの<音>自体に強烈な憧れを抱くようになったのは彼らがきっかけではなかった。爆風スランプのベーシスト・江川ほーじん、その人である。彼のファンというわけではなかったけど、弾いてる音と手元が見たくて、音楽番組をよくチェックしていた。

江川ほーじんが他のベーシストと違った点、それはチョッパー奏法の使い手だったということ。親指で弦を叩きつけるあれだ。中学生だった私にとって、その奏法から繰り出される音はとても衝撃的かつ刺激的で力強く、それはそれは心地良い響きだった…。こんな音、出してー! そう思い、ベースの購入を決めた*1


昨日、いかりや長介と親交の深かった寺内タケシがテレビの取材で、長さんがキリンラガーのCMでウッドベース*2を弾くことになったときのエピソードを語っていた。あのCMの依頼が入ったとき、長さんものすごく嬉しくて、すぐさま彼に電話をかけてきたそうだ。この歳になってまさか自分にベースを弾く仕事がまいこんでくるなんて…。だから一生懸命練習した。

そして今朝、いかりや長介の遺影を見た。ウッドベースを弾く長さんの姿がそこにはあった。それは長さんもお気に入りの1枚で、写真を選んだのは息子さんらしい。


ネットを放浪してたら、世のベース野郎たちがいかりや長介について言及した記事をたくさん見つけた。

前にも書きましたしベース弾きの間では有名な話なのですが、日本で最初にチョッパーをやったのっていかりやさんなんですよ。
屋根の裏のベース弾き  ※現在リンク切れ

いかりや長介著「だめだこりゃ」
この著書の中で、彼は自らを四流ミュージシャンと位置付けている。単なる謙遜なのか、それとも事実なのか。−中略− だがしかし、である。この自称四流ミュージシャンいかりや氏が日本音楽史上に輝ける2つの大きな功績(?)を残しているということをみなさんは御存知だろうか。お笑いドリフの功績があまりにも大きかった為、その輝きはくすんでしまったようだが、これは紛れもない事実である。
一つは"いかりや奏法/長介奏法"なるベース奏法が存在すること。そしてもう一つはドリフターズがあの"ビートルズ"の前座を務めたことである。
真・R-project

いかりや長介と言えば「日本で最初にチョッパーしたベース弾き」という伝説を持つ男です。実際はチョッパー(スラップ)ではなくて、エレクトリック・ベースが生まれた1950年代において一般的であったという「叩かず普通に親指で弾く」奏法だったのだそうですけど、日本ベース界ではその弾き方はいかりや奏法と呼ばれているとのことですから日本ベース界に名を残していることはまちがいありません。ドリフ以前には寺内タケシ氏と同じバンドに所属していたとか、「歴史の立て役者であり生き証人」という感じです。
変拍子な日々(2001/03/08の記事)  ※現在リンク切れ

親指を使ってベースを奏くこと自体は、エレクトリックベースが登場した1950年代においては、特別でもなんでもなく、一般的な奏法でした。この時代の親指奏法は、今で言うトゥー・フィンガー奏法的なフレーズを、親指で弦をはじく(アコギのフィンガーピッキングの親指のようにして弾く)ことで奏く奏法です。−中略− このスタイルは、ロック的なプレイにはあまり向かないこともあり、60年代の半ばには、指奏きといえば、人指し指、中指のトゥー・フィンガープレイがエレクトリックベースの常道となります。俗にいかりや奏法といわれる、いかりや長介のベースの奏き方は、この50年代のエレクトリックベースの指奏きを指します。これは、彼がその時代にベースをマスターしたこと、その後の音楽界の動きとはそれほど関わらなかったことを考慮すれば、至って自然で納得できる事実だと思われます。
boogie's homepage

はてなキーワードいかりや奏法の方には本人のコメントもある。


ワイドショーではラガービールのCM時に長さんが語った「3回ぐらい指の皮剥かねーと、昔のようには弾けねーな」という言葉を“仕事に妥協を許さないいかりやさんらしい言葉”と捉えてたが、それは違う。長さんは、単純に嬉しかったんだ。皮を剥けることが嬉しかったんだ。自分の指が<ベーシストの指>になれることが嬉しかったんだ。。。


長さんよ、永遠なれ。合掌。


※ミュージシャンとしての略歴は↓こちらが詳しい
知ってるつもり!?ベーシスト編"いかりや長介"


【過去の関連日記】


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*1:結局、女の細腕でチョッパーやるのは、なかなか難しかったわけだが…苦笑

*2:正確にはアップライトベースか? うちらの世代でウッドベースというとヒルビリー・バップスを思い出す。ボーカルの宮城が自殺しちゃって…。ヒルビリー自体のファンではなかったけど深夜番組「ヒルビリー・ザ・キッド」は大好きでした。