『アンテナ』を観た(@シネ・アミューズ)

13日の金曜日シネ・アミューズで『アンテナ』観てきました。もちろん“黒沢清×塩田明彦トークショー”がついてる19時の回。『アンテナ』は前々から観に行くつもりだったんだけど、二人のトークショーがあると聞いてこの日までずっと待っていたわけで、その甲斐はあったあったありました(嬉)。非常に面白かったです。何がって? 塩田明彦のSM講座が(笑)。


客は全部で40〜50人ぐらい。男女比は8:2といった感じで、作品の内容よりトークショー目当てで来た客が多かったと思われる。年齢層は男性が20代後半から50代ぐらいまでと幅広く、女性は30才前後といった感じ。



映画の詳細は以前の日記を参照。原作は未読。んで、感想。

アンテナ スペシャル・エディション [DVD]


ネタバレしまくります
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


メインの3人(加瀬、麻丘、木崎)はとても良かった。
祐一郎役の加瀬亮は予告から受けた期待通りで、気持ちが役に入り込み過ぎてしばしば暴走しそうになるのを監督がうまく操縦してるといった感じ。特に「なんでボクを責めるの!?」とナオミに反発するシーンや母親をどなりつけに行くシーンで魅せる抑え込んでた感情が一気に吹き出すときの台詞回しは、アドリブかと思うほどにリアル。また、終始何かをため込んでいるような鬱屈した表情、痩せぎすな裸体は、共にキャラクターとよくかみ合ってる。自宅でナオミを想い自慰にふけるシーンでは、加瀬のバストアップのみが横からのショットで延々と映し出されるのだが、細い首から突き出た喉仏が上下する様はとても痛々しく、そして生々しかった。


加瀬の母親役を演じた麻丘めぐみは、見事に弛緩したハリのない頬肉と身体つきで母親役を好演。穏やかで優しげ、しかし心此処にあらずといった声色と覇気のない顔はとても印象的だった。真利江になって戻ってきた祐弥と楽しげに台所に立つシーンでは、祐弥に投げかける愛おしそうなまなざし、ほころんだ口元、優しげな声が、やってる行為の異常さや事態の深刻さをより際だたせていた。


弟・祐弥を演じた木崎大輔は、演技は人並みだが全身のビジュアルはとにかくすごい。少年にも少女にも見える中性的な身体とスラリと伸びた手足。また、誰よりも強く揺るぎないそのまなざしからは、家族の中で一番しっかりとこの問題に向き合ってるのは祐弥なんじゃないかと思わせるほどの意思の強さが感じられた。



SM行為によって心の呪縛から解き放たれ覚醒した主人公が、妹の亡霊や妄想に悩まされ壊れてゆく家族を救う話…。著者の前作『コンセント』と予告映像から、こんな話の映画なんじゃないかと思っていた。しかし予想は見事にはずれ、幽霊も出なければ、妄想が実体化することもなく、“覚醒”や“交信”といったトンデモ系にも走らなかった。真利江の失踪を受け止めきれないことで、いびつにねじれてしまった家族関係が再び正常化するまでを、現実的な側面に落とし込んで描いた、ごくごく普通の家族再生物語だった(“普通”は言い過ぎか…)。妄想映像はいろいろと飛び交うが、それらもただの幻で終わる。


劇中、もっとも丁寧に描かれていたのは、失踪した妹と残された家族との関係・・・ではなく、母親の愛情に飢えた息子たちと、そんな息子たちの存在をないがしろにしたまま、いなくなった娘の幻のみを追い続ける母親との関係であったように思う。


予告編からは、妹・真利江が(幽霊であれなんであれ)家族のもとに戻ってきたかのような印象を受けたが、彼女の心は1ミリたりとも家族の元には戻ってこなかった。いなくなった少女の<意識><幽霊><呪い>といったものは、作品の中には全く存在しない。そのことは、物語の中盤、TVディレクター(宇崎竜童)がつれてきた霊能風水師の言葉によってもあっけなくバラされる(「この家は呪われてなどいない。普通の家だ。」)。真利江の失踪事件は、物語を引っ張るのに使われただけで、最後まで何も解明されることはなかった。犯人もわからなければ、連れ去られたのか殺されたのか、生きてるのか死んでるのか、失踪後の行く末はわからないまま。にもかかわらず、家族の心は物語のラストできちんと再生する。



家族関係をいびつなものにねじまげていたのは、母親の<心>だった。問題の根源である母親の心が元に戻れば、自ずとこの家族は再生する。そのきっかけをもたらしたのは祐一郎だった。錯乱しながら川に飛び込む長男の姿が、妄想の世界に逃げ込んでた母の心を現実世界に呼び戻したのだ。



失踪してた少女が9年ぶりに保護されたというニュースに刺激されて母親の真利江に対する妄想が加速した時、二人の息子は別々のアプローチをした。


真利江の失踪後に生まれた弟・祐弥は、真利江のことを直接には知らない。しかし真利江の身代わり(生まれ変わり)として母から屈折した愛情を受けつづけてきたことで、常に真利江の存在を身近に感じていた。感受性が強い上に終始母の側にいることから、真利江が戻ってくると興奮する母の心に感応しすぎて、最初こそ「真利江が帰ってくる!」と錯乱状態に陥いるものの、入院により母から隔離され精神の落ち着きを取り戻すと、幼いながらも、母を想うがゆえに「母は真利江が戻ってくるのを待っている。自分が真利江になれば母は救われる」という考えに至り、歳の離れた兄・祐一郎すらも説き伏せて、強固な意志で“真利江ごっこ”を実行する。その姿は実に健気で痛々しい。


真利江が失踪した時、隣で寝ていたのに気づかなかった兄・祐一郎は、母親にひどく叱責されたことが心の傷となっていた。彼には自傷癖があった。しかしそれは、妹の失踪がきっかけで発症したわけではない。彼が自分の肉体を傷つけ始めたのは、父が死んだ後、母が新興宗教にのめり込むようになってからである。父と母、同時に二人の支えを失った祐一郎は、自らの肉体を傷つけること、すなわち心の痛みを肉体の痛みへと転化することで、ひとり苦しみを乗り切ってきた。息を止め、膝をかかえて風呂の水に全身を埋める祐一郎の姿は、母親への胎内回帰をはかってるように見える。でもそんな彼の気持ちは母には届かない。「真利江が帰ってくる」と母や弟が騒いでた時、彼はまだ妹の幻影に取り憑かれてはいなかった。そして現実的なアプローチでなんとか母と弟を救おうと試みる。ところが、母と祐弥の真利江ごっこが始まり、その試みがなんの役にも立たないことがわかってくると、家族の発する重苦しい空気や重圧に発狂しそうな自分をおさえるため自傷行為を続ける。またその一方で、研究のために出会った一人のSM嬢の元に逃げ道や癒しを求め通い始める。彼女とのセッションを重ねるうち、真利江に纏わる忌まわしい記憶、すなわち失踪前に同居してた叔父にたびたびいたづらされてた(しかも真利江はそれを喜び、祐一郎にも「面白いからやろうよ」と誘ってきていた)ことを思い出した祐一郎。彼もまた、家族同様、真利江の幻影にとりつかれ始める。



母親は妄想の世界に逃げ込んでるだけで、完全に狂ってしまったわけではない。真利江ごっこの最中、弱気になった祐弥に「ボクは誰なの?」と問いかけられた時、母は黙ったまま何も答えなかった。真利江役を買って出てくれた幼い息子に甘えながらも、心のどこかにひっかかっていた「このままでいいのだろうか?」という思いが、彼の一言によってふと表に出てきてしまったのだろう。そんなとき、兄・祐一郎に異変が訪れ、母はそれを見逃さなかった。錯乱して川に飛び込む祐一郎の姿に、「私が妄想の世界に逃げ込んでいる間に、家族の中で一番しっかりしてると思っていたお兄ちゃんまでもがいつのまにかおかしくなっていた」という現実を知り、ようやく目が覚める母。そして家族は再生する。



終盤の、“大人になった祐一郎が真利江を部屋から連れだし、川辺で首を絞めて殺した後、ふと我に返り、川面を流れてゆく真利江の遺体を見て、錯乱し水に飛び込むシーン”だが、人によって解釈はいろいろだったらしく、塩田・黒沢両監督は、“祐一郎が「真利江を殺したのは自分だった」ということを思い出すシーン”だと思ってたらしい。私自身は正直なところ、観た瞬間は「なんだやっぱりトンデモ系だったのか!」と心躍った(笑)。どういうことかというと、真利江を連れ出したのは大人になった今の祐一郎で、時空の裂け目から彼女を連れだし、殺した後川に流したのかと思ったのだ。だって真利江も「なんでお兄ちゃん、大人になってるの?」って聞いてるし(笑)。もちろん、その直後、川に飛び込む祐一郎を必死に止めに入る母親の目に流されてゆく真利江の遺体が見えてないことから、真利江の姿は祐一郎にしか見えていない、すなわち祐一郎だけが見てる幻だったということが分かるわけだが…。両監督のように「祐一郎が真理江を殺した」と思わなかったのは、ラストで家族団欒を見せられたから。いくらなんでも妹を殺したのが自分だとわかったら自首ぐらいするでしょう。


本作におけるSM描写だが、ネットで感想・批評の類を漁ってみると、演じた小林明実に対する評価も含めて概ね好評のようだった(特に女性には)。ただ、そんな中でも疑問を呈してる人が二人いて(一人は確実に男性)、そのうちの一人は「本末転倒かも知れないがこの話にSMを絡める必要があったのだろうか?」とまで書き込んでいる。実はその気持ち、よくわかる。私自身も前述した母子の描写や画に漂う空気感などはとても好きなのだが、この1点に関しては大いに不満で、SMという行為が劇中ほとんど機能してないように感じた。そのバランスの悪さから作品に対する全体的な好評価にはつながらなかった。劇中、SMという設定に説得力があったのは、ナオミが祐一郎に自傷をやめさせようと「今日からおまえを傷つけていいのは私だけだよ」と命令するシーンぐらいだろう。SM嬢であるナオミが祐一郎を虐めるシーンはほとんど皆無で、慰めてばかり。ナオミと祐一郎が対峙する場でも、リードしてたのは常に祐一郎の側であり、ナオミはSM嬢であるにもかかわらずそれについていってるだけで、出来上がってる祐一郎を前に精神的にはほとんど置いてけぼり状態。そう見えたのは、演出のせいなのか、加瀬の演技を小林明実が受け止め切れなかっただけなのか、どちらのせいなのかはよくわからない。でも、SM嬢と客の関係として、それは逆だろうと。また、SM行為をするときのナオミが、とてもダラダラとしていてつまらなそうなのも難あり。祐一郎だけでなく他の客を相手にする時でも客を引っ張る強さがかいま見られないので、なんでこの程度のサド行為でどの客も恍惚と逝けちゃうのかとても不思議に映るのだ。


ここら辺の違和感は、上映後に行われたトークショーで解明されることとなる。